毛津有人の世界

毛津有人です。日々雑感、詩、小説、絵画など始めたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

描くことが楽しい

2025-02-06 16:27:45 | 人物画

僕が初めて日本女性を美しいと思ったのはこの人だったのではないかと昨日ふと頭に浮かんだのである。おそらくは昨日見た溝口監督作品『祇園囃子』のせいかもしれない。しかし幼いころから東映殿様劇で何度も美しい人だと思ったことがあるのも事実なのだ。調べてみれば彼女は大卒のインテリなのだ。あの時代に大学まで進む女性がいたとは知らなかった。1918年の誕生だから中国への侵略戦争が始まるころに大学にいたことになる。僕はどうしたことかこの人が近衛十四郎の奥さんで松方弘樹や目黒祐樹のお母さんだったと長い間思っていたのだけれど、全く見当はずれであることを昨日知った。著書も出版しているし、犯罪者更生のための保護司もしていたと知って頭が下がった。また日本女優のリストが増えてしまった。

5時間経過。

4時間経過。

3時間経過。

 

2時間経過。 2/09

野菜の高値のためにこの2か月ばかりカレーばかり食べていたのだけど、月曜日に買い出しに行ったら大根138円白菜338円と手ごろな値段になっていたのでやっと鍋が食べられるようになった。これで一週間は食いつなげる。嬉しい限りだ。

 

 

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美術館に住む

2025-02-06 13:24:06 | 2025年最新作

極貧家庭の我が家には家具も電化製品も何もないのだけど壁には世界の名画のコピーが所狭しと数百枚並んでいる。すべてDIYによるコピーで印刷物ではない。今は日本の名画10枚を描いている。2レイア進んだのであと10時間でこれらのタイムトライアルが終了することになる。トータルで30時間で10枚の日本の名作を仕上げようというのである。無茶苦茶な試みだと思うだろうけど、ほかの日常生活の動きがすべてスローになってしまった後期高齢者にとってはこのタイムトライアルがカンフル剤になっている。認知症予防として働くだろうと確信している。買い物に出てみたが5度と言う低温乍ら日差しが以前より強くなっているのでさほどの寒さを感じなかった。児童公園を横断して子供たちの遊び方が実に貧弱になっているの哀れにおもった。小生の時代の子供たちはもっと男女丸まって群れてダイナミックに遊んだものだ。お正月ともなればもう2週間ほど前から指折り数えて正月の楽しみを心待ちにしたものだ。大人も子供も一緒になって遊んだものだ。そんな日本の伝統的な遊びは現在見事なまでに日本社会から絶滅してしまった。遊びといえばマスコミや地域、企業が主催するイベントに参加するだけで少しも本人たちの自発的な行為はみられない。どうしてほかの人間がしつらえた催しにぞろぞろついていくだけで満足していられるのか僕にはさっぴりわからない。

 

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レンブラントに学ぶ

2025-02-06 07:57:38 | 名画模写

昨夜はマイナス1度だった。そして今朝はマイナス2度である。それでもまだ暖房を使っていない。これは精神力のなせる技だ。ストックホルムの友人はあらゆる意味において僕の真似は出来ないと言っている。彼は30年前に初めて僕が親しくなった西洋人で頻繁にマレーシアで友情を交歓してきた。非常にハンサムで現地ではいつも女性の人気を集めている。彼は僕と同じ165㎝の身長ということで彼の祖国では彼のサイズに合う女性が少ないのでそれで年に一度の長期の夏休みはマレーシアで過ごすというわけだった。僕が描いた彼の肖像画をご披露したいところだけど今日は彼の話が主題ではない。レンブラントの話がしたいのである。ご承知のように彼は若くして肖像画家として大成功を納めるわけだが、図に乗りすぎて無茶苦茶な破廉恥なことをするようになって顧客から総スカンを喰い自己破産に陥り、晩年は息子の世話になるまでに貧窮したらしい。しかしこの人ほど美術史上有名な人も少なく今もレンブラントという超高級な画材ブランドのイメージを支え続けている。僕が彼の作品に初めて接したのはリスボンのグルベンキアン美術館 Museu Calouste Gulbenkian · 毎週日曜日 14:00~入場無料!で二つの大作に出会いあまりの衝撃に一時間余り動けなくなった。どちらも人物を描いているのだけど他の画家の作風とは全く異なるのだ。絵の具の盛りようもまったくちがうわけである。その迫力には見るものを圧倒する迫力があり、僕は夢中になってなめるようにして近くで運筆を確認していたら警備員からもっと離れて鑑賞しろと注意される始末だった。日本の美術館なら鎖でおおわれて1メートル以内には近づけないものだが、外国の美術館は本当に鑑賞する者にとってはありがたくできている。そして日曜日はフリーで公開しているのだ。日本の文化関係者なら日曜日こそ稼ぎ時だと言って、絶対にこんな恩典はもたらさないものだ。ここに日本社会の文化に対するいじましさと貧困と民度の低さが現れるわけだ。

そんなわけで彼の作品に圧倒された僕は翌日から彼の模写を始めた。一部をご覧いただきたい。

 

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