美しき日本女性
油彩 15x20㎝ 2005年1月4日
僕は残りの人生をただただ美しい女性を描くことだけにささげようと決心いたしました。それが唯一の小生の存在理由となるのでしょう。もう現実の世界で恋愛を体験できる年齢ではなくなったと思うからであります。後期高齢者にはこれが最も安全で有意義な恋愛の手段だと思っています。
美しき日本女性
油彩 15x20㎝ 2005年1月4日
僕は残りの人生をただただ美しい女性を描くことだけにささげようと決心いたしました。それが唯一の小生の存在理由となるのでしょう。もう現実の世界で恋愛を体験できる年齢ではなくなったと思うからであります。後期高齢者にはこれが最も安全で有意義な恋愛の手段だと思っています。
油彩 38x45cm 2017年
僕が最初にファンになった西洋女性はオードリー・ヘプバーンだったけど、瘦身のオードリーに比べてその対照的ともいえる肉体の持ち主ソフィア・ローレンにも随分と心酔した。僕は許容範囲が実に広いのだ。
僕が猫派である大きな理由の一つはトイレの管理が簡単だという点にある。これを室内に用意しておけば飼い主を困らせることは先ずない。しかし犬を飼うとなれば毎日最低一回は散歩に連れださないといけない。だけでなくフンの始末をやらなければならない。日本では多くの飼い主が規則を守ってかいがいしく愛犬が用を足すのを手伝っているが、僕にはあれが出来そうにない。僕が愛犬と野原を駆け回っていたのはせいぜい中学時代まででそのころは今のようにフンの始末などいう問題は生じていなかった。自然のままでよかった。リスボン市内はどうか覚えていないが少し離れた郊外へ行けば僕がいた時分にはやはり犬の散歩は手ぶらで自然に任せていた。だから夜になれば注意して歩かなければ歩道の上でも被害にあいかねない。それでも人々は温暖で目くじら立てて「フンの始末は飼い主がしなさい」などという張り紙は一度も見たことがない。世界の常識からすれば日本人は少し人種が違っているかに見える。異常に清潔なところがある。自然から遠ざかっているかに見える。
水彩画については恨みがいっぱいあって、小学校の図画工作の時間にあてがわれた最初の画材が水彩絵の具だったのだけど、これは各種ある画材の中でも最も難しいと思われる画材であって、これを小学生くらいの初心者に与えたのではこれを使いこなせるのは初めから無理であって、多くの生徒を自信喪失や失意に導き、絵を描くことの楽しみから遠ざけたこと必至と思われるのでこれに大変立腹した。というのも僕たちにとって画材として適者なのは修正可能であることが第一の条件であるべきなのに、水彩はこれに反しているのである。僕がそのことを知ったのは修正可能画材としての油彩やパステル画を学んでからなのである。また水彩にはそれ専用の紙が必要なので普通のスケッチブックには適さないのである。これらの基本を無視して絵の初心者である小学校生徒に水彩授業を施すのは実は無茶苦茶な話なのある。今の小学校の授業風景は想像もつかないことだけど、僕ならばソフトパステルを最初の画材としてあてがいたいと思う。そんなわけで僕自身水彩画に素直に入っていくことができないで、ようやく2007年になってペン画スケッチに色を載せる手段として水彩を使うようになったのが水彩になじむ始まりとなった。しかしこれは厳密には水彩画とは呼ばれないようである。