確かにね、
>つくづく 他人がどう受け取るかは予想付かないもんだ。 と思いました <
なのでしょうね。一理あります。
でもね、相手が誠実に対応しようとしているのに、
>私は、 そもそも無駄と思ったら、とっとと見切って相手にしない質ですので どうか、気を悪くしないで頂きたい。<
と言われと、
>つくづく 他人がどう受け取るかは予想付かないもんだ。 と思いました <
では済みませんよ。
だから、
>ネットの書き込みって 本人はそんなつもりなくても とっても攻撃的とか 否定的とかに 映ってしまったりなんてのが ありがちだったりするから、 それを嫌って、 本筋とは関係ないことを、 長くなりがちなのを 一方で気にしながらも それを犠牲にしてでも 書き添えてみたんですが、 失敗以上の逆効果だったみたいです。<
と自戒されるする前に、自分が書いた
>私は、 そもそも無駄と思ったら、とっとと見切って相手にしない質ですので どうか、気を悪くしないで頂きたい。<
という言葉が、どれだけ不遜で傲慢な言葉であるかを考え直してみた方がいいですよ。
自分はすべてを理解しているのだから、何を言っても相手は理解してくれるはずだと考えるのは大きな間違いです。あなたが、次にコメントすべきは、
>なんとも傲慢な響きがありますね?ご自身を何様だと考えているのでしょうか?そんなこと言われると議論が成り立ちません。困ったおしゃかさんさまですね?<
という感慨に対する弁解で然るべきであったのではないでしょうか ?
>ここで どんなのでもいいから ニューパーソンが登場してくれると、 いい感じかなぁと、思ったりして… <
これから本格的な会話が始まるというのに、もう旅支度ですか?
>私は、 そもそも無駄と思ったら、とっとと見切って相手にしない質ですので どうか、気を悪くしないで頂きたい。<
わたしは、自分に都合が悪くなる、自分の考え方と異なる相手だと消えるのではなくて、「去る者は追わず、来る者は拒まず。」を信条としています。ま、お元気で・・・。
意欲という言葉は、①意思と欲望 ②何かをしようと思う心、をいいます。だから、おしゃかさんさまの意欲という言葉に対する認識と、わたしの意欲という言葉に対する認識にさほど大きな差異があろうはずがありません。否、認識に大きな差異があったら会話はなりたちません。
>意欲の定義を ここで議論するつもりはなかったので<
とおしゃかさんさまは言いますが、たとえば、何かをしようと思う心(意欲)が経済的な要因でかき消されることなんて、ありふれたことで、むしろ自明のことじゃないですか。定義云々の問題じゃありません。おしゃかさんさまが別の定義を用いるのならば、その特殊な定義を開示していただかないことには、話が前に進みません。
それを、
>意欲と食うことは 別の話で 食うことなんて どうとでもなるんですよ 頭カチコチでなければ。<
だなんて・・・。わたしは本当に理解に苦しみます。おしゃかさんさんさまはきっと恵まれた環境に身を置いているのでしょうね。だから、無関心に世の中を見つめておれるのでしょう。経済的事情によって意欲を遮られている例なんて、スモーキーマウンテンでゴミ漁りをしているフィリピンの子供の例を出すまでもなく、ありふれています。日本国内には貧困が原因で絶望的な生活を送っている子供たちがいないとでも考えているのでしょうか。
当初の論題であった自己満足という言葉は、「自分自身または自分の行為に、みずから不満のないこと。」であって、おしゃかさんさまが別の解釈をしたにしても、やはりそういう意味なのです。他人から意見を聞こうとか、他人に自分の考え方を解ってほしいという願望があるのなら、意欲があるのならば、もっと解りやすい文体を心がけた方がいい。
ハッキリ言って、今のお釈迦さんさまの論法は、子供のそれです。自分が言いたいことを表現できていないのに、相手に理解を求める。そういう「obscureな曖昧主義」(羽に五郎曰く)の態度では、それこそ、言動のすべてが自己満足に終わってしまいます。ご用心、ご用心。
