何故死んでしまったの…祥一郎の生きた証

私は2015年12月28日、20数年共に暮らした伴侶である祥一郎を突然喪いました。このブログは彼の生きた証です。

祥一郎の存在しない今…………

2016年03月05日 | 死別体験
祥一郎…………

意味もなくつけっぱなしにしているテレビの、くだらない恋愛ドラマの台詞に、


「私は貴方無しでは生きていけないの。」

などという台詞が聞こえてくる。

何かしら、その台詞のみがおっちゃんの頭の中を廻っていく。

これまで生きて来て、まさかそんな心持になろうとは。お前を喪ったことによって。


なんとか朝起きて仕事に行き、レベルの低い仕事しかできず、誰彼なしに暗い顔を向けて接し、上司同僚後輩にも最低限の業務連絡のみしか交わさない。社会人のはしくれにもならないような
仕事ぶりを晒している。

部屋に帰って来ては、どうでもいい小さなコンビニ弁当を餌を喰うように食み、酒ばかりをあおり、
何をするわけでもなく、祥一郎がいつも座っていた椅子に座って、溜息と涙をこぼす。

そんな毎日の繰り返し。


いや、何もしていないわけではない。

祥一郎の残した、ブログやツイッターの言葉を繰り返し読み、パソコン上のお気に入りをひとつひとつ確認していく。あの子は私の知らないどんなことをしていたんだろうと、必死になってその世界に浸ろうとしている。


そしてそんな事をすればするほど、祥一郎はもう居ないのだという現実を思い知り、更に悲しみと喪失感が大きくなっていく。


祥一郎…………


言うまい、言うまいと自制しようとするのだけれど…………


死んでしまいたいんだよ…………

おっちゃんはお前無しでは生きていけない……死んでしまいたいんだよ…………


突然頭の血管が切れて倒れる、心臓マヒを起こす、或いは不慮の事故に遭う、通り魔にでも刺される、そんなシチュエーションばかりを考え、望んでしまうんだよ。

自ら命を断つ勇気も行動力もない故の、愚かな願望…………

自ら命を断つ…………やってしまえば簡単なことなのかもしれない。

祥一郎よ…………おっちゃんはそのような方向に行くかもしれない、ひょっとして。

人は魔が差すということがあるというからね。


祥一郎………今だけがこんなに辛いのかもしれない。

多くの人が言うように、やがてお前の想い出を抱きつつ、再び人生を歩み出す日が来るのかもしれない。
時というものはその約束を違えないのだろう。


でも………でも………そのいつまで続くかわからない、「今」が、おっちゃんには辛すぎるんだよ…………


祥一郎よ…………お前がまだ生きている私に影響を及ぼせるのなら、お前は私をお前の居る世界へ誘おうとするのだろうか。それともそれを押しとどめようとするのだろうか。

多くの人は、後者だというのだろうな………

「おっちゃん、僕の分まで生きて。僕の歩めなかった人生を歩んで。」そう言ってるよと、多くの人は言うのだろうな。

いやだ!嫌なんだよ!おっちゃんはお前と生きたかったんだ!おっちゃんはお前と人生を歩みたかったんだよ!


祥一郎………お前がもしそう思っていたとしても、おっちゃんはお前の居ない「今」が、いつまで続くかわからない「今」が耐えられないんだよ…………


祥一郎よ…………お前の存在しない「今」が………どうしても耐えられないんだよ…………

神も仏も無いんだね……

2016年03月05日 | 死別体験
祥一郎…………

言って無かったけど……伝えない内に、お前は逝ってしまったけれど………

去年の秋、10月頃だったかな、初めて日光に行って来たんだよ。


とあるSNSで知り合った、同じ在日コリアンの社労士をやっている女性と逢いにね。相談も兼ねて。

もうかなり長くやりとりはやっていたんだけど、初めて宇都宮で会う事が出来た。

その人に「日光に行ってみたいな。」と言ったら、

「案内しましょうか?」って言ってくれて、一度も言ったこと無かったから御好意に甘えることにしたんだ。


日光の社寺や華厳の滝は、平日だというのにけっこうな人だかりで、色々見て回ったけど、まあやっと「けっこう。」と言う事が出来ると、その時は思ったんだ。

本宮というのかな、そこでお祈りしたんだ。

「…………どうか贅沢は言いません。平穏な毎日が続きますように………。」って。
お守りの鈴も買った。


帰りの車の中で、その社労士の女性に色々相談したんだ。

仕事が大変で、生活が苦しい事、

お前が病気がちで、なかなか働けないこと、

もう20年以上一緒に住んでるから、今さら別れられないこと等々。

そしたらその女性が、「もういっそのこと、養子縁組したらどうですか?」

って言われた。

お前と養子縁組………

今までときおり考えたこともあったけど、くわしく手続きや条件などはまだ調べて無かった。

「養子縁組なんて複数の人とも可能だし、扶養家族として税金も控除されるし、安い都営住宅にも申し込めるし、けいさんの職場の社会保険にも入れるでしょ。そのパートナーの方、身体が弱いならなおさらじゃないかしら。」

なんて話になった。

その提案を受けておっちゃんは、ちょっと本気で考えてみようかなとその時思ったんだ。

それから数日してからお前に「養子縁組って、この際だから考えてみない?本籍地から戸籍謄本取り寄せることから始めない?」

って言って、女性から言われたメリットも含めてお前に話したよね。覚えてると思うけど。


まあお前の養父(実は実父だったけど)の事も有るし、すぐには決心つかないだろうから、おっちゃんは少しずつお前を説得して、少しずつ動いてみようかなとも思っていたんだ。

だって、おっちゃんはお前とこの先もずっと暮らすはずだと確信していたんだもの。


まさか、それから二か月後にお前があんなことになるなんて……………


その社労士の女性から、「あの時車中で話したことが思い出されて大変残念です………」

っていうメールがきたよ。
その後うちに来て、御線香も上げてくれた。


もっと早くにお前と養子縁組してたら、お前とおっちゃんの人生はどうなっていたかな。

たいして違わなかったかもしれないし、少しは生活しやすくなっていかもしれない。お前の身体に使う費用も少しは確保できたかもしれない。

それはもう今更わからないけれど…………


ただ、おっちゃんとお前は家族だけれど、法的には何の保証もない関係だったからね。

そう言う面では不安が無かったと言えば嘘になるかもしれない。


でももう、法的どころか、お前はこの世に居なくなってしまった………

小さな壺に入って、小さな箱のような仏壇に座って………おっちゃんに毎日線香を上げられる存在にお前はなってしまった………

そしておっちゃんはその前で、来る日も来る日も泣いている…………

様々な後悔や自責の念にかられながら………


祥一郎………

あの時日光で、「平穏な生活が続きますように………」っていうお祈りは、結果的に最悪の形で叶わなかったことになってしまったね………

祥一郎……

やっぱり…………俺たちには、神も仏も無かったのかな………

悔しいよ、切ないよ…………悲しいよ………………