夏に山口県の湯田温泉に行く機会があった。
ホテルやカフェの食事が続いていたので、できれば地元の気張らない定食が食べたくなり、泊まっていたホテルで親しくなったお土産屋の店員さんにおすすめを聞いてみることにした。 気さくな彼女の好きな場所なら、わたしも気に入りそうな予感がして。
すると20年以上の間、仕事帰りの夕食に立ち寄っている喫茶店が近くにあるという。 話しによると、ご夫婦で経営されていて昭和な雰囲気の、家庭料理を出すお店らしい。
「お魚のフライとか生姜焼き、野菜炒めとから揚げでしょ、それに焼きそばやスパゲッティとかね、わりとあるのよ。 夜はちょっと暗いかもしれないけど、あ、灯りがね。 それさえよければ窓際に座って道行く人を眺めたりとか、ゆっくりできていいのよぉ。 わたしなんかこないだも、あー、お年寄りが増えたなー。とか思って見てたの、ふふ。 そういう落ち着くお店なかなかないでしょ、この辺」
わたしは、「そうそう、そんなところがよかったの!」と、うってつけをおしえてもらって嬉しくなり、さっそく夕方行くことにした。
階段を上り、扉のガラス越しに覗いた店内に人影はなく、ちょっとためらったものの思い切って・・・でもそおっと、ドアを押してみた。
入り口に湯田温泉出身の中原中也の詩集が数冊置いてある。 立ち止まってそれを見ていると、奥さんが気づいて声をかけてくれた。 中から一冊「在りし日の歌」を借り、窓際のソファー席で野菜炒め定食を頼む。
日が暮れて文字を読むには少し暗くなりかけた頃、湯気を立てたごはんが運ばれてきた。 お味噌汁と目玉焼きののった野菜炒めに副菜とお新香、その何気ない一揃いにほっとして、表の観光客や下のスミスハイヤーの車庫を出入りするタクシーを眺めているうちに、暑い盆地の夜が始まった。
今も、中原中也の詩と人生のできごとから受けた澄んではかない美しさと、正面の壁に取り付けられていたレトロなステンドグラスの女性像と、キッチンから聞こえてきた野菜を炒める小気味好い音が混ざり合い、甦ってくる。
その後、友人を訪ねて岡山へ。 泊まったのは、彼女おすすめの岡山国際ホテル。 部屋に着くとすぐ、豪雨で山並みが見えなくなり、灰色に煙る視界に幾つも稲妻が走った。
夕方雨が上がると、ホテルを囲む木立はいっそう鮮やかな緑に輝いた。 その向こうに街を望む開放的なレストランは、以前遠くにドゥオーモを眺めながら食事をしたフィレンツェのベルモンド ヴィラ・サン・ミケーレのレストランを思い起こさせ、ひとつひとつのお皿に心が弾み、お昼も夜も優しいおもてなしに癒しのひとときを味わえた。
翌日は、友人夫婦のお店でご主人シェフの心のこもった手料理に元気をいただいた後、電車で夜の倉敷に向かった。 19時のホームは静かで蒸し暑く、友人が自販機で買った水の落ちてくる音がいつもより大きく聞こえた。 あれは前日のうだるような真昼、瀬戸大橋を渡った香川県の小さな駅で、やはり自販機のペットボトルをおでこに当てた時の冷たさを身体が思い出したからかもしれない。
夜の倉敷駅
満月が雲を、川辺の外灯が揺れる柳の枝を照らしていた。
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