何故死んでしまったの…祥一郎の生きた証

私は2015年12月28日、20数年共に暮らした伴侶である祥一郎を突然喪いました。このブログは彼の生きた証です。

孤独という怪物

2016年03月13日 | 死別体験
寂しい………

淋しい、寂しいなんて感情が、これほど辛く苦しいものだとは………



私は10代の頃から独り暮らしを始め、それから30代半ばまで気ままで、好き勝手な生活を送ってきた。

食事をするのも、眠るのもひとり。


部屋で一人でいても、人の温もりがほしいなどと感じた事もなかったような気がする。


好きなものを食べ、好きなテレビ番組を観て、退屈になれば出掛けて行って友人の店へ飲みに行く。

そしてたまには一夜限りの遊びの相手を探して発散したり、映画を観たり。

本当に自由気ままに、独身貴族……とは言えないまでも、ひとりきりの生活をそれなりに楽しんでいた。

そんな生活に何の疑問も抱かず、このままずっと続くものだと思っていた。


なので、どんなに思い出しても寂しくて仕方ないという感情を殆ど抱いたことが無かったと記憶している。




そう、祥一郎と出逢うまでは。

そして、20数年ともに過ごし、心の底からに家族と思えるようになり、その宝石のような生活が突然終わって、また独りになってしまった。

なに、また20数年前までの生活に戻るだけさ………などと間違っても思えない、この途方もない喪失感と寂寥感。

この身が血だらけになって、引き裂かれるような思いの寂しさ。


祥一郎………


おっちゃんはもう何度も言うように、お前と出逢う前には戻れない………

この恐ろしい、巨大な孤独という怪物の顎との闘いには、勝つ見込みが無いのはわかっているんだ。

ならばその闘いから逃げるか………

勝つ見込みが無いと分かっていて闘って、心身を滅ぼすか………


ねえ祥一郎……

どうすればいいと思う?答えておくれ………



寂しいよ………祥一郎………

寂しい、孤独だという感情しか抱けずに、他の感情はいっさい抱かずに、たったひとりの休みの日が暮れていくよ・・・・・・・・

なんで、なんで死んでしまったの・・・・・・祥一郎よ・・・・・・・・・

貧乏がお前を死なせたのか……祥一郎・・・・・・・・・・

2016年03月13日 | 死別体験
祥一郎………

お前のツイッターを読んでいたら、こんなつぶやきがあった。


お前の言うとおりだね。

お前とおっちゃんは一緒に暮らしても、ずっと貧乏だったものね。

お金が無くとも、事情が有って働けなくとも、なんとか医療の恩恵にあずかれる社会だったら、お前はこんなに早く逝ってしまうことも無かったのかもしれない。


お前の状態が悪化していった時、お前はこの社会の医療制度を恨んだのだろうか………


おっちゃんは恨んでいるよ。

貧乏を。貧乏だとろくな医療にもかかれないこの社会の制度を。

お前が死んでしまったのは、明らかに貧困も一因に違いないと思うから………

食べて行くのがやっと、家賃を払っていくのがやっとの生活………お前が体調を崩す度、さてどうしたものかといつも二人で悩んでいた………


そしてなんとなく市販の薬などでやり過ごしていく内、お前の身体は徐々に蝕まれていったのか………

それを考えると、やるせなくて悔しくて、そしておっちゃんの甲斐性の無さも含めて、どうしようもなく情けなくなる………


ごめんね、祥一郎…………

おっちゃんには貧乏と戦い抜く力が無かった………

お前を、貧困からくる病魔から守ってやれなかった………


そんなおっちゃんの傍に…………お前はいつも居てくれた………


おっちゃんを助けてくれたのは、守ってくれたのは………祥一郎、お前だったのだね。


ありがとうね………ありがとうね………ごめんね………ごめんね……

祥一郎…………