おばあちゃんのお惣菜で、最初に「春」を連れてくるのは「フキノトウ」だったと思う。おじいちゃんが好きで、まだ雪がとけないうちから、人に探してくれるよう頼んでいたのを思い出す。
フキノトウの味噌あえ・・・独特の苦味があって、「子どもには美味しくなかった」料理の1つ。(今となると、すごーく食べてみたかったと思う。作り方も習ったことがないのが残念)
ツクシの酢の物・ヨモギの天ぷら・・・春になったのが嬉しくて外遊びに出た孫たちが摘んできたのを、料理してくれたことがある。ツクシのハカマを外して、軽く湯がいて・・・と、手間がかかる割りに、ほんの少しになってしまうのを見て、孫たちもちょっとがっかり。(でも、どちらも結構美味しかった記憶が)
タラの芽の天ぷら・・・子どもには回ってこなかった(と思う)。
ワラビのお浸し・・・これも子ども向きじゃないとのことで、見た記憶だけ。(今思い出すと、色もきれいで美味しそうだったな~と。おばあちゃんは、鰹節を削ってかけてた)
ゼンマイと揚げの煮物・・・ゼンマイは灰にまぶして?乾燥させたものが普通だった。年中目にしたもので、好きでも嫌いでもなかった「懐かしいお惣菜」の1つ。
竹の子ごはん・煮物・穂先の味噌汁・・・春しか食べられない、でもごく普通のお惣菜。穂先の部分も、お吸い物じゃなくて味噌汁にする。ほどほどの歯ごたえが大好きだった。昆布を敷いて煮ると、昆布は半分とろけたようになって、おかあちゃんは「不思議ね」といいながら、でも美味しそうにその昆布も食べていた。(金沢に引っ越してから、竹の子の刺身その他の「フルコース」を食べさせる場所があると知って驚いた。そんなタイソウなものじゃないと思ってたので)
フキの煮物・・・うっすらとした緑がきれいだけれど、大量になると皮を剥くのも結構手間がかかるので、よく手伝わされたのを覚えている。(当時のフキは指先がアクに染まるのが普通で、後から困った。仕上がりが薄緑にならないことも多かった)
ウドの酢味噌あえ・天ぷら・味噌汁・・・山から採ってきたばかりのウドは、とてもいい香りがした。天ぷらにすると苦味が薄れて、子どもでも食べられる味になった。生で食べるには刺激?が強いのと、かなりの分量一度に手に入るせいで、味噌汁の具が毎朝ウド・・・なんてことも。(赤カブの味噌汁とどっちがマシか悩む感じだった(^^;)
新ゴボウのキンピラ・・・おばあちゃんのキンピラはササガキじゃなくて、細めの拍子木に切ってあって、人参はあったりなかったり。歯ざわりがあるのが好きだった。ごま油で炒め煮にするのだけれど、辛味をつける香辛料はおばあちゃんはほとんど使わなかったから、最後に一味を振ったりもしなかったと思う。(「刺激物」は子どもの健康に良くないって、おかあちゃんに言われてたのかも)
ナスのオランダ煮・・・「油で炒めてから煮るからオランダ煮」なんだとか。味付けはみりんとお醤油。油はごま油。
ナスのシギ焼き・・・オランダ煮はナスに十文字の切り目を入れてそのまま使うけれど、シギ焼きの方は切り離してから炒めて、醤油味に生姜を効かせて仕上げる。歯ざわりがある程度残っているほうが美味しい。
(それとは別に、味噌をお酒で溶いて味をつけるバージョンもあって「シギ焼き」っていうのは元々はソッチだって言われた。味噌味の方は柔らかめの仕上がりで、アタシは生姜・醤油バージョンの方が好き)
ナスとミガキニシンの煮物・・・秋ナスがよくこの煮物で出てきたと思う。山に囲まれた盆地の町なので、魚は加工品の方が一般的だったのかもしれない。子どもの頃はニシンの小骨が気になって苦手だったけど、今となるともう一度食べたい「おばあちゃんの味」の1つ。(ニシンは一度湯通しをして、生臭みを取り除かないといけないんだって)
太キュウリの冷やしあん・・・「トウガンも美味しかったのぉ」って、おっきなキュウリを切りながらいつもおばあちゃんは言った。「トウガンって何?」「もっと大きゅうて・・・今は見んのう」
ピーマンの塩炒め・・・これで孫たちはピーマンが好きになった。当時のピーマンは結構辛味があって、天ぷらにしても子どもは普通、あんまり好きじゃなかった。(今思うと、丁度「味の素」が発売された頃かも。お味噌汁とピーマンについては、「アジノモト」の威力は凄かった(^^;)
