西暦220年頃には、邪馬台国は存在していたことが魏誌倭人伝で分かっている。この頃に、倭国に統一国家が出来ていたと考えられている。しかし、日本での統一国家は大和政権が最初であり、4世紀初め(崇神天皇)とされている。もし邪馬台国が奈良にあれば、倭国における統一国家の時期は、一挙に100年ほどさかのぼり3世紀初めと言うことになる。日本古代史では50年の違いは比較的大きな違いで、時期は「3世紀はじめ、3世紀なかば、3世紀終わり」という言い方で特定されている。この三点の違いは50年以内だ。 . . . 本文を読む
島崎藤村の『夜明け前』は長編小説で、第1部と第2部に分かれ、幕末維新の約30年の時代の流れを細部にわたって描く。「中央公論」に『夜明け前』の連載が始まったのが昭和4年、藤村が最晩年の56歳の時だ。昭和4年は前の年の金融恐慌に続いて満州事変が起こり、翌年には金輸出解禁に踏みきらざるをえなくなった年でもあり、ニューヨークでは世界大恐慌が始まった時だ。そんな時に島崎藤村は、王政復古を選んだ歴史の本質とは何なのかを問うている、そのように松岡正剛氏は述べている。 . . . 本文を読む
明治の著名な実業人のほとんどは財閥の一員か、あるいは自ら財閥を興した人間であるが、日本の実業王と称された渋沢栄一だけは、自ら財閥を作らず、その一員となることもなく、日本に銀行や企業活動を根付かせ、民間による国づくり、国を豊かにすることに心を砕いた。
1874年、現在の埼玉県深谷市で富農の家に生まれた渋沢は、若い頃から反骨精神が旺盛だった。武士というだけで威張り散らす連中への反感、またアヘン戦争をめぐる英国の清国に対する理不尽さを知り、渋沢は次第に尊皇攘夷思想を抱く。 . . . 本文を読む
グローバリズムとは地球を一つの共同体と見なして、世界の一体化(グローバリゼーション)を進める思想であり、言葉通り訳せば地球主義となるが、一般的には多国籍企業が国境を越えて地球規模で経済活動を展開する行為や、自由貿易および市場主義経済を全地球上に拡大させる思想になってきた。一方で、新自由主義は、ニューリベラリズムといわれ、かつての自由放任主義的な自由主義に対して、自由な個人や市場の実現のために政府による介入も必要と考え、社会保障なども主張していた。それが近年では、ネオリベラリズム(略称でネオリベ)といわれるようになり、市場経済に対して個人の自由や市場原理を重視し、政府による個人や市場への介入は最低限にすべきという考え方になってきた。1970年以降の日本では、新自由主義は、このネオリベラリズムの意味で使用されている。 . . . 本文を読む
キリスト教の教祖イエスは、自分のことをユダヤ教徒と認識していた。しかし、厳格な律法を掲げ、律法を守る人間だけが救済されるというユダヤ教の教えに対して、イエスは異を唱え始めた。さらにイエスは、罪人も神に救済されるとも言い出した。ユダヤ教からすれば、イエスは明らかに異端となる。そのため、彼は謀反の罪でユダヤ教の幹部にとらえられ、その地を支配していたローマの総督によって十字架刑に処されたのだ。キリスト教の誕生は、ローマの歴史と重なっている。キリスト教が成立するのはローマ史の折り返し地点だった。また、イエスが名前で、キリストが名字と思われているようだが、それは違う。イエスというのは太郎とか一郎というように、当時のパレスチナにいた普通の男の名前であり、キリストは「油を注がれた者」という意味だ。ユダヤでは王が戴冠する時に油を注ぐ習慣があった。王は救世主というのがユダヤ教の伝統的な考え方だった。 . . . 本文を読む