文化の日顔を洗ひて朝来たる 大野鵠士
掲句は極めてシンプルで、爽やかで心地よい句と感じます。失礼な言い方ですが誰にでも作れそうな雰囲気すら漂います。しかし、この句の上五(H)と中七下五(E)の組合せが、少なくとも私には到底出て来ないという事も感じます。どうしてこんな読み方が出来るのかを少し考えてみました。
十一月三日の「文化の日」を歳時記で引くと「戦前は明治天皇の誕生日で明治節の祝日であったが、終戦翌年のこの日に新憲法が発布され、自由と平和を愛し文化をすすめるために制定された祝日」とあります。
日常の習慣も文化の一つ。朝目覚めたら先ず顔を洗う習慣は、どの家でも子供の頃から教えられます。順序としては「朝が来て、起きて、顔を洗う。」ですが、実際には目覚めて洗面所へ行き顔を洗うと気持がスッキリとして「朝が来た」と実感できます。
『この習慣は人間にしかない。一つの人間の文化かもしれない。』文化の日に顔を洗いながら、ふと感じたことがこの一句に結びついたと想像します。一瞬のひらめきがそのまま掬い取られて一句になる。分かりやすく詠まれた句ですが、なぜか心を惹かれます。
◆神の旅・神の留守
足腰の弱れる神も旅仕度 大野鵠士
神留守の色なり伊吹山の肌 〃
トラックの荷台は空よ神の留守 〃
神の留守跳ね放題の池の鯉 〃
陰暦十月は八百万の神々が出雲に集結し、壮観な縁結びの会議が開かれます。とくに最近では少子化の進む人間界の子孫繁栄のために、神様達の年中行事がより重要さを増しているようです。
足腰の弱った神様もこの時ばかりは出張らねばならず、スーツケースを引っ張り出して着替えや洗面具を揃え旅の準備を始めます。人々の供えた餅や小豆粥で腹ごしらえをし、神送りの風に乗って出雲の国に旅立ちです。
神様の旅立った後は、俳人の鋭い観察眼で見ると人も自然も少しばかり様相が変わります。美濃の国ではなぜか伊吹山の肌色に少し赤みが差して来ました。人間達の気持ちもちょっと緩んで物流にも変化の兆しがあるようです。神社の池の鯉に至ってはこの時とばかりに大暴れの体です。留守神様たちがもう少し監視の目を働かせないとやばい事になるかもしれません。
想像の翼を広げて神の留守を詠んでみると、いろんな題材が拾えそうに感じました。来年の獅子吼一月号にはどんな情景が載るのか、今から楽しみになります。
掲句は極めてシンプルで、爽やかで心地よい句と感じます。失礼な言い方ですが誰にでも作れそうな雰囲気すら漂います。しかし、この句の上五(H)と中七下五(E)の組合せが、少なくとも私には到底出て来ないという事も感じます。どうしてこんな読み方が出来るのかを少し考えてみました。
十一月三日の「文化の日」を歳時記で引くと「戦前は明治天皇の誕生日で明治節の祝日であったが、終戦翌年のこの日に新憲法が発布され、自由と平和を愛し文化をすすめるために制定された祝日」とあります。
日常の習慣も文化の一つ。朝目覚めたら先ず顔を洗う習慣は、どの家でも子供の頃から教えられます。順序としては「朝が来て、起きて、顔を洗う。」ですが、実際には目覚めて洗面所へ行き顔を洗うと気持がスッキリとして「朝が来た」と実感できます。
『この習慣は人間にしかない。一つの人間の文化かもしれない。』文化の日に顔を洗いながら、ふと感じたことがこの一句に結びついたと想像します。一瞬のひらめきがそのまま掬い取られて一句になる。分かりやすく詠まれた句ですが、なぜか心を惹かれます。
◆神の旅・神の留守
足腰の弱れる神も旅仕度 大野鵠士
神留守の色なり伊吹山の肌 〃
トラックの荷台は空よ神の留守 〃
神の留守跳ね放題の池の鯉 〃
陰暦十月は八百万の神々が出雲に集結し、壮観な縁結びの会議が開かれます。とくに最近では少子化の進む人間界の子孫繁栄のために、神様達の年中行事がより重要さを増しているようです。
足腰の弱った神様もこの時ばかりは出張らねばならず、スーツケースを引っ張り出して着替えや洗面具を揃え旅の準備を始めます。人々の供えた餅や小豆粥で腹ごしらえをし、神送りの風に乗って出雲の国に旅立ちです。
神様の旅立った後は、俳人の鋭い観察眼で見ると人も自然も少しばかり様相が変わります。美濃の国ではなぜか伊吹山の肌色に少し赤みが差して来ました。人間達の気持ちもちょっと緩んで物流にも変化の兆しがあるようです。神社の池の鯉に至ってはこの時とばかりに大暴れの体です。留守神様たちがもう少し監視の目を働かせないとやばい事になるかもしれません。
想像の翼を広げて神の留守を詠んでみると、いろんな題材が拾えそうに感じました。来年の獅子吼一月号にはどんな情景が載るのか、今から楽しみになります。
神々が出張の準備でスーツケース詰め、想像するだに面白い。
うちの近所に小さな祠があり、謂れを読むと
津島神社の関連で須佐之男命を祭っているそうです。
早速コメント有難うございました。