何故死んでしまったの…祥一郎の生きた証

私は2015年12月28日、20数年共に暮らした伴侶である祥一郎を突然喪いました。このブログは彼の生きた証です。

シャム猫のレイコと祥一郎

2016年03月19日 | 喪失感
祥一郎・・・・・・・・・・・・・勿論覚えているよね。

お前が一番可愛がっていたシャム猫のレイコのことだよ。


レイコを飼いだしたのは、お前と知り合うかなり前だったと思う。おっちゃんがまだ大阪のスナックで働いていた頃、お客さんに貰ったんだ。

猫を飼うのはおっちゃんは初めてで、色々苦労したよ。
気が強い猫で、ちょっと餌をあげるのが遅れると、あちこちにオシッコかけたり、ウンチしたり。

でも寝る時は必ずおっちゃんの布団にもぐってきて、腕に頭を乗せて寝てたな。

その後東京で働くことになり、一時的に知人に預かってもらうことになった。でも一時的だったはずが、何年もあずけることになってしまったけどね。


そして東京でおっちゃんは祥一郎と出逢う。
何年か一緒に暮らし、お前は散々迷った揚句、再度大阪に舞い戻ることになったおっちゃんについてきたね。
そしてレイコと出逢うんだ。

もうその頃はレイコもかなり歳を取って、目も殆ど見えなくなっていた。

それがいじらしかったのか、本来の飼い主のおっちゃんよりも、お前はそれこそレイコを猫かわいがりしていたね。

お前とおっちゃんが喧嘩すると、

「おっちゃんには大阪に友達ようさんおるけど、おっちゃんが居らん時はうちにはレイコしか話相手がおらんねんで。」
なんて泣いて言ってたこともあったっけ。

当然レイコはお前に一番なつくことになる。寝る時もいつも一緒。

おいたをしたレイコをおっちゃんが怒ると、お前がいつもかばってた。


しかし何年か一緒に過ごした後、レイコは乳がんになってしまう。

病院に連れていったけど、切除してもまた再発すると言われて、どうしようもなかったね。

日に日に弱っていくレイコに、お前は付きっきりだった。

そしてある日、おっちゃんが仕事から帰って来てすぐにレイコは息を引き取った。

「おっちゃんが帰ってくるのを待ってたんやで。きっと。」なんてお前は言ってた。

その後のお前の悲しみようったら、なかったね。

死んだレイコにはろくな事をしてやれなかったけど、お前はレイコの爪を切ってそれを後生大事に持っていた。


東京に舞い戻って来ても、お前は毎朝必ず自分の母親と、レイコに水を挙げて、線香立ててたね。

レイコはおっちゃんを通して、祥一郎、お前と出逢ったことは良かったのかもしれない。


おっちゃんの生活が安定しないのでレイコにも苦労をかけたけど、お前と出会えて少しは一生を穏やかに終えたんじゃないかと思ってるよ。



おっちゃんはたまにレイコの夢を見ることがあった。いつも黒い間深い帽子をかぶって、手には長い黒い手袋をしているんだ。人間の形をしているけど、何故かレイコだってわかるんだ。

その話しをお前にしたことは無かったけど、ある日お前がレイコの夢を見たって話をし出して、その中に出てくるレイコの格好がおっちゃんが見たものとまったく同じだったのはびっくりしたよ。

「おっちゃん、レイコはまだうちらの傍におるんやで。」なんてお前は言ってたね。

気の強い、念の強い猫だったから、或いはそうなのかもしれない。


祥一郎・・・・・・・・・・・・・・・

そしてお前も天に召されていった・・・・・・・・・・・

レイコと逢ったかい?きっと逢えたよね。そしてお前は抱き上げて、きっとまた猫かわいがりしているんだな。


祥一郎・・・・・・・・・たった一人で生きて行くことになったおっちゃんは、そっちの世界の方が楽しそうに思えるよ。

だから・・・・・・もういつ死んでもいいんだ・・・・・・・・・・・・
55年はそれほど長い人生では無いと思うけれど、もう目いっぱい苦労したし、嫌な事もたくさんあった。もういいんだよ・・・・本当に・・・

唯一お前と過ごした年月だけが、人間らしい穏やかな生活だった。

お前が満面の笑みを浮かべてレイコと遊んでいる姿を、おっちゃんも微笑みながら傍で見てみたいな・・・・・・・・・・・・・。

味気ない夕餉

2016年03月19日 | 死別体験
昨夜、ちょっとした料理を作った。

コンビニに弁当を買いに行く気力もなく、出前のパンフレットを見ても食欲をそそるものもないので、
よく作っていた、玉子とトマトの中華風の炒め物と、大根の味噌汁。

祥一郎が居た時もたまに膳に出した料理だ。


ところがそれが、味覚がおかしくなったのではないかと思うくらい、不味いのだ。

いや、不味いというのは正確じゃないな。

食事をしているという感覚が希薄なのだ。それこそ砂を噛むような味というか、餌を食んでいるというか。

つくづく味覚というのは、環境に左右されるんだなと感じた。


二人で暮らしていた頃は、美味いの不味いの言いながら、たわいもない会話をしながら、それでも炊いたご飯を全部平らげ、そこそこ満腹になるまで二人とも食事を堪能していたのだということを改めて理解した。


共に食事をしていた伴侶が突然居なくなってしまった環境で食べるたったひとりの夕餉。

献立を考える喜び、美味しくなれと思いを込めながらする料理、そして同じテーブルで共に食べるということ、そういう環境がもう無い今、私の食事は未来永劫こういうものなのだろうか。


それでも何かを腹に入れないと仕事に差し障りが出るかもしれないので、無理矢理口に押し込んでいる。仕事をする意味も分からなくなってしまったのに・・・・・・・・・・・

もういっそのこと、ガスコンロも調理器具も食器も全部捨ててしまおうかとも思ってしまう。


祥一郎・・・・・・・・・

お前と食べた食事は、例えちょっと失敗した料理でも、ぶつくさ言いながらでも、人間の食事だったね。

お前と出逢う前は、普通に一人で食事ができていたのに。

やっぱりもうお前と出逢う前には戻れないんだな。


祥一郎・・・・・・・・・・・・・・

おっちゃんは空腹だよ。お腹がではなく、心が空腹だよ・・・・・・・・・・・・・・

祥一郎・・・・・・・・・何故死んだ?おっちゃんをひとり置き去りにして・・・・・・・・・・・・