murota 雑記ブログ

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(歴史メモ) 聖武天皇、(道鏡の出現)、桓武天皇、その過程を振り返る。

2016年09月20日 | 歴史メモ
 話を藤原京の時代から始めると、当時の天皇(女帝)の持統天皇は一人息子の草壁皇子(くさかべのみこ)が早死にしてしまったため、草壁皇子の遺児である珂瑠皇子(かるのみこ)に皇位を譲ろうと考え、弱冠14歳の珂瑠皇子を文武天皇(もんむてんのう)として即位させる(697年)。この14歳の少年への譲位には反対者も多く、持統天皇が上皇となって文武天皇を補佐したが、持統天皇は702年に亡くなる。藤原不比等(ふじわらのふひと・藤原鎌足の息子)は自分の娘の藤原宮子(ふじわらのみやこ)を文武天皇の夫人にする (697年)、その後、文武天皇と藤原宮子との間に首皇子(おびとのみこ・後の聖武天皇)」が生まれる(701年)。藤原氏はこの後、自分の娘を天皇の夫人とし天皇家と親戚関係を結んでゆくことになる。聖武天皇は奈良時代の中頃、深く仏教を信仰し全国に国分寺、国分尼寺を建立し、また奈良の大仏を完成させた天皇であり、天平文化の黄金時代を築いた天皇でもある。 . . . 本文を読む