![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/80/13b68d9aeb0a6983a5a0570530af8e48.png)
北九州市小倉南区の上葛原というところ、車でときどき抜け道として通るところの四つ辻に銅像があります。
その前を通り過ぎながら、いつも気になっていたのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/8a/ddfb59331332d102d22730abd9ef74c2.jpg)
かなり緑青が吹いている銅像で、重量感があり、立派なのです。
彫刻としてしっかりしており、それ相当の力のある人が制作したんだ、と感じられるのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/23/a4b0ab9fb79fd52e4ffdd996e590951c.png)
で、ついにその銅像を訪問してみました。
近くで見ればかなり大きな石(台座)の上に置かれています。
その台座の石には「親鸞聖人御銅像」と彫られていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/5c/75259af06bb2893153b076af9b8a83b3.png)
台座の下の「祠(ほこら)」の中にも、ちっちゃな親鸞聖人がいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/2b/ebf89e3e6f766907238cd8840d393e21.png)
台座の石の後ろには
御生誕八百年記念
建納者 柴山 登
昭和四十九年五月
発起人財産組合一同
と彫られていました。
八百年の「百」の字がよくわからなかったけれど、まさか「千」ではないだろうし、「十」はあり得ないし、
そんなところで「百」でしょう。
「財産組合」とあるのは、この地域で農業をされている方々の農業用の土地や池などを
共同で使用し管理するための組合のことでしょうね。
で、この親鸞聖人銅像についての詳しいことをご近所の方に伺いました。
けれども三十五年ほど前のことで、当時この建立に関わった方はもうお元気ではなかったりして、
「あの人ならわかるだろう」とご紹介いただいたお宅も留守。
ここまででわかったのは、建立のお世話をしてくれたお寺(浄土真宗西本願寺派の永万寺)があること。
この銅像は京都の太秦からきたということ。
台座の石は大分の天ケ瀬から来たということ。
永万寺に電話してみました。
この銅像はこのお寺が世話して、お寺などの専門の仏具や仏像、梵鐘を販売するところから
購入したということでした。
全国の浄土真宗のお寺の半分以上に同じ物があるというお話でした。
台座の石は親鸞聖人と特に関わりがあるわけではないとのことでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/58/3ea3473015de661a82d3d5590f56b5d2.png)
でもね、ほら、表情もしっかりした作品なのですよ。
多分それなりの力のある彫刻家に仏具・仏像彫刻の会社が製作依頼し
鋳造生産して販売しているのでしょう。
あるいはそんな会社に社員的なデザイナーがいるのかもしれない。
私は新聞記者でも、郷土史家でも、探偵でもありませんから
調べるのはこれまで。
これは北九州のブランドとはいえないでしょう。
ただ、この地区の方々がどんな思いからこの親鸞さんの銅像を建立されたのか、
これを知りたかったなぁ。
この前の「阿修羅像」のことに続いての親鸞ブログは、抹香臭くなっちゃいました。
次回はおしゃれな感じでいきたいです。
田舎道のかたわらの小さなお地蔵さんにほっと心和む方、クリックお願いします。
その前を通り過ぎながら、いつも気になっていたのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/8a/ddfb59331332d102d22730abd9ef74c2.jpg)
かなり緑青が吹いている銅像で、重量感があり、立派なのです。
彫刻としてしっかりしており、それ相当の力のある人が制作したんだ、と感じられるのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/23/a4b0ab9fb79fd52e4ffdd996e590951c.png)
で、ついにその銅像を訪問してみました。
近くで見ればかなり大きな石(台座)の上に置かれています。
その台座の石には「親鸞聖人御銅像」と彫られていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/5c/75259af06bb2893153b076af9b8a83b3.png)
台座の下の「祠(ほこら)」の中にも、ちっちゃな親鸞聖人がいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/2b/ebf89e3e6f766907238cd8840d393e21.png)
台座の石の後ろには
御生誕八百年記念
建納者 柴山 登
昭和四十九年五月
発起人財産組合一同
と彫られていました。
八百年の「百」の字がよくわからなかったけれど、まさか「千」ではないだろうし、「十」はあり得ないし、
そんなところで「百」でしょう。
「財産組合」とあるのは、この地域で農業をされている方々の農業用の土地や池などを
共同で使用し管理するための組合のことでしょうね。
で、この親鸞聖人銅像についての詳しいことをご近所の方に伺いました。
けれども三十五年ほど前のことで、当時この建立に関わった方はもうお元気ではなかったりして、
「あの人ならわかるだろう」とご紹介いただいたお宅も留守。
ここまででわかったのは、建立のお世話をしてくれたお寺(浄土真宗西本願寺派の永万寺)があること。
この銅像は京都の太秦からきたということ。
台座の石は大分の天ケ瀬から来たということ。
永万寺に電話してみました。
この銅像はこのお寺が世話して、お寺などの専門の仏具や仏像、梵鐘を販売するところから
購入したということでした。
全国の浄土真宗のお寺の半分以上に同じ物があるというお話でした。
台座の石は親鸞聖人と特に関わりがあるわけではないとのことでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/58/3ea3473015de661a82d3d5590f56b5d2.png)
でもね、ほら、表情もしっかりした作品なのですよ。
多分それなりの力のある彫刻家に仏具・仏像彫刻の会社が製作依頼し
鋳造生産して販売しているのでしょう。
あるいはそんな会社に社員的なデザイナーがいるのかもしれない。
私は新聞記者でも、郷土史家でも、探偵でもありませんから
調べるのはこれまで。
これは北九州のブランドとはいえないでしょう。
ただ、この地区の方々がどんな思いからこの親鸞さんの銅像を建立されたのか、
これを知りたかったなぁ。
この前の「阿修羅像」のことに続いての親鸞ブログは、抹香臭くなっちゃいました。
次回はおしゃれな感じでいきたいです。
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土着の思想こそ地域のブランドだと思います。
今は車社会だけど、さかのぼると昔は歩いていたんですね。銅像画像を観察していて、そう思いました。
春ごろこの路を歩いたんですけど、まったくきずきませんでした。反省です。
以前の記事のコメントがはいりましたから!
ボクのブログをじっくり見てくださっているのですね、感謝します。
ただ、この仏像はいわば既製品のようなものらしいです。
ほら言ってみればデッサンの石膏像のように元の彫刻があって
それから型をとっていくつも生産しているようです。
こんなところまで来られてるのならお電話ください。
我が家は割合近くです。
なんなら、ぜひ葛原神社にもお越しください。
ほんものの芸術品のブロンズ像があります。