袈裟羅婆娑羅~つぶやき日記

ケサランパサラン なんとかなるさ つぶやき日記です。

父のこと

2019年12月05日 | 日記

参考作品
ギャザリング
製作者 ガーデンプランツ工藤

先月末に、父を見送りました
享年 92才
自分の生まれ月の11月に、
命日は27日
27と言う数字には、私の亡くなった長男の誕生日の日にちが同じ、また
弟である長男の誕生日の日にちも同じ27でもありました。
なんか、同じ日に不思議な縁を感じざるを得ません。
あの世に、生後7ヵ月で行った孫に会えたのでしょうか?
父の両親、友人がたくさん迎えてくれたのでしょうか?

直接の死因は、急性心不全でした
過去に脳梗塞を2回なって、マヒはなく、暫くは、元気でいましたが、加齢もあり、動くことが大変になり、食事もとれなくなり、1ヶ月ほど入院していました
検査をしたら、胸部動脈瘤が見つかり、ソフトボール位の大きさになっていたことがわかり、治療出来ないと、また、心臓に水が溜まっていて、点滴で治療したり、様子を見ていました
毎日、母を連れて見舞いに行きましたが、いつも寝ている状態でした。
あまり会話が出来なかったです

泊まりがけの付き添いはしないで、容態が変わったら連絡をもらい、駆けつけるつもりでいましたが、
間に合いませんでした。日付が変わる辺りに、心電図のアラームがなったそうです。
一番近くに住んでいる娘の私が真っ先に行きました。10分もかからずに
父の手を足を触ったら温かかったです。
間に合わなくてごめんね~
前日の夕方に行った時は、静かな呼吸だったから、明日もまた、会えると思っていました

父なりに、自分のことは自分でやったから、よく頑張りましたよ。
足腰が弱くて、自宅に居たときは、一人でリハビリパンツを履いて、自力で取り替えたりしました
大の方は歩くのもやっとでも、トイレに行きました
下着を汚して、弟嫁や娘に迷惑かけたくないと、
紙パンツを買ってこいと、言ったくらいです。
本当にギリギリまで自力で頑張ったのです
母はアルツハイマー型認知症のやや中度になっていて、父のお世話が出来ませんでした。
食事の支度はある程度は出来ますが、介助や介抱が出来ませんでした

母は、一人で住み慣れた家で頑張ってもらうことにしました。
デイサービスに行く回数を増やし、訪問ヘルパーさんにも回数を増やしもらうことにお願いしました

私は、毎日夕方に様子を見ることに通うことにします(車で5分の所)

これからが大変になるかもしれませんが、母には頑張ってもらいたいです

あの世で父は、母をしっかり見て守ってくれるかな?