トマトは塩?砂糖??・・・おねえちゃんが、トマトを輪切りにしてお砂糖かけて食べてみたいって言ったとき、おばあちゃんはちょっと笑って「赤ナスビって昔は言うたんやけどの。塩ふっておかずにするモンもおった」。お砂糖には反対みたいだったけど、結局おねえちゃんの粘り勝ち。(私も一緒に食べてみたけど、後からおねえちゃんと「トマトは生の丸かじりが絶対一番美味しいね!」)
アユの塩焼き・・・子どもにとってはそれほど美味しくなかった気がする。最高のアユを食べさせてもらってた筈なのに。そもそも子どもには食べにくい魚だったし。(「尻尾をちぎって、アタマを箸でつかんで、背骨をゴッソリ引き抜く」食べ方を習ったのは、その後30年くらい経ってからのこと。そうやって食べた四万十川の鮎は、とても美味しかった)
塩味の卵焼き&ほうれん草のお浸し・・・おじいちゃんは、あんまりご飯を食べなくなってからも、この2つはおばあちゃんに時々作らせていた。塩だけしか使わない卵焼きは、「砂糖が入ったのみたいに焦げない」っておばあちゃんが言ってたけど、出来上がりが本当にきれいだった。ほうれん草はアジノモトとお醤油をちょっとだけかけたの。(テレビはうるさいってあまり見ないおじいちゃんも、アジノモトは嫌いじゃなかったみたい)
でも・・・今思うと、一番美味しかったのは「おむすび」だったかもしれない。(湧き水とお米がものすごく美味しい土地だったんだと知ったのは、ずっと後になってから。当時はそれが当たり前と思っていて、その贅沢さに気づいてなかった)
遠足や運動会に作ってくれる「三角おむすび」の中身は、うちで漬けた梅干をちぎったものだけ。それを焼き海苔で丁寧に包んで、あとは固ゆで卵と、たまにウサギの林檎くらい。(食の細い子どもだったので、量もほんの少しだったと思う) 私の育った辺りでは、昭和30年代当時の「遠足のお弁当」は、その程度のものだったのだろうか。おねえちゃんは一度「甘い卵焼き入れて。みんな持ってきてる」って言ったけど、「悪うなるから」って、おばあちゃんは絶対お弁当に入れてくれなかった。(おむすびの具を鰹節にしてって言ったときも同じ、「悪うなるから」でオシマイだった)
フキノトウの味噌あえ・・・独特の苦味があって、「子どもには美味しくなかった」料理の1つ。(今となると、すごーく食べてみたかったと思う。作り方も習ったことがないのが残念)
ツクシの酢の物・ヨモギの天ぷら・・・春になったのが嬉しくて外遊びに出た孫たちが摘んできたのを、料理してくれたことがある。ツクシのハカマを外して、軽く湯がいて・・・と、手間がかかる割りに、ほんの少しになってしまうのを見て、孫たちもちょっとがっかり。(でも、どちらも結構美味しかった記憶が)
タラの芽の天ぷら・・・子どもには回ってこなかった(と思う)。
ワラビのお浸し・・・これも子ども向きじゃないとのことで、見た記憶だけ。(今思い出すと、色もきれいで美味しそうだったな~と。おばあちゃんは、鰹節を削ってかけてた)
ゼンマイと揚げの煮物・・・ゼンマイは灰にまぶして?乾燥させたものが普通だった。年中目にしたもので、好きでも嫌いでもなかった「懐かしいお惣菜」の1つ。
竹の子ごはん・煮物・穂先の味噌汁・・・春しか食べられない、でもごく普通のお惣菜。穂先の部分も、お吸い物じゃなくて味噌汁にする。ほどほどの歯ごたえが大好きだった。昆布を敷いて煮ると、昆布は半分とろけたようになって、おかあちゃんは「不思議ね」といいながら、でも美味しそうにその昆布も食べていた。(金沢に引っ越してから、竹の子の刺身その他の「フルコース」を食べさせる場所があると知って驚いた。そんなタイソウなものじゃないと思ってたので)
フキの煮物・・・うっすらとした緑がきれいだけれど、大量になると皮を剥くのも結構手間がかかるので、よく手伝わされたのを覚えている。(当時のフキは指先がアクに染まるのが普通で、後から困った。仕上がりが薄緑にならないことも多かった)
ウドの酢味噌あえ・天ぷら・味噌汁・・・山から採ってきたばかりのウドは、とてもいい香りがした。天ぷらにすると苦味が薄れて、子どもでも食べられる味になった。生で食べるには刺激?が強いのと、かなりの分量一度に手に入るせいで、味噌汁の具が毎朝ウド・・・なんてことも。(赤カブの味噌汁とどっちがマシか悩む感じだった(^^;)
