何故死んでしまったの…祥一郎の生きた証

私は2015年12月28日、20数年共に暮らした伴侶である祥一郎を突然喪いました。このブログは彼の生きた証です。

ひとりぼっちのこの街で

2016年03月14日 | 死別体験
祥一郎…………

きょうは北風が強くて寒いよ…………冷たい雨が降っているよ。


お前はこの部屋で温かくして過ごすんだよ………そう言えたら………そして寒さに凍えた私をお前の存在が温めてくれたら・・・・・・・
しかし、無情な雨と風は止まない・・・・無情なこの街の・・・・・・・・・・・




何の所縁も知人も居ないこの東京の片隅のこの街に来た時、不安と少しばかりの期待とを胸に抱いて駅から歩を進めた。


お前とふたりこの街で生きて行くんだと。


そもそもふたり一緒でなければ、こんな選択はしなかったと思う。

お前が居てくれたからこそ、見知らぬ街でも生きて行く気になったんだ。

何があっても、お前と二人支え合えると思ったから、この地で働くことにしたんだ。


でも、でもその若干の期待は裏切られ、失業し、その日暮らしをし、鬱になり、この街に来てからも散々だったね。


それでもお前は傍に居てくれた。


おっちゃんはまた新たな仕事を見つけたけど、決して好きだから選んだのではない。学歴も手に職もなく他に雇ってくれる業界はまず有り得なかったから。
働き甲斐もなく、低賃金で、希望もなにもない仕事を、ただ息をするためだけに続けている。


そんな中、お前は突然逝ってしまった………お前と暮らしていけるなら、今の仕事を続ける意味も有ったのだろう。


祥一郎………この東京は、東京という街は、こんな貧困に喘ぎながら、そしてたった一人で暮らしていけるほど甘い場所ではないよね。
人ばかり多くて、そのくせ見知らぬ他人には警戒を隠さない。笑顔で付き合っているように見えても、実のところ陰で何を言っているか知れたものではない。他人のことを見て見ぬふりをする人がひょっとして世界で一番多い街ではないか。

それはお前も分かっていると思う。

おっちゃんの今の状態で生きて行くには、或いは世界でもっとも過酷な街かもしれない………



祥一郎………おっちゃんはその泥濘のような海に、お前が居なくなったことで放り出されてしまったよ。その海の中でもがきながら、叫びながら、悲鳴をあげながら、泣きながら………

お前の名を叫びながら…………


祥一郎おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!


戻って来ておくれよ…………傍にいておくれよ………何も言わなくてもいい………
お前が黙って座っているだけでいい………隣で寝ているだけでいい………



祥一郎………

来てほしくなかった12月

2016年03月14日 | 死別体験
祥一郎……………おはよう。

お前とたいし君とのツイッターでのやり取りの中で、こんな呟きをみつけた。

まさに去年の7月頃のものだ。

12月…………こなくてもいいって呟いているね。


お前は何かを予感していたのかい?

それともなんとなくつぶやいたのかい?


夏よりも冬が好きだったよね。日焼けするのは大好きだったくせに………

それでも去年の12月は来てほしくなかったのかい?



本当に、二人にとっても来てほしくなかったね……………


一生忘れられない、悲しい悲しい12月になってしまったよ………


おっちゃんはあと何回12月を迎えることになるか分からないけれど、それが来る度どんな思いですごすことになるんだろう…………


まだ冬は続いているよ…………お前とのあの12月の永訣から始まった、悲しく辛く寂しい冬が………


きっと、おっちゃんが死ぬまで…………


祥一郎…………また涙で画面が見えないよ…………