何故死んでしまったの…祥一郎の生きた証

私は2015年12月28日、20数年共に暮らした伴侶である祥一郎を突然喪いました。このブログは彼の生きた証です。

何の為に生きる・・・・・・わからないよ祥一郎・・・

2016年03月06日 | 死別体験
祥一郎…………

きょうは遅番で帰りが遅かったのに、明日人が居ないから早番で来てくれってさ、職場から。

馬鹿馬鹿しい。

おっちゃんは何のために働いているんだろうね。

別に好きで選んだ仕事でもない、まったく向いてない、過酷なばかりで給料なんて全ての業界で最底辺の仕事。

お前が居たなら、まだそれでも耐えられたのかもしれない。



今この仕事をすることに、何の意味が有るんだろう。

毎日動物園の餌のような小さなクソ不味い弁当を喰うため?家賃光熱費を払うため?

取り敢えず呼吸するため?とりあえず生存本能を満たすため?



それとも…………それとも………生きてお前の生きた証を残すため?

考える…………

祥一郎、お前の生きた証を残して、おっちゃんはそれで満足なんだろうか。

誰が喜ぶんだろうか。

いや、誰かに喜ばれる必要があるんだろうか。

どうせお前の死も、いずれ訪れるおっちゃんの死も、何も無いことにされる。

それならば、二人の生活があったこと、確かな絆があったこと、家族として暮らしたことは、二人だけが知っていればいいじゃないか。


誰かに二人のことを思い出してもらう必要もないし、ましてや憐れんで貰う必要もないし、それによって二人で歩んだ人生が何か変わるものでもないよね。


祥一郎………違うかい?


ならば何故こんな日記を毎日おっちゃんは書いているんだろう。

何故もうすぐ訪れるお前の四九日の準備をしているんだろう。

矛盾しているよね。


誰かに知って欲しい、誰かにお前の生きた証を覚えていて欲しい。それ以外の理由が無いじゃないか。


おっちゃん、今は答えが出ないよ。

ただ世間の人並みに事を行っているだけなのかもしれない。何かをしていないと気が狂いそうになるから。



祥一郎………お前はおっちゃんに、本当は何をしてほしいんだい?答えておくれ………


葬式や法事、一周忌等々、それは生きている人達の為に行うもの。それは確かに真理なんだろうね。


死人に口無し………希望は伝えられない。


祥一郎…………やっぱりおっちゃんはお前の処へ行って、お前の真意を聞きたいんだよ。


こんな、こんなお前の居ない、腐った現世なんかいつでも捨ててやりたいんだよ…………


祥一郎………逢いたい………でも逢えない………逢いたいよ…………