庭のさくらんぼや杏子の花が咲き始め、ムスカリもとんがり帽子をにょきにょき伸ばし出した。
まだ寒くて冷たい雨が降っても、春は日に日に
ホイアン街歩き。
こちらは築200年以上にもなる貿易商フーンフンの家。
一階で裁縫をする女性。
二階の窓から見える家並み。
17世紀に中国の福建省から来た華僑によって建てられた福建會館は、今でも同郷人の集まる集会所兼寺院として利用されている。
建物入り口には、大きなリボンがチャーミングな狛犬さん。「ね?」、「あー」と、ことばを交わしているような。。
天井から下がる渦巻きの赤い線香は中国建築の特徴。
奥の祭壇には、船で貿易していた当時の航海安全の神様が祀られている。
煌びやかで、あーる! こういう時、じぶんが奈良や京都の仏像に馴染んだ日本人なんだなぁと実感する。
わたしにとって海外旅行は日常の澱を落として生き直す儀式のようなもので、その効用は、気候も文化も感じ方も違う世界を肌身に感じて、それが漢方薬のようにからだにじんわり作用していって、たとえば内臓をかきむしりたいくらいの悲しみが襲う時なんかに中庸に戻る手助けをしてくれることだと思う。
父がウォーキングの道筋に入れていた裏山の神社には、一番外側の大通りに面した入り口にお地蔵さんが祀られていた。
途中、山のてっぺんにある本殿と内拝殿、石段を下りてきたところにある外拝殿、そしてこのお地蔵さんに手を合わせるのがほぼ日課で、わたしも時々一緒に歩くことがあった。亡くなるちょうど一週間前、ひさしぶりに二人してその道を通り喫茶店に行った時、父はお地蔵さんを拝んだあと「ありがとうございました!」とつぶやいた。
それまで「ありがとうございます!」しか聞いたことがなかったから、わたしはびっくりして「なんで『ました』なの!?」と聞き返した。
父は意外にもさらっと、
「毎日『ありがとうございました』だわ。明日も新しく、『ありがとうございました』だ」
と笑って答えた。
それを聞いてもなんだかこそばゆい感じのままだったけど、父にとってそのくらい一日一日を生きていることが尊くなってきてたのだろう。
今もそのお地蔵さんの前を通りかかる度に父の手を合わせる後姿が目に浮かび、その姿ごと「ありがとうございます」と胸の内でつぶやいてしまう。
つづく