毛津有人の世界

毛津有人です。日々雑感、詩、小説、絵画など始めたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

after PIno Daeni ( 1939- 2010) Itarian-Amercian その3

2025-02-14 16:43:05 | 名画模写

昔は徒弟制度というのが一般で職人でも商人でも芸人でも政治家でもみんな師匠の家に住み込んでその技と知識を盗み学び、しかる後に独立するのが正道だったようだ。これは上手くできたシステムで親は年頃になった子供の夢を聞き、それに見合った師匠に預けれるだけですでに養育の責任を果たしたことになり、肩の荷を降ろせたのだから願ったりかなったりではないか。今のように大学までの学費や生活費を負担するなんざ僕のような稼ぎのない人間にはたまったものではない。僕は離婚後の娘の養育費として10年間で600万円送金したが、これは小生には荷が勝ち過ぎた。18歳で高校を卒業するのを機に養育費負担は免除してもらった。それでやっと自由になりポルトガルで暮らしたりカナダで暮らすことができたというわけだ。

僕はそういう徒弟制度時代の大工さんを何人も身近に見て来たが、今の大工さんはどうして大工さんになるのだろうか。やはり徒弟制度は今も健在なのだろうか。それとも職業訓練学校で技術を身に着けて適当な就職先を見つけるのだろうか。

僕は絵画の師匠に一度もついたことがないのでもっぱら模写と写生の一点張りだった。貧乏のどん底で絵を始めたのだからほかに方法がなかった。しかしこれが正解であったことを後に実感した。それで名画の模写こそは技術習得の最短距離だとみんなに勧めた。日本では漫画家として有名になったヤマザキマリさんが17歳でイタリアに放り出されて美術学校に学ぶわけだけど、やはり学校ではもっぱら名画模写に精をだしておられたようだ。だから名画模写がどれだけ有益であるかははかり知れないものがあると思っている。僕はPinoからたくさんのものを学んだ。今も学び続けている。これを中断することはないだろうと思っている。

 

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世界平和指数上位国

2025-02-14 07:20:43 | マラッカ紀行

以上、騒音、公徳心の欠如、怠惰について長々と書いてきたのだけど、それにもかかわらずこの国の住みやすさは格別で、どこを歩いていても何時であっても食べ物屋を探す苦労がない。そしてその安価なことは特筆ものだ。焼きそばにアイスコーヒーで普段は3リンギット(105円)だが、その半分で食べられる店もあったりして驚かされる。まず日本円で百円あればたいていのものが食べられる。僕は99%自炊をしているが、というのもそのほうが経済的だと思えるからで、10キロ18リンギット(630円)の米を二ヶ月かけて食べている。コーヒーはわずか35円だがこれも外で飲むのは節約のためになるべく控えている。しかし人々は平気で外食し、午後の10時まで開店している近代的なショッピングモールで遊んでいる。これがほとんど連日のことなのだから、日本人に比べていかに彼らが裕福でゆったりしているかということがわかろうというものだ。

 アジアの4龍といって、香港、台湾、シンガポール、韓国が発展どころと聞いていたが、僕の目にはそういう国よりもこの国のほうがずっと裕福に感じられる。発展を遂げ物価が高くなるということは人々の生活が豊かになるのだというこれまでの常識に反し、実はその逆ではないかとさえ思えてくるくらいなのだ。シンガポールの住人は国内では高すぎて遊べないので、週末は国境を越えてマレーシアに遊びに来る。国境を越えるだけで一挙に物価が半額になるのだから、自分でもそうするだろう。
 
 この国の人は前述したとおり日本人と比較してあまり勉強をしないのだが、すべての子供が英語を話す。したがって大人であればパブなどで西洋人と出会っても互角に会話を交わす。ビリヤードもうまいし、楽器を操るのも巧みだ。女性を口説くそのうまさも日本人の比ではない。体格も社交センスも日本人よりはるかに洗練されてい、日本人旅行者が隅のほうでぼそぼそやっているのとは雲泥の差なのだ。無一文でも女性を口説き、その手練手管にころっとまいてしまい、結婚までしてしまう日本人女性を何人も見た。彼らは西洋女性とも関係を持ち、西洋で暮らすものも少なくはない。しかし何年先にはやはり祖国が一番住みやすいということで帰ってくるようである。

 多民族国家で互いに軽蔑しあっているが、その平和なことは格別で、喧嘩騒ぎを一度も見たことがない。乱暴な運転ではあるがそれでも事故現場を見ることはない。スーパーの万引きが新聞記事になるほど犯罪もまれなのだ。本屋にあってもほとんどが輸入品で、中国人は中国香港台湾の出版物を買い、他は英語で書かれた本に頼るというわけだ。しかし、街中で彼らが読書している姿に出会ったことは一度もない。家庭で読んでいるとも思えない。一説によれば本は買っても一年に2頁しか読まないと聞く。こういう内情だから国民文学などはなく、TVドラマもかなり幼稚である。新聞はニュースを報道しても批判や批評が少しもない。第一この国にはプロの批評家が存在しないのある。どうしてかと考えたのだが、結局この国には深刻な悩みが存在しないんだという結論に至った。生きることにあくせくしないでも高級車が買え、立派な持ち家を得、電化製品もそろうというのだから何をかいわんやなのだ。仮に失業しても乞食になっても凍死の心配はなく、人々は施しをしてくれるし、道端にはバナナやマンゴーが自生しているのだからそれほどの生活不安はないのかもしれない。

 

