時間はたっていく。
ひと知れずに動いている。
時間というやつはいきものに生という喜びを与え、死という悲しみを与える。
時間というやつはなかなかの演出家であるのかもしれない。
さて、時間というやつは怪盗のようにいきものを使いはたしているのか。
そう思わせるのがこやつの憎い所かもしれない。
かつて、愛は惜しみなく奪うとある作家が書いていたが、時間というやつもさにあらん。 奪いながら、残すということをするのだ。 ここに残酷というやつがあらわれる。
いきものはいまわの際にこの残酷、決して向こうにはいかさない。そこではたと思うの が、ひとといきものたるものか。
ほんとうに好きであるほど、好きとはいえなくなるあの感じ。
残酷がゆるやかに笑う。さあ、ひとはどうする。ひととおり、落ち込んで泣いて、失って笑いはじめる。
そうして、立ち上がる。
永遠へと変身しやがる前に、空をみる。
すると、どうであろう。記憶が風をぬけてあわわれてくる。
この仕掛け。かくして演劇がはじまるのだ。