きょうはテレビのローカル番組で紹介されていた、松山市畑寺町の淡路ケ峠(あわじがとう)へ登ってみた。
標高275mの展望デッキに行くには、いくつかのハイキングコースがあるが、登山口が桑原中学校の近くにある「坊ちゃんコース」を選ぶ。
途中の道は急坂が多くてきつかったが、道沿いに咲く紫色のツツジの花や、眼下に広がる市内の眺めに癒された。
「坊ちゃんコース」の登山口から…。
結構きつい急坂が続く。
「赤シャツコース」との合流点。
ちょっと「赤シャツコース」を覗いてみる。
登山道沿いにはムラサキツツジの花が多い。
あと200mの道しるべに勇気がわく。
展望デッキが見えてきた!
淡路ケ峠の頂上には東屋と展望デッキがあるのがうれしい。
展望デッキからは松山市内が一望できる。
帰り道は「マドンナコース」。 急坂はないけれど、ツツジの花もなくて寂しい道。
山から下りて東野池まで歩く。
マイカーを留めた東野池そばの桜が満開できれいだった♪
【淡路ケ峠の由来】 ー 山頂の掲示板より抜粋 -
標高275mの淡路ケ峠は、東方には金毘羅街道、四国の霊峰・石鎚山、南に土佐街道、久万山、南西には
大洲街道、伊予地区、西方はるかに瀬戸内海の島々、北方には高輪連山を展望する位置にあり、また眼下に
は松山城を中心とした県と松山市街が展望できる素晴らしい景観の山頂である。
400年ほど前の天正年間(1573~1587年)道後湯築城の砦で「淡路城」と呼び、城主は河野道直の家臣、
林淡路守道起であった。
淡路ケ峠の山麓に展開する桑原地区は、古来豊かな歴史と数々の文化財に恵まれている。
戦後は県下各地から来住する方も多く、松山市のベッドタウンとなり、現在豊かな歴史文化の栄える文教
地区として発展している。
本日も訪問していただき、ありがとうございました。
標高275mの展望デッキに行くには、いくつかのハイキングコースがあるが、登山口が桑原中学校の近くにある「坊ちゃんコース」を選ぶ。
途中の道は急坂が多くてきつかったが、道沿いに咲く紫色のツツジの花や、眼下に広がる市内の眺めに癒された。
「坊ちゃんコース」の登山口から…。
結構きつい急坂が続く。
「赤シャツコース」との合流点。
ちょっと「赤シャツコース」を覗いてみる。
登山道沿いにはムラサキツツジの花が多い。
あと200mの道しるべに勇気がわく。
展望デッキが見えてきた!
淡路ケ峠の頂上には東屋と展望デッキがあるのがうれしい。
展望デッキからは松山市内が一望できる。
帰り道は「マドンナコース」。 急坂はないけれど、ツツジの花もなくて寂しい道。
山から下りて東野池まで歩く。
マイカーを留めた東野池そばの桜が満開できれいだった♪
【淡路ケ峠の由来】 ー 山頂の掲示板より抜粋 -
標高275mの淡路ケ峠は、東方には金毘羅街道、四国の霊峰・石鎚山、南に土佐街道、久万山、南西には
大洲街道、伊予地区、西方はるかに瀬戸内海の島々、北方には高輪連山を展望する位置にあり、また眼下に
は松山城を中心とした県と松山市街が展望できる素晴らしい景観の山頂である。
400年ほど前の天正年間(1573~1587年)道後湯築城の砦で「淡路城」と呼び、城主は河野道直の家臣、
林淡路守道起であった。
淡路ケ峠の山麓に展開する桑原地区は、古来豊かな歴史と数々の文化財に恵まれている。
戦後は県下各地から来住する方も多く、松山市のベッドタウンとなり、現在豊かな歴史文化の栄える文教
地区として発展している。
本日も訪問していただき、ありがとうございました。