何故死んでしまったの…祥一郎の生きた証

私は2015年12月28日、20数年共に暮らした伴侶である祥一郎を突然喪いました。このブログは彼の生きた証です。

ハンバーグが好きだった祥一郎

2016年03月20日 | ひとりぽっち
肉は合びき肉。

少し牛肉の割合が多い方がいい。

そしてまず玉ねぎを炒める。別に茶色に甘くなるまで炒めない。すこし歯触りが残るくらいに炒める。

それを常温なるまで冷して、その後肉とパン粉、卵、酒、ナツメグ、塩コショウ、隠し味に少々の砂糖。

それらを手でよーくこね混ぜる。

混ぜたら小判型に成型して、かなり大きめのものを二つ、バットにおいて味が馴染むまで放置。

その間に付け合わせの人参のグラッセを作る。

レストランで出てくるシャトー型なんかじゃない、厚切りに輪切りにしたものを、ブイヨンと砂糖で煮て、甘めに仕上げる。

そしていよいいよ小判型の肉を焼きはじめる。

真ん中をちょっと凹まして、焼きムラができないように。

焼いて縮んでも、かなり大きい。まくらみたいな肉塊だ。

焼き上がったら、今度は同じ焼いたフライパンでソースを作る。日本酒、ウスターソース、ケチャップ、醤油を、肉汁の残ったフライパンでとろみがつくまで煮込む。

皿に人参のグラッセを添えて、ソースをかけておっちゃん特製のハンバーグのできあがりだ。

汁はなめこのみそ汁が多かったかな。お前、なめこも好きだったから。キャベツでコールスローを作ることも有ったな。


祥一郎・・・・・・・

お前はこれが好きだったね。おっちゃんがお前につくった料理で一番頻繁に出てきた料理かもしれない。
おっちゃんのオフの日には、何十回、何百回作ったかしれない。だってお前のリクエストで一番多かったから。

お前の味覚はわりと子供だったかもしれない。

お前はこのハンバーグをおかずに、米の飯をばくばく食べるんだ。でも半分くらい残して、翌日おっちゃんが仕事の夜は、それを一人で食べる晩飯にしてたね。

おっちゃんはそんなお前の、ハンバーグを食べる様子が好きだった。


お前が亡くなってから、もう三ヶ月が経とうとしている。

一度もあのハンバーグは作ってないよ。作る理由がないからね・・・・・・・・・・。

お前はもう食べてくれないのだから・・・・・・・・・・


これから先、友人知人と洋食屋やファミリーレストランで食事することはあるかもしれない。

でも多分ハンバーグは注文しない。きっと思い出して泣いてしまうに違いないから。


祥一郎・・・・・・・・・・

お前はあっちへ行って、おっちゃんのハンバーグを懐かしんでくれてるかい?もう一度食べたいと思ってくれてるかい?

祥一郎・・・・・・お前の為に、また料理を作りたい・・・・・・・・・・

仏壇に供えるのではなく、お前に本当に食べさせてやりたい・・・・・・・・・・・・・



いつか、いつか本当にまた逢えたなら、今度は最高の材料を揃えてお前に作ってやりたいな。

もしそれが本当に叶うのなら・・・・・・・・・・・・・・・・・・

トタン屋根の二人の愛の巣 そして運命の気まぐれ

2016年03月20日 | 死別体験
(※写真は二人で暮らした東京谷中に有ったトタン屋根アパートの跡地。もう何も無くなっている。)

祥一郎と初めて一緒に暮らした、戦後焼け残ったような、トタン屋根のアパート。

申し訳程度についているキッチンと、後でつけたしたようなベニヤ張りの狭いトイレ、そして6畳一間の部屋。


隣の住人の話やトイレの音まで丸聞こえで、雨の日はうるさいほどの雨音が天井に響いていた。


東京は谷中にあった、初めての二人の愛の巣。

いや、愛の巣というわりには、あまりにも粗末な部屋だったけれど、確かにあの頃はふたりは恋人、ステディと言っていい関係だった。

同じ布団で眠る時、あいつは首を挙げて私の腕枕を催促する。そして眠りに入る時は必ずお休みのキス。

私と祥一郎にもそんな時期があった。なにしろ知り合ってまだ数年だったのだから。


「おっちゃん、好きから。」なんてよく言われたものだ。好きだからではなく、「好きから。」。

それに若干戸惑いを覚えた事も有る。なにしろ人にそれほど愛されたことがなかったから・・・

二人で毎日銭湯に行き、貧しい食事をし、せまい部屋で肌を寄せ合って座り、あいつの好きなドラマに付き合わされる。そして同じ布団で身体を寄せ合って眠る。


そして休みが合えば、ミュージカルを見に行く、夏にはプール、ディズニーランド、映画もそれなりに観たと記憶している。
泊りがけの旅行は、結局一回しか行けなかったけれど。


あれから年月が経つうちに、まあいわゆる倦怠期の夫婦のようになったけれど。


いや、私にとっては倦怠期ではなかったかもしれない。

人ひとりとこんなに長く暮らしていく内、一人暮らしにはもう戻れないまでになっていったのだ。

ひと一人のパワーというのは凄いものだなと思う。

存在そのものが、他人の生活感価値観を変えて行くのだから。この保守的で頑固な私でさえ。

そうなのだ。「肉親とだって暮らしたくないのに、他人と一緒に暮らすなんて鬱陶しくてまっぴらごめん。」と思っていた私の人生観を、祥一郎は変えたのだ。


いや、家族を持つというのことはそういうことなのだと、理屈ではわかっている。

しかしゲイである私が、一人で無頼に生きて来た私が、まさか家族と思える存在を得るとは。
運命というものは気まぐれなのか、面白がっているのか・・・・・・


そしてまた運命に翻弄されることになる・・・・・・・・・・・・・・


たった一人の家族と死別するという、運命の気まぐれに翻弄されることになったのだ・・・・・・


私は、もし運命を司る存在があるとするならば、それを憎む。こんな気まぐれで面白がっているような運命を私たち二人にもたらした、それを心の底から憎む。