ノーベル賞に輝いた山中伸弥教授のIPS細胞のことでいえば、IPS細胞は無限に増殖することが可能な幹細胞であり、組織や臓器のおおもとの細胞だが、それは、自らが増えてゆく複製能力と、分裂して他の細胞に分化する能力を持つ。そのIPS細胞を実験室でつくる時にはガン細胞が生まれることもあるという。山中教授は「再生能力とは、ガンになるのと紙一重だと思う。高い再生能力を持っているということは同時にガンができやすいということになる、だから、どっちをとるかという究極の選択が生物の進化の過程にはあった。人間のように50年以上も生きるようになると、次の世代に子供を残すため、十数年の間はガンを発生させない必要があり、涙を呑んで再生能力の方を犠牲にしたのではないかと、一人納得して思っている」と語っている。そして、ガンの幹細胞も見つかり、「がん幹細胞」と名付けられた。 . . . 本文を読む
朱舜水(しゅしゅんすい)は1628年に生まれ、満州族のヌルハチ(のちの太祖)が明と開戦した時には19歳、李自成が乱をおこした時には29歳、後金が国号を清とあらためた時には37歳、江戸幕府が鎖国令を出した時には40歳になっていた。朱舜水は明朝の衰亡とともに人生を送っている。朱舜水を見ることは、17世紀前後の日本を世界史的に見ることになる。 . . . 本文を読む
笈の小文(おいのこぶみ)の旅をそのまま更科紀行にのばした芭蕉が、岐阜・鳴海・熱田をへて8月に更科の月見をした後に、江戸の芭蕉庵に戻ってきて、後の月見を開いたのは9月のこと。それから半年もたたぬうちに、芭蕉は奥の細道の旅に出る。速いだけでなく、何かを十全に覚悟もしている。あらかじめ芭蕉庵を平右衛門なる人物に譲っており、「菰かぶるべき心がけにて御座候」と言って、乞食(こつじき)行脚を心に期していたふしもある。この紀行はまさに乞食行ともいえる。 . . . 本文を読む
ダンテの著作である『神曲』は、ダンテその人が古代ローマの叙事詩人ヴェルギリウス(ヴィルジリオ)に案内されて地獄界からめぐっていく物語になっている。大きくは3部構成になっていて、よく知られるように「地獄篇」「煉獄篇」「天堂篇」と訳される。煉獄篇については、あえて「浄罪篇」とするほうが分かりやすい。そして、これは壮大な叙事詩であり、すべての詩形はボローニャ風ではあるが、ダンテ自身が工夫開発した3行詩(テルツァリマ)で進んでゆく。地獄篇・浄罪篇・天堂篇ともに33歌からできていて序章がついている。そのため全詩は100歌になっている。序章の発端は人生の矛盾を痛感して煩悶している35歳のダンテがまどろんでいるところから始まる。ダンテはある日に「暗闇の森」に迷いこむ。「ある日」は金曜日で、イエスがゴルゴダの丘に罪を引き受けた日にあたる。天界に遊星が走る暗闇を脱したダンテは、そこにあった浄罪山に登ろうとして、ヒョウに会う。ヒョウはダンテの行く手を遮って立ち去らない。けれどもダンテはそのヒョウの模様のもつ示唆に気づく。ライオンとオオカミが現れ、ダンテは最初から窮地に立つ。この三匹の野獣はダンテの行手を暗示する寓意になっている。もはや絶体絶命となり、天上から三人の女神が手をさしのべる。マリアとルチアとベアトリーチェ。ベアトリーチェはヴェルギリウスにダンテを案内させることを命じ、ダンテが天堂界に着いたときには自分が案内することを誓う。そんな風に松岡正剛氏が述べている。
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岡倉天心の「茶の本」、出版された原本は英語だった。1900年(明治33年)をはさむ約5年ごとに明治文化を代表する3冊の英文の書物が日本人によって書かれている。いずれも大きなセンセーションをもたらしたが、その3冊とは、内村鑑三の“Japan and The Japanese”(日本及び日本人)、新渡戸稲造の“Bushido“(武士道)、岡倉天心の”The Book of Tea”(茶の本)だった。この「茶の本」について松岡正剛氏が興味深いことを述べている。その内容をたどってみたい。
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