イギリスやフランスが絶対主義国家として中央集権化を図っていた時にドイツでは内乱が起きていた。それが三十年戦争(1618~48)だった。ことの発端は宗教対立、1555年、神聖ローマ皇帝カール5世はアウグスブルグの宗教和議を行い、ドイツの宗教内乱は収まったかに見えた。当初、アウグスブルグの宗教和議は、新教徒にも信仰の自由を認めるものに見えたが、根深い問題が潜んでいたのだ。一つは、個人に信仰の自由が与えられなかったこと。諸侯が選んだ教会をその土地に住む住民は信仰しなければならない、つまり、信仰の自由は、諸侯にとっての自由にしか過ぎなかった。もう一つは、カルヴァン派の信仰は認められていなかったことだ。従って、アウグスブルグの宗教和議は中途半端な妥協の産物でしかなかった。 . . . 本文を読む