徳川幕府が林羅山に命じて朱子学を導入した。家康が信長秀吉時代のめまぐるしい政権変動にうんざりして、政治体制の絶対化と幕藩社会のための道徳の確立をはかるため、規範や道徳を儒学に借りたのは、残された手がそこにしかなかったからだといわれる。仏門をほうっておけば一向一揆や本願寺が動き出す。家康は一方で門徒制度で経済的保護を与えつつも、他方で宗門改めや本寺末寺制などによってその勢力を無力化させた。キリシタンではもっと困る。海外侵略さえ招きかねない。これは禁圧するしかなかった。こうして儒学の導入に踏み切るが、これが日本のその後の社会にもたらしたものは、予想をこえて大きいものだった。そのように松岡正剛氏は述べている。
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