毛津有人の世界

毛津有人です。日々雑感、詩、小説、絵画など始めたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

典子のこと その3

2025-02-22 06:16:09 | マラッカ紀行

1年後いつものようにプールに向かって歩いていたら突然典子が目の前に現れたので驚いた。
「どうしたの。また戻ってきたんですか」
僕が質問をすると、彼女は、
「わたし結婚したの。今彼とこの街に住んでいるのよ」
と満面の笑みで答えた。

僕は彼女を一番近いコーヒーショップに誘い話の続きを聞いた。
「それはそれはおめでとうございます。素晴らしいお話ですね。ご主人はどんな人なんですか」
典子はいつどこでどのようにして二人が出会ったかを話し始めた。彼女は彼に一目惚れをしたというのである。その相手はギターを弾き歌う大道芸人だった。人種的にはインド人だった。

「今彼は法律家になるために猛勉強をしているの。試験に受かったら事務所をオープンするの。私は日本では教師として働いていたの。すでに自分の家も持っていたけれど、彼と結婚するためにすべてをなげうってここに来たわ。念願のマラッカに住めて私本当に幸せだわ」

僕は彼女がすべての生活コストを負担していることを想像した。この10年の間に似たような話をどれだけ聞いたことだろう。怠け者の一文無しが日本女性を誘惑して安逸をむさぼるというケースだ。僕は彼女のケースが例外であることを願わずにはいられなかった。


6か月後、僕は彼女から事務所開きの招待状を頂戴した。相手のインド人は映画スターのような二枚目で粋なタキシードに身を包んでいた。一方典子は赤い色が勝ったサリーを着て輝いていた。僕は彼女との会話を楽しみにして出かけたのだが、彼女はゲストをもてなすために大忙しだった。彼女はホステスというよりはメイドのように献身的に振舞っていた。僕は日本とは違った文化や慣習が支配する世界に一人で飛び込んだ彼女の勇気を思った。

それからもしばしば僕は典子とその旦那がマラッカの夕闇の中を歩いている姿を目撃した。しかしいずれもカフェの席からであったから彼らに声をかけることはなかった。

ちょうどマラッカでの生活が2年を迎えたとき、僕はまた軍資金と娘の養育費調達のために帰国し、タクシー運転手として死に物狂いで働いた。タクシー稼業は普通一日おきの13当務だが、非番の日に空きの車があればそれに乗って営業ができるのだ。こうすれば体はとてもきつくなるのだが、収入は確実に延ばせるわけだった。しかもこの度は会社のたこ部屋のような寮に入り日本での生活費を極力少なくした。その甲斐あって、僕はまた一年後にマラッカへ戻ることができた。久しぶりに友と飲み交わすと、

「秀実、君は典子のことを憶えているか」
と友が訊くのであった。

「もちろん、憶えているさ」
「知っているかい典子は今日本にいるよ」
「そうかい、おめでたなんだね」
「違うんだよ。彼らは別れたのさ」
「いったいどうしてなんだ」
「あの亭主は怠け者のアルコール中毒でよく典子に暴力をはたらいたらしい」
「どうしてそんなことを知っているんだい」
「マラッカは小さな街なんだよ」

それ以来しばらくの間は、たばこを吸うたびに典子のことが思い出されてならなかった。どうやら彼女の知性は彼女の人生に役立ったなかったようだ。彼女はたばこのみを毛嫌いするあまり酒飲みを選んだらしい。きっとこれに懲りて次回は酒もたばこもやらない相手を選ぶに違いないだろう。それはともかくとして、元気で再出発をしてほしいと願うのであった。完。


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