昨日の盆踊りは久しぶりだったので随分疲れた。
10時頃寝て、朝に1回トイレに起き、また寝て起きたのは8時頃だった。
全身が疲れているが痛めている足は痛くない。
流石に体力は落ちていて、ハードなイカ踊りは何度かかっても踊り通せたが、昨日は2回で疲れてギブアップした。
一度自遊旅に戻る。
買い物に行っている間にアマゾンから荷物が置いてあった。
今回バイクの補助ライトを注文した。
以前のブログで角度を変えて大分良くはなったと書いたが、十分ではないので今後は挟角のライトを注文した。
更に後部のライトが切れているので注文。
更にUSBのハブを注文した。
これは外付けハードディスクを2台のパソコンで使うためだ。
先日ペグが届いたので、有った袋をリサイズしてペグ袋を作った。
終戦関連番組が多くなった。
先日の深夜番組でNHKがテニアン島の事を放映していた。
サイパン島の隣にあるテニアン島は、元々は先住民族の島だったが、その後スペイン領になり、米西戦争でスペインが負け、ドイツに450万ドルで売却。
第一次世界大戦で日本がドイツに勝ち日本の統治になった。
昭和19年で15700人の日本人が住んでいた。
太平洋戦争でアメリカが戦略的な価値の高さに注目して島を占領した。
その際、あちこちで日本人の自決が行われたそうだ。
子どもを残すのは忍びなく、母親が子供の首を絞めて殺すという悲惨な事が起きた。
子どもを殺してから自ら命を絶った。
そんな中で、テレビに出ていた母親は、自分も子どもの首に手をかけぐったりしたところで、次の子供に手をかけようとしたら最初の子供が息を吹き返した。
それ以降は子供に手をかけられなかった。
捕虜になった人もいたが、アメリカ軍は十分な食料も与えられ、仮設住宅も建ててくれ厚いもてなしだったそうだ。
捕虜になった人が逃げている人を探し、事情を説明したら皆出てきて捕虜になったそうだ。
実はこのテニアン島には日本人の囚人が作った飛行場が有った。
先月カブ旅で網走監獄を見た時テニアン島の飛行場建設の事が展示されていた。
国がテニアンに飛行場を作るため全国から囚人を365名集めたが、網走監獄にいた囚人が303人だった。
女満別飛行場を造った実績もあり、優秀な囚人が多かったそうだ。
テニアンの飛行場が完成して日本に帰るとき、アメリカ軍に攻撃され船は沈んだ。
更に悲劇はこのテニアン島の日本人が作った飛行場からB29が原子爆弾を積んで広島、長崎に落とした悲劇に繫る。
夕方盆踊り2日目に行く。
体調もかなり良くなった。
今日は最後まで踊れた。