新ゴボウのキンピラ・・・おばあちゃんのキンピラはササガキじゃなくて、細めの拍子木に切ってあって、人参はあったりなかったり。歯ざわりがあるのが好きだった。ごま油で炒め煮にするのだけれど、辛味をつける香辛料はおばあちゃんはほとんど使わなかったから、最後に一味を振ったりもしなかったと思う。(「刺激物」は子どもの健康に良くないって、おかあちゃんに言われてたのかも)
ナスのオランダ煮・・・「油で炒めてから煮るからオランダ煮」なんだとか。味付けはみりんとお醤油。油はごま油。
ナスのシギ焼き・・・オランダ煮はナスに十文字の切り目を入れてそのまま使うけれど、シギ焼きの方は切り離してから炒めて、醤油味に生姜を効かせて仕上げる。歯ざわりがある程度残っているほうが美味しい。
(それとは別に、味噌をお酒で溶いて味をつけるバージョンもあって「シギ焼き」っていうのは元々はソッチだって言われた。味噌味の方は柔らかめの仕上がりで、アタシは生姜・醤油バージョンの方が好き)
ナスとミガキニシンの煮物・・・秋ナスがよくこの煮物で出てきたと思う。山に囲まれた盆地の町なので、魚は加工品の方が一般的だったのかもしれない。子どもの頃はニシンの小骨が気になって苦手だったけど、今となるともう一度食べたい「おばあちゃんの味」の1つ。(ニシンは一度湯通しをして、生臭みを取り除かないといけないんだって)
太キュウリの冷やしあん・・・「トウガンも美味しかったのぉ」って、おっきなキュウリを切りながらいつもおばあちゃんは言った。「トウガンって何?」「もっと大きゅうて・・・今は見んのう」
ピーマンの塩炒め・・・これで孫たちはピーマンが好きになった。当時のピーマンは結構辛味があって、天ぷらにしても子どもは普通、あんまり好きじゃなかった。(今思うと、丁度「味の素」が発売された頃かも。お味噌汁とピーマンについては、「アジノモト」の威力は凄かった(^^;)
トマトは塩?砂糖??・・・おねえちゃんが、トマトを輪切りにしてお砂糖かけて食べてみたいって言ったとき、おばあちゃんはちょっと笑って「赤ナスビって昔は言うたんやけどの。塩ふっておかずにするモンもおった」。お砂糖には反対みたいだったけど、結局おねえちゃんの粘り勝ち。(私も一緒に食べてみたけど、後からおねえちゃんと「トマトは生の丸かじりが絶対一番美味しいね!」)
アユの塩焼き・・・子どもにとってはそれほど美味しくなかった気がする。最高のアユを食べさせてもらってた筈なのに。そもそも子どもには食べにくい魚だったし。(「尻尾をちぎって、アタマを箸でつかんで、背骨をゴッソリ引き抜く」食べ方を習ったのは、その後30年くらい経ってからのこと。そうやって食べた四万十川の鮎は、とても美味しかった)
塩味の卵焼き&ほうれん草のお浸し・・・おじいちゃんは、あんまりご飯を食べなくなってからも、この2つはおばあちゃんに時々作らせていた。塩だけしか使わない卵焼きは、「砂糖が入ったのみたいに焦げない」っておばあちゃんが言ってたけど、出来上がりが本当にきれいだった。ほうれん草はアジノモトとお醤油をちょっとだけかけたの。(テレビはうるさいってあまり見ないおじいちゃんも、アジノモトは嫌いじゃなかったみたい)
でも・・・今思うと、一番美味しかったのは「おむすび」だったかもしれない。(湧き水とお米がものすごく美味しい土地だったんだと知ったのは、ずっと後になってから。当時はそれが当たり前と思っていて、その贅沢さに気づいてなかった)
遠足や運動会に作ってくれる「三角おむすび」の中身は、うちで漬けた梅干をちぎったものだけ。それを焼き海苔で丁寧に包んで、あとは固ゆで卵と、たまにウサギの林檎くらい。(食の細い子どもだったので、量もほんの少しだったと思う) 私の育った辺りでは、昭和30年代当時の「遠足のお弁当」は、その程度のものだったのだろうか。おねえちゃんは一度「甘い卵焼き入れて。みんな持ってきてる」って言ったけど、「悪うなるから」って、おばあちゃんは絶対お弁当に入れてくれなかった。(おむすびの具を鰹節にしてって言ったときも同じ、「悪うなるから」でオシマイだった)
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