何故死んでしまったの…祥一郎の生きた証

私は2015年12月28日、20数年共に暮らした伴侶である祥一郎を突然喪いました。このブログは彼の生きた証です。

私は何をやっているのだろう・・・・・何をするべきだのだろう・・・・・・・・

2016年03月17日 | 死別体験
酒を飲んで眠ると、祥一郎の夢を見る確率が高い。

心療内科のヤブ医者には「今の精神状態を治すなら、お酒を止めるかひかえてください。今は良い薬があるから、それで治した方がいいですよ。」

と言われている。


確かに飲んだ後の朝は、恐ろしいほどの喪失感に襲われ、あいつが居ないことを思い知らされる。
酒臭い涙が、後から後から零れることも多い。


私は弱い・・・・・・・

それでもあいつに逢いたいがために、きょうも酒をあおる・・・・・

酒が見せる夢なんて、幻影かもしれないという思いもよそに・・・・・


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祥一郎は医者からもう見離されていた。

余命いくばくもないことを知らされいた。

それでも腹水の溜まった腹部がいくらかマシになって、これはひょっとしてと思い、私は近所の病院に連れて行くべく、二人で歩いている。祥一郎の身体を支えながら。


しかし、近所の筈の病院の途中の道が工事中で通行不可であったり、知っているはずの場所が分からず迷ったり、二人でうろうろと彷徨っている。いつまで経っても病院に辿りつけないのだ。


彷徨っている内に、目の前に斜めになった祥一郎の遺影が目に入る。

夢から覚めた・・・・・・


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今朝のこの夢のメッセージを読み解こうとするのは止めようと思う。

読み解いていも、あまりに悲しい意味にしかならないような気がするから。




先ほど髪を切りに行った。

担当してくれた若いお兄さんに珍しくなにくれとなく話しかけた。

(このお兄さんが、俺の心の穴を埋めてくれないかなあ)などと、有り得もしない妄想を抱きながら
髪を切ってもらった。


そして帰りにクリーニング店に寄り、祥一郎の残した服を受け取りに行く。
今、少しずつあいつの残した服をクリーニングに出して、整理している最中だ。吊るしたままで埃にまみれるままにしたくないから。

それに何の意味があるのかと問われれば的確な答えは出せないけれど、今はそうしたい。


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私は何をやっているのだろう・・・・・・

日々やっていることに一貫性が無いような気がする。


祥一郎の為にやっているのか、自分の為にやっているのか、それすらわからなくなりつつある。


でも、何かをやっていないと祥一郎に対する罪悪感や贖罪感がまた膨れ上がるような気がして、結局思いついたことをやっている。


こうして身体も心も彷徨う・・・・・・・・・・・・・

これが喪失体験というものなのだろうか・・・・・・・・・・・・

いつ終わるとも知れない・・・・・・・・・・・・・・・・・

おっちゃんを起こしたのは・・・・・・・・・・・・・・

2016年03月17日 | 死別体験
午前3時・・・・・・・・・・・・

おかしいな・・・・・・最近毎日睡眠導入剤を飲んでいるが、この時刻に目が覚めることなどなかったのに。


尿意をもよおしたので、ついでにトイレに行っておこうと向かうと、気付いた。



クロが居ない。

あれ?昨夜居間の座イス、祥一郎がよく座っていた座イスに居たはずなのに。

部屋中呼んでも返事が無い。


そうだ、思い出した。

夕べ寝る前にゴミ出しに行った時、クロも一緒に表に出てしまって、そのまま締めだしてしまったんだ。


季節は移ろい始めているとはいえ、まだこの時期の深夜は寒いだろう。

ドアを開けて呼ぶと、クロが一目散に部屋に逃げ込んで来た。

その後安心したように丸くなるクロ。

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祥一郎、お前がおっちゃんを起こしたんだね。

「おっちゃん、クロが寒がって表で鳴いてるよ。」と

枕元のお前の遺影が、そう言っている。


祥一郎・・・・・・・・クロの冬毛が抜け始めているよ。

この時期いつもお前は

「もう、あちこちクロの毛が落ちててかなわんわ。うちの服にもびっしりつくし。」

とぼやいていたね。


季節は確実に移ろっていく。


でも、祥一郎・・・・・・・・・・お前は居ない・・・・・・・・・・・・・・・・