ジノが差し出した手を天子は取らない。正しくは取れない。
天子は今まで、自分から誰かの手を取ったことなど無い。だから反応できなかった。
ジノは敏感にそれに気付いた。
(会いに行きたいのに、どう動いていいのか分からないのか)
天子の過去を考えれば、彼女にそういう発想がないのもうなずける。
生まれたときからこの朱禁城しか知らず、初めて外に出られたのがあの花嫁強奪のとき。
あのときの天子は、幼いばかりのアンティークドールに見えた。
そのお人形が唯一見せた感情。
『しんくー』
口の中でくるりと転がすように発音されるその名前。
その名を呼ぶとき彼女は人形では無くなった。
花嫁強奪の次にジノが天子を見たのは、エリア11決戦での黒の騎士団の母艦の艦橋。
天子は洛陽にいるものと想っていたのに、決戦の最前線に位置していた。視線を合わせたのは1秒足らず。それも通信装置の画面越しに。天子は気が付かなかったが、ジノは気付いた。
戦う力などまるで持ち合わせぬ天子が、それでもここは私が守るとばかりに、凛とした表情で敵である自分を見た。
そのときジノは思わず口笛を吹き呟いた。
「あの男を知らなかったらほれたな」
たまたまオープン回線になっていたので、戦闘中に不謹慎だと後でワンに怒られた。
ところで、実際のところ、ジノは天子に女としての魅力を感じたわけではない。
5年後ならともかく現時点ではどう見てもお子さまにしか見えない。女官達の噂ではあのエセ24歳の星刻が天子にほれているらしいが、・・・そういう趣味なのだろう。
あのときの言葉は一瞬呑まれかけた己を俗世に引き戻すための呪文のようなものだった