12月27日は第3日目。
『クリスマスの12日間』ではこう歌ってます。
≪The Twelve Days of Christmas≫
On the third day of Christmas,
My true love sent to me
Three French hens,
Two turtle doves,
And a partridge in a pear tree.
クリスマスの3日目にね、
だーいすきな人がプレゼントしてくれたの
三羽のメンドリさんと
二羽のハトさんと
それから、なしの木にいるウズラさん!
なぜ子ども風の訳?
と疑問に思われる方もいるでしょう。
それは、12月27日に忘れられないプレゼントをくれた人がいるからです。
今から15年前の12月27日。
当時中2の従姉と小2の私たち双子は、母方の伯父がディズニーランドに連れて行ってくれました。確か「ちょっと遅いクリスマスプレゼント」だったと思います。
小5だった姉は……冬期講習? かなんかだったと思います、覚えてませんが。
10周年のパークがどんな飾り付けだったか、どんなショーだったかは記憶にほとんどありません。
ただ、幼かった私は、普段あまり会うことのない伯父が連れて行ってくれたので、嬉しい反面、ちょっと照れくさいような感じもしました。
考えてみれば当時50前の働き盛りの伯父が姪に会うなんてことはそうしょっちゅうある訳じゃないんですが。
話を戻して。
10周年記念デザインのパスポートに同じデザインのパスポート入れ。まだベリー・メリー・ホリデーもやってなかったスモールワールドに怖々行ったシンデレラ城ミステリーツアー。
グランドサーキット・レースウェイは伯父と一緒に乗った相棒が運転させられたそうです(ちなみに私は従姉が運転してくれました)。
スプラッシュで隣に乗ったとき、最後の滝のあとにはしゃぐ私を見て、伯父は笑っていました。
それから半月ほどした1月14日(あれ、13日だったかな)。
伯父はスキーへ行くために明け方出発した伯母(母の長姉)と私達姉妹を見送りってくれました。
雪がちらちらと舞っていたのを覚えています。
それが、元気な伯父に会った最後でした。
1月16日、伯父はクモ膜下出血で倒れました。
スキーから帰ってきた日だったかその次の日に病院で見た伯父は、生命維持装置でやっと生かされてる状態。半月前とは別人のようでした。
詳しいことはわかりませんが、時折意識を取り戻したのか、母を私と間違えたこともあったそうです。
1994年1月27日。
伯父は、母と姉2人と妹(私の祖母と伯母たちと母)を残し、47歳の若さで息を引き取りました。
お通夜と告別式には、雪が積もっていたことを覚えています。
のちに母から聞かされた話ですが、伯父は12月27日、わざわざ休みを取って私達をディズニーランドに連れて行ってくれたそうです。
子どものいなかった伯父は、私達姪をそれだけ可愛がってくれていたのでしょう。
そんなことも知らず、まだ子どもだった私達は相当迷惑をかけたと思います。
あれから15年経ちました。
伯父と一緒に住んでいた祖母と伯母(母の長姉)は、若くして亡くなった伯父を思って今でも涙を流すことがあるそうです。
父(私にとっての祖父)と小6のときに死別した母にとっても、伯父は特別な存在のようです。
今でも、たまに母の夢に出てくるそうです。
夢の中の伯父が笑顔のときは良いことが、黙って母を見てるときはあまり良くないことが起きる前兆、あるいは今起きている証拠だそうです。
信じるか信じないかは勝手だけど、と母は付け加えましたが。
伯父が亡くなったとき8歳だった私には、伯父との記憶があまりありません。
今となっては叶いませんが、もっともっといろんな思い出を作っておきたかった。
でも、数少ない記憶の中の伯父はたいてい笑顔です。
今、伯父が生きていたら。
私は伯父とどんな話をするんでしょうか。
長くなりましたが、私にとっての忘れられないクリスマスプレゼントの話でした。
『クリスマスの12日間』ではこう歌ってます。
≪The Twelve Days of Christmas≫
On the third day of Christmas,
My true love sent to me
Three French hens,
Two turtle doves,
And a partridge in a pear tree.
クリスマスの3日目にね、
だーいすきな人がプレゼントしてくれたの
三羽のメンドリさんと
二羽のハトさんと
それから、なしの木にいるウズラさん!
なぜ子ども風の訳?
と疑問に思われる方もいるでしょう。
それは、12月27日に忘れられないプレゼントをくれた人がいるからです。
今から15年前の12月27日。
当時中2の従姉と小2の私たち双子は、母方の伯父がディズニーランドに連れて行ってくれました。確か「ちょっと遅いクリスマスプレゼント」だったと思います。
小5だった姉は……冬期講習? かなんかだったと思います、覚えてませんが。
10周年のパークがどんな飾り付けだったか、どんなショーだったかは記憶にほとんどありません。
ただ、幼かった私は、普段あまり会うことのない伯父が連れて行ってくれたので、嬉しい反面、ちょっと照れくさいような感じもしました。
考えてみれば当時50前の働き盛りの伯父が姪に会うなんてことはそうしょっちゅうある訳じゃないんですが。
話を戻して。
10周年記念デザインのパスポートに同じデザインのパスポート入れ。まだベリー・メリー・ホリデーもやってなかったスモールワールドに怖々行ったシンデレラ城ミステリーツアー。
グランドサーキット・レースウェイは伯父と一緒に乗った相棒が運転させられたそうです(ちなみに私は従姉が運転してくれました)。
スプラッシュで隣に乗ったとき、最後の滝のあとにはしゃぐ私を見て、伯父は笑っていました。
それから半月ほどした1月14日(あれ、13日だったかな)。
伯父はスキーへ行くために明け方出発した伯母(母の長姉)と私達姉妹を見送りってくれました。
雪がちらちらと舞っていたのを覚えています。
それが、元気な伯父に会った最後でした。
1月16日、伯父はクモ膜下出血で倒れました。
スキーから帰ってきた日だったかその次の日に病院で見た伯父は、生命維持装置でやっと生かされてる状態。半月前とは別人のようでした。
詳しいことはわかりませんが、時折意識を取り戻したのか、母を私と間違えたこともあったそうです。
1994年1月27日。
伯父は、母と姉2人と妹(私の祖母と伯母たちと母)を残し、47歳の若さで息を引き取りました。
お通夜と告別式には、雪が積もっていたことを覚えています。
のちに母から聞かされた話ですが、伯父は12月27日、わざわざ休みを取って私達をディズニーランドに連れて行ってくれたそうです。
子どものいなかった伯父は、私達姪をそれだけ可愛がってくれていたのでしょう。
そんなことも知らず、まだ子どもだった私達は相当迷惑をかけたと思います。
あれから15年経ちました。
伯父と一緒に住んでいた祖母と伯母(母の長姉)は、若くして亡くなった伯父を思って今でも涙を流すことがあるそうです。
父(私にとっての祖父)と小6のときに死別した母にとっても、伯父は特別な存在のようです。
今でも、たまに母の夢に出てくるそうです。
夢の中の伯父が笑顔のときは良いことが、黙って母を見てるときはあまり良くないことが起きる前兆、あるいは今起きている証拠だそうです。
信じるか信じないかは勝手だけど、と母は付け加えましたが。
伯父が亡くなったとき8歳だった私には、伯父との記憶があまりありません。
今となっては叶いませんが、もっともっといろんな思い出を作っておきたかった。
でも、数少ない記憶の中の伯父はたいてい笑顔です。
今、伯父が生きていたら。
私は伯父とどんな話をするんでしょうか。
長くなりましたが、私にとっての忘れられないクリスマスプレゼントの話でした。
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