むかわの阿呆演劇日誌

演劇についての劇日誌やつれづれの演劇、映画の感想や日々のつぶやき。写真もあげます。

芝居の練習はじまり。

2009年08月22日 13時28分33秒 | Weblog
 ある劇団内ユニットの次回の公演にむけてのはじまり。青少年施設を借りての練習だが、時間を午後7時から設定しても、なかなかみんなが一斉にとはあつまりにくい。個々の生活状況が違うので、どうしてもフリーな人はキチンとこれて、正職の人はほぼ遅れる。ここんとこ、ようくわかっていても人間がうまく集まらないとうのも、ほんとなにかが奪われているなのだろうなあ。で、早く来たひとがなんか待つことに。
 この感じ、ベケット「ゴドーを待ちながら」だ。

 でも、それはそれ、きたものからなにかをはじめていくのがいいのかなと思う。

 遅れてきたものも申し訳なく思ってきているのだから。

 長年やってきても、仲間が揺さぶられている。ましてや、連絡なしに休まれたら
 あららだ。

 子どもじゃないんだからと思う。同時にこどもみたいになっている大人がどんどんあらわれているんだろうなあ。知り合いの話だと、アルバイトの休みをいえなく
友達に父親変わりなりすましてもらって、その友達に休みの連絡してもらっている人がいるんだから。この複雑さ。

 近年、あいさつできないこどもがかなりみかける。確かに自分たちのときもあいさつするのは苦手だった。個から公になるとき、とても向き合うのが自信もなかった。ここにいることのしんどさもあった。それが社会への訓練だとするとなるほどと思う。いまは自分主張はできるのに、それが公になったときのギャップがおおきのだ。わたしたちは個であることも自信もなかった。だから、あいさつがどこか照れくさいと思っていた。今は個はふくらんでいるのに、公になるといきなりしぼむのだ。

 とぴうことで仲間にも休みを入れられない大人や友達にバイトの休みをいれさせる大人がいるのだ。
コメント
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