もうひとつの部屋

昔の記憶に、もう一度会える場所にしようと思っています。

ねねの覚え書き①・・・おばあちゃんのお惣菜(秋~冬) 

2017-04-02 17:41:27 | E市での記憶
おばあちゃんの家にいた頃食べてた料理を、思いつくままに書いてみた。


サトイモの煮っ転がし・・・これは特別な美味しさ!ほとんどソウル・フードかも(^^)(大人になってから、実は里芋の名産地だったと知った。その後あちこちに住んだけれど、ああいう歯ざわりと味の里芋に出会ったことがない。今となっては、作り方のコツもわからないまま、幻のお惣菜に)

赤カブの甘酢漬け・・・梅酒を作るような大きなガラスびん2~3個分、冬の前に作ってたと思う。真っ赤なカブラが自分の赤みで、とてもきれいなピンクに染まる。赤カブは味噌汁の実でもよく出た(ちょっと苦味があって、子どもの私はあんまり好きじゃなかったので、何日も続くとちょっと悲しかった)

タラの白子の味噌汁・・・いつもおじいちゃんとおとうちゃんにだけ。見た目は白くてお豆腐みたいだけど、とにかく形が不気味でノーミソみたいって思った(「とても美味しい、ちょっと表現できないような味」って、おとうちゃんは褒めてたけど)

けんちん汁・・・大根と人参の大量の千切りをごま油で炒めて、出汁と里芋を入れて煮る。火が通ったら塩とお醤油で味をつけて、お豆腐を崩しながら入れて、出来上がり~。(おねえちゃんは里芋は入れない方が美味しいって言うけど、アタシはどっちでも構わない。おかあちゃんも言ってたけど、冷たくなったけんちん汁が好き。冷やせば夏でも美味しいんじゃないかな~っていつも思う)

のっぺい汁・・・けんちん汁より、材料の種類が多い。鍋に出汁を温めて、小さく刻んだものを順番に入れていくだけ。大根・人参・ゴボウ・干ししいたけ・糸コンニャク・薄揚げ・キクラゲ・・・味付けはみりんかお酒が少々に塩と醤油・・・かな? 小さい頃はキクラゲが苦手だった)

粕汁・・・新巻鮭の骨とかで出汁を取って、あとはありあわせの野菜で作る。味噌味なんだけど、最後に入れる酒粕の迫力が結構スゴイ(これも小さい頃は苦手だった。そもそもニオイにノックアウトされそう。酒粕ってどこが美味しいんだろって思ったけど、お正月には火鉢で焼いて、黒砂糖を包んで「おやつ」になって出てきたりも。アタシは「お砂糖だけの方がいいのにな~」っていつも思ってた)

豚の生姜煮・・・千切りの生姜を多めに入れて、細かく切った豚肉を味噌味で煮詰めたもの。おじいちゃんが好きだったみたいで、たまにおばあちゃんが作ってた。冷たくなっても美味しくて、お姉ちゃんやアタシも分けて貰ったりした。(おばあちゃんが使う香辛料?は、生姜と木の芽(山椒)くらいだった。胡椒もあんまり使わなかった)


ここからは、ちょっと「特別」な時のお料理。

関西風すきやき・・・砂糖と濃口醤油だけで味をつける。水っぽくなったら「麩」を絞って入れる。煮詰まったら焼き豆腐とかお酒とか。(おとうちゃんは「あそこまで甘じょっからいのは・・・どうなのかなあ。僕がこれまでに食べてきたスキヤキとはまた別物。おいしいのは美味しいんだけど」)

焼きマツタケ・土瓶蒸し・松茸ご飯・・・マツタケは「昔は山でいくらでも採れた」とか。でも、アタシが子どもの頃には既に「珍しい」モノになっていた。(焼いたのは子どもは食べさせてもらえなかった。土瓶蒸しは時々出て、アタシもおねえちゃんも大好き!だった)

越前ガニ・コウバコ・・・いわゆる「カニ」はオスで、「コウバコ(香箱)」はメス。(コウバコの卵はなかなか殻からはずれない。美味しいのに・・・って、いつもちょっと口惜しかった。おとうちゃんは、「僕なんかの子どもの頃は、コウバコは「おやつ」だったんだよ、ほんとに。大鍋で茹でて、卓袱台にドサッと一山作って、兄弟みんなが競争して食べた」「それにしても、カニの殻が薄くなったなあ。昔はもっとギッシリ身が詰まってたのに」)


毎年じゃあなかったと思うけど、おばあちゃんの言う「ホンコさん」の時のお料理も「特別」だった。お寺関係の行事で、「殺生をしてはいけない」から「野菜ばっかり」で作るのだと教わった。

「報恩講」の精進料理・・・人参の白和え、柿なます、野菜の炊き合わせ(大根・人参・干しシイタケ・里イモ・こんにゃく・キヌサヤ?)、ゴマ豆腐、焼き銀杏、百合根の煮物   (子どもにとってはどれもそんなに美味しくはなくて、人参の白和えの甘みなんて、ほんとにイヤだった。「甘いでしょ。もっと食べなさい」って簡単に言わないでほしい。柿の入ったなますも。干し柿のままで食べたいな~なんて、いつも思った)


こうして書き出してみると、なんだか文句ばっかり言っていて、好きだったのは「松茸の土瓶蒸し」「けんちん汁」「里芋の煮っ転がし」あとは「カニ」くらいしかない。(今では国産の松茸は超高級品で、あの土地の里芋はネットで注文でもしないと手に入らず、カニはアレルギーで食べられなくなって・・・私にとっては「幻」が増えていく一方だ)

おばあちゃんは大所帯向けの賄いを担当していたので、魚料理などはほとんど毎日、一人一皿の「仕出し」が、近所の魚屋から届いていた。ここに書いた「おばあちゃんの味」が精進に偏っているのは、そのせいもあるだろうけど、私自身が、食が細く肉も魚もあまり好きじゃない、ベジタリアンに近い?子どもだったというのもあると思う。(「仕出し」で届く魚料理は、刺身も焼き物も私は苦手なことが多かった)


それでも、おばあちゃんの料理はもっともっとあった気がする。思い出したら、また追加して書くかもしれない。(思い出す作業をしているときは子どもの「アタシ」に戻っていて、でも書いているのは今の「私」なので、妙に軸がグラグラする?書き方になっているけれど、「覚え書き」なので・・・ゴメンナサイ)



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