久しぶりに西部邁の著作に目を通してみた。古本屋で立ち読みをした段階ではレトリックが過ぎるような気がしないでもなかった。それにしても105円である。迷わずに買った。「ケインズの墓碑銘」と「ヴェブレンの黙示録」の二部構成である。
ケインズ理論の中核が数学であることを承知している、だから興味がわかない。また、殆どの経済学のテキストはケインズ理論にふれているので、西部の手を借りる必要もない。飛ばし読みで済ませた。読書に関しては好き嫌いが激しいのである。
異端の経済学者ヴェブレンについては「ヴェブレン研究」という専門書をもっている。十分な予備知識があるし、勃興期のアメリカ経済の実相について描かれた「有閑階級の理論」は若かりし頃の愛読書だ。
衒示的(げんじてき)消費という概念は、消費の動機一般が、その使用価値にのみ依存するものではないことを見事に例証している。例えば金持ちは、他人よりも高いものやサービスを買うことそのものに消費の動機があるのであって、コストや使用することによって得られる効用と価格との間には、学者たちが言うほどの相関関係がないというのである。
ヴェブレンは典型的な奇人変人であった。どのくらい変っていたかについて西部の言及は詳細にわたっている。ところが西部の表現は、どちらかというと社会科学的ではなくて文学的なのである。その結果、ヴェブレンの奇人変人ぶりの印象が強すぎて、その個性が彼の経済学にどのような影響を与えたかについて解明することに失敗しているように思う。
ケインズ理論の中核が数学であることを承知している、だから興味がわかない。また、殆どの経済学のテキストはケインズ理論にふれているので、西部の手を借りる必要もない。飛ばし読みで済ませた。読書に関しては好き嫌いが激しいのである。
異端の経済学者ヴェブレンについては「ヴェブレン研究」という専門書をもっている。十分な予備知識があるし、勃興期のアメリカ経済の実相について描かれた「有閑階級の理論」は若かりし頃の愛読書だ。
衒示的(げんじてき)消費という概念は、消費の動機一般が、その使用価値にのみ依存するものではないことを見事に例証している。例えば金持ちは、他人よりも高いものやサービスを買うことそのものに消費の動機があるのであって、コストや使用することによって得られる効用と価格との間には、学者たちが言うほどの相関関係がないというのである。
ヴェブレンは典型的な奇人変人であった。どのくらい変っていたかについて西部の言及は詳細にわたっている。ところが西部の表現は、どちらかというと社会科学的ではなくて文学的なのである。その結果、ヴェブレンの奇人変人ぶりの印象が強すぎて、その個性が彼の経済学にどのような影響を与えたかについて解明することに失敗しているように思う。