「これが全部、小判だったらなぁ..」
と思って名付けられたのかどうかはさだかでありませんが
「小判草」
明治初期に鑑賞目的でアメリカから輸入されたらしく、小判も当時はすでに流通貨幣ではなかったかもしれませんが、幕末の激動期を生き抜いたその人には、先の時代にあった貨幣に似てると感じたのですね
小判に見える部分はイネ科の穂にあたる「小穂」と呼ぶそうです
イネ科の植物だけあってこの穂も食べるられるそうですが..
昭和平成令和と生きてきた身には、この穂がどうしても、小学生の頃に教科書で見た「三葉虫」の化石に思えて
あまり口にしようとは思えません…