むかわの阿呆演劇日誌

演劇についての劇日誌やつれづれの演劇、映画の感想や日々のつぶやき。写真もあげます。

燐光群「現代能楽集 イプセン」

2009年08月21日 14時58分55秒 | Weblog
観劇日:2009年8月14日(金)PM7:00~9:40 伊丹アイホール

 1986年の大阪京橋アルバトロス「デッドゾーン」から21年になる燐光群。
 今回はイプセン。イプセンといえば、「人形の家」しか知らず。今回、130年経っているノルウェーの作家の作品が、イプセンがこだわった人間の揺らぎ、かくれているものが、テンポよい群集芝居のなかで、浮かびあがっていた。

 130年前とは近代化のなか、国家、世界、個人の形が言語として浮かび上がらせようとしていた時代。言葉は情報ではなく、ひとに意識させるものとしてあった。

 みていて生理として(情報脳生理として)、ことばのめくるめく力の難解さ(詩的性)に理解しようとするものがさまたげになり、理解不能のもやもや感があったが、同時にその言葉からひっかかるものが醸し出し、浮かびあげられていくもの、それをなんと名づけよう、能では幽玄なものというが、まあ、幽霊なものがおもしろい。言葉はひとの生命よりいきつづける。その言葉の永遠性のベクトルがその人間の本音をあからさまにしていくのだ。
 「ノーラは行ってしまった」「ぶらんぶらん」「野鴨中毒」「ヘッダじゃない」
そのイプセンの4本の作品から、坂手洋二が構成した作品たちには、芝居の夢幻空間だから、からみとれる人間のあいまいさがはっきりするのだ。
 進化論が当たり前にある世界から、いまだ、進化論の亡霊に抑圧されている、いつも現代の私たちの世界へ。

 現在はただの点にすぎない。

 そこに続く価値は進化論の時代とも同じであろうが、ひとがひとに対する想いがどうあるかによって、決まっていくのだ。
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