>つくづく 他人がどう受け取るかは予想付かないもんだ。 と思いました <
なのでしょうね。一理あります。
でもね、相手が誠実に対応しようとしているのに、
>私は、 そもそも無駄と思ったら、とっとと見切って相手にしない質ですので どうか、気を悪くしないで頂きたい。<
と言われと、
>つくづく 他人がどう受け取るかは予想付かないもんだ。 と思いました <
では済みませんよ。
だから、
>ネットの書き込みって 本人はそんなつもりなくても とっても攻撃的とか 否定的とかに 映ってしまったりなんてのが ありがちだったりするから、 それを嫌って、 本筋とは関係ないことを、 長くなりがちなのを 一方で気にしながらも それを犠牲にしてでも 書き添えてみたんですが、 失敗以上の逆効果だったみたいです。<
と自戒されるする前に、自分が書いた
>私は、 そもそも無駄と思ったら、とっとと見切って相手にしない質ですので どうか、気を悪くしないで頂きたい。<
という言葉が、どれだけ不遜で傲慢な言葉であるかを考え直してみた方がいいですよ。
自分はすべてを理解しているのだから、何を言っても相手は理解してくれるはずだと考えるのは大きな間違いです。あなたが、次にコメントすべきは、
>なんとも傲慢な響きがありますね?ご自身を何様だと考えているのでしょうか?そんなこと言われると議論が成り立ちません。困ったおしゃかさんさまですね?<
という感慨に対する弁解で然るべきであったのではないでしょうか ?
>ここで どんなのでもいいから ニューパーソンが登場してくれると、 いい感じかなぁと、思ったりして… <
これから本格的な会話が始まるというのに、もう旅支度ですか?
>私は、 そもそも無駄と思ったら、とっとと見切って相手にしない質ですので どうか、気を悪くしないで頂きたい。<
わたしは、自分に都合が悪くなる、自分の考え方と異なる相手だと消えるのではなくて、「去る者は追わず、来る者は拒まず。」を信条としています。ま、お元気で・・・。
意欲という言葉は、①意思と欲望 ②何かをしようと思う心、をいいます。だから、おしゃかさんさまの意欲という言葉に対する認識と、わたしの意欲という言葉に対する認識にさほど大きな差異があろうはずがありません。否、認識に大きな差異があったら会話はなりたちません。
>意欲の定義を ここで議論するつもりはなかったので<
とおしゃかさんさまは言いますが、たとえば、何かをしようと思う心(意欲)が経済的な要因でかき消されることなんて、ありふれたことで、むしろ自明のことじゃないですか。定義云々の問題じゃありません。おしゃかさんさまが別の定義を用いるのならば、その特殊な定義を開示していただかないことには、話が前に進みません。
それを、
>意欲と食うことは 別の話で 食うことなんて どうとでもなるんですよ 頭カチコチでなければ。<
だなんて・・・。わたしは本当に理解に苦しみます。おしゃかさんさんさまはきっと恵まれた環境に身を置いているのでしょうね。だから、無関心に世の中を見つめておれるのでしょう。経済的事情によって意欲を遮られている例なんて、スモーキーマウンテンでゴミ漁りをしているフィリピンの子供の例を出すまでもなく、ありふれています。日本国内には貧困が原因で絶望的な生活を送っている子供たちがいないとでも考えているのでしょうか。
当初の論題であった自己満足という言葉は、「自分自身または自分の行為に、みずから不満のないこと。」であって、おしゃかさんさまが別の解釈をしたにしても、やはりそういう意味なのです。他人から意見を聞こうとか、他人に自分の考え方を解ってほしいという願望があるのなら、意欲があるのならば、もっと解りやすい文体を心がけた方がいい。
ハッキリ言って、今のお釈迦さんさまの論法は、子供のそれです。自分が言いたいことを表現できていないのに、相手に理解を求める。そういう「obscureな曖昧主義」(羽に五郎曰く)の態度では、それこそ、言動のすべてが自己満足に終わってしまいます。ご用心、ご用心。