オオカミになりたい(遺言)

ずっとそばにいるよ

都岐乃百姿 大物海上月

2017-07-15 | 月百姿

月岡芳年 月百姿

『大物海上月』 弁慶

(だいもつかいじょうのつき べんけい)

明治十九年届

 

 

大物浦は摂津国淀川旧河口にあった船着き場

 

 

弁慶(べんけい)は平安末期・鎌倉時代初期の僧

武蔵坊と称し 源義経の家来として活躍した

生年不詳文治五年閏四月三十日(1189年622日)

 

国立国会図書館デジタルコレクション 074

 

能楽『船弁慶』 

兄の頼朝の討手から逃れる旅を続ける義経一行が

大物浦にたどり着いた。

静御前との別れを惜しみ出発をためらう義経に

弁慶は強引に船出を命じます。

 

船が海上に出るや否や、突如暴風に見舞われ

船はいっこうに進まなくなり

壇ノ浦で滅亡した平家一門の亡霊が姿を現しました。

中でも、平知盛(たいらのとももり)の怨霊は

なぎなたを小脇に抱え凄まじい形相で

義経一行に向かって襲いかかってきます。

が、 そのとき義経少しも騒がず 大刀を抜いて立ち向かい

弁慶も数珠をもみ必死に五大尊明王に祈祷します。

その祈りが通じたのか、明け方に怨霊は彼方の沖に消え

白波ばかりが残りました。

 

 

『大物之浦ニ霊平知盛海上二出現之図』

 大蘇芳年 新形三十六怪撰

 


月百姿 山城小栗栖月

2017-07-12 | 月百姿

月岡芳年 月百姿

『山城小栗栖月』

明治十九年届

 

明智光秀(あけちみつひで)は安土桃山時代の武将

享禄元年(1528年)~天正十年六月十三日(1582712日)

織田信長に仕えた重臣の一人だが

後に反旗を翻し「本能寺の変」を起こした。


 

 『心しらぬ 人は何とも言はばいへ 身をも惜まじ 名をも惜まじ』

 

国立国会図書館デジタルコレクション 081

 

天正十年六月二日 信長を本能寺に討つが

羽柴秀吉に山崎の戦いで敗れ

近江坂本を目指して逃走中の六月十三日

山城小栗栖で落ち武者狩りに遭い

百姓中村長兵衛の竹槍で深手を負い

その場で自害したとされる。

謀反を起こしてわずか11日後の出来事である。

 

光秀辞世の句

順逆二門に無し 大道心源に徹す

五十五年の夢 覚め来れば 一元に帰す

 


月百姿 西宮夜靜百花香

2017-07-11 | 月百姿

月岡芳年 月百姿

王昌齢

『西宮夜靜百花香 欲捲朱簾春恨長

  斜抱雲和深見月 朦朧樹色隱昭陽』

明治二十年届

 

王昌齢(オウショウレイ)は盛唐期の詩人(698年~755年)

 

班婕妤(ハンショウヨ)は、前漢の成帝の寵愛を受けたが

のちに帝が趙飛燕姉妹を寵愛するようになったため

身をひいて太后に仕えた

後世、寵愛を失った女性を歌った詩に登場することが多い

 

国立国会図書館デジタルコレクション 041

 

 西宮春怨(せいきゅう しゅんえん) 

 

西宮(せいきゅう) 夜静かにして 百花香(かんば)し

珠簾(しゅれん)を捲かんと欲すれば 春恨(しゅんこん)長し

斜めに雲和(うんわ)を抱いて 深く月を見れば

朦朧たる樹色(じゅしょく) 昭陽(しょうよう)を隠す

 

西宮:媵妾(ようしょう=そばめ)のいる室

雲和:琴(きん)の称

昭陽殿:寵愛されている皇后の趙飛燕の居所

 

『私のいる 誰もやって来ない西宮は 静かで

ひっそりとしており ただ花の香りだけが漂っている 。

花の匂いに誘われて 簾を巻き上げようとすると

昔のことが偲ばれて 春の感傷に浸ってしまう 。

斜めに琴を抱いて 遠く月を見上げると

かつて帝から寵愛を受けた、木々の間から見える昭陽殿は

涙が溢れぼやけて はっきり見ることもできない。』