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気楽に行こうよの国民性

2025-02-14 06:51:44 | マラッカ紀行

この国の人はあまり勉強などしないかに見える。学校の休みは2月に9日間、5月に11日間、9月に9日間、11月に58日間、合計で87日間あり、これに普段の土日祝日が加わるのだから、日本に比べるとどれほど授業日数が少ないかが分かる。学習塾はほとんどなきに等しく、日本のように夜の10時まで子供が塾通いをしているなんて姿は想像もつかないことだ。放課後はみな遊び呆けてい、子供だけでなく大人も遊ぶこと食べること眠ることだけを考えて生きているといった風情である。働いている姿を見ても、日本の常識で考えれば遊んでいるとしか思えないほどのんびりとしている。スーパーのレジに並んでいても、いつ自分の番が回ってくるか確信がもてないのである。永遠に回ってこないこともあるのだ。どうした理由でか突然レジを閉めてしまうので、また別のラインへ並びなおさなければならないというわけである。その上レジのうち間違いを発見しても、たった一つの商品の差額50セントを返金してくれればよいところ、その訂正に30分もかかるという始末である。暗算が皆目できないので、個人商店などでは時につり銭を多くくれたりする。

 日本人の目から見れば、こんなに怠惰な国民性は考えられない。ほとんど家で料理を作ることはなく、独身妻帯の区別なく大方が毎食を外で済ます。それもアパートからわずかに2百メートルほどのところへ食べに行くにも車を使用し、決して歩かない。車とリモコンと携帯電話で彼らはものの見事に運動をしない。若者を除けばほとんどが肥り気味で、ついに政府がマレーシア国民は食べすぎだという警告を発したほどである。近い将来にはアメリカ並みに風船玉のような肥満体が街にあふれるに違いない。すでにその兆候が現れてい、TVのコマーシャルでは盛んに減肥薬の宣伝をしている。

 彼らの生活は100%車と携帯電話に依存している。以前は若者が高級車を乗り回している国は日本だけと思っていたが、認識を改めた。ここでは若者も所帯持ちも贅沢な車に乗ってい、ドイツの名車ベンツも大衆車かと見まがうほどに多い。何しろタクシーまでがベンツなのだから驚いてしまう。しかし、その運転マナーの悪いことは日本の比ではなく、ことに歩行者(きわめて少ない)には少しも敬意を表さない。どんな交差点も歩行者用信号がないくらいだから歩行者蔑視はこの国の政策に違いないと思われるほどだ。仮に信号機が合ったとしても横断歩道の上を歩いていても、道路の横断には決死の覚悟が必要である。

 運転マナーだけでなく、ごみ処理についてもそのマナーは最低で、街はごみであふれかえっており、人々は平気で路上にごみを捨てる。近代的な病院のロビーに一組の家族がい、子供が平気でごみをフロアに捨てるので掃除婦が文句を言うと、その子供はごみを拾って勢いよく玄関を飛び出すと、玄関前に捨ててまた戻ってくるという始末だ。そばに両親がいてこの有様なのだ。


 多くの人に公徳心がまったくなく、したがって清掃などのボランティア活動も皆無である。みな自分の家族だけを大切にしている。他民族に対しては一様に心の底では軽蔑感を抱いているのが話の端々に登場する。中国人はマレー人を怠惰と陰でののしり、マレー人は中国人を金の亡者、守銭奴と笑っているのである。これにインド人が加わるのでなかなか複雑である。

 

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マラッカの騒音

2025-02-14 06:47:07 | マラッカ紀行

今日は中国暦で大晦日に当たり終日花火が炸裂し、その喧騒なこと言語を絶する。ほとんど一週間も前から花火は続いてい、夜どうし打ち上げる人間もあり、夜中の静寂も何もあったものではない。僕は昼間うるさいので夜中に集中して勉強するのだが、時に耳元で炸裂する轟音に驚き、ペンがあらぬ方向に走ったりすることがある。

 彼らは住宅街の真ん中でも平気で花火を楽しむ。時々非常に不愉快になり、「この野蛮人どもめ」と心の中で叫ぶのだが、周囲の住人は一向気にかけない。夜中の花火は法律で禁じられているにもかかわらず、誰一人苦情を述べるものはない。日本でなら腹に据えかねた短気な男が包丁を持ち出し刃傷沙汰にもなりかねないすさまじさなのだが、国が変われば人心もかく異なるものか。こちらは騒音に対し実に寛容である。

 つい先だっても2ヶ月前にイスラム暦の新年があり夜通しの花火に腹を立てていたのだが、ともかくもこの国では、静寂を尊ぶという観念が微塵も存在しないようだ。今のアパートの階下には二軒もバイクショップがあり、日中けたたましいエンジン音を発てているのが、これもやはりほかの住人は無関心のようである。

 夜中に若者がたむろするのはどこの国も同じだが、これがまた日中と変わらない大声で話し、車のエンジン音もさることながらカーステレオの音量を落とさないのだからたまらない。一日中机に向かって勉強している人間など、マラッカ中探しても自分以外に見つかるまいと思える国情だから、これでもやってゆけるのだろう。

 騒音に無関心なことはこちらのテレビ受像機にイヤホンの差込口がないことでもわかる。どの家でも夜遅くまで大きな音を外部に撒き散らして平気で暮らしている。何百Wという出力のあるスピーカを通してビデオやカラオケを楽しんでいる家もある。まるで暴走族の車のように家全体が巨大なスピーカと化すのだが、それで本人たちも周囲も平気な様子をしている。これはきっとイスラム教の悪影響ではないかと思えるほどだ。例によって早朝から日暮れまで一日5回も聞かされる彼らの祈りは、自分のような人間には暴走族のエンジン音とさしたる違いがない。以前はゲストハウスに住んでい、その地域には住宅がなかったので割合に静かだったのだが、今度住民に混じって生活してみるとこの騒ぎである。繁華街よりも住宅街のほうがうるさいなんて日本人にとっては想像外のことだろう。日本からはるばる勉強をするためにやってきた人間としてはこの点が最も困るところである。

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