・1ルピーとその価値の話
インドは、〝人口6億人以上〟(実際には統計されない、出来ない人々が居て、7億とも言う)の人々が住んでいて、凌ぎを削って生きていた。そこには人を騙す様な行為が蔓延し、色々な場面、場所で激しいお金の遣り取りがあった。従って、「1ルピーの攻防」はインド滞在中、常にあった。
「人を騙す様な行為」と言ったが、実際にこの言い方が、本当に正しいとは思っていない。
インドは、〝人口6億人以上〟(実際には統計されない、出来ない人々が居て、7億とも言う)の人々が住んでいて、凌ぎを削って生きていた。そこには人を騙す様な行為が蔓延し、色々な場面、場所で激しいお金の遣り取りがあった。従って、「1ルピーの攻防」はインド滞在中、常にあった。
「人を騙す様な行為」と言ったが、実際にこの言い方が、本当に正しいとは思っていない。
商品と言う物の値打ちが政府によって統制されてない、若しくは需要・供給のバランス関係がなく、値段が決まってないインドに於いて、商品の値段は売り手の値のまま買い手がその値で買えば、その売買は成立する。ようするに買い手は実際の物の価値を分からないが、お金を払えば「買い手は、その価値があった」と判断される。しかし買い手が売り手の値で納得しなければ、そこから個々に値段交渉が始まるのでした。
統制され決まった値段であっても、売り手と買い手によって値段が変化するが、鉄道やバスの運賃は決められた通りであった。しかし、メーターがあるタクシーやリキシャの運賃は制度上決まっている様だが、何処の国でもあるように法外な、或は、ある程度の値段を吹っ掛けて来るのが彼等のやり方であり、常であった。
インドの1ルピーは、彼等にとって大変価値ある金額であるし、勿論、我々の様な貧乏旅行者にとっても価値があった。例えば、1ルピーあれば大抵の事が出来た。1ルピーで食事(駅弁は1.5ルピー)が出来、チャイも3~5杯飲め、バナナは1房買え、リキシャなら交渉次第で相当な遠距離まで、バス・列車にも乗れ、またドミトリーにも宿泊出来た。1ルピーとは、価値ある金額であった。
インドの一般的な生活感覚で行くと、1ルピーは日本の500円前後の価値があった。従ってインドに来て、『1ルピーがどの位の価値で使えるか』と言う事で旅の仕方が違って来た。そんな理由で、「たかが1ルピー(49円=公式レート、闇レートは39円)、されど1ルピー」であった。
統制され決まった値段であっても、売り手と買い手によって値段が変化するが、鉄道やバスの運賃は決められた通りであった。しかし、メーターがあるタクシーやリキシャの運賃は制度上決まっている様だが、何処の国でもあるように法外な、或は、ある程度の値段を吹っ掛けて来るのが彼等のやり方であり、常であった。
インドの1ルピーは、彼等にとって大変価値ある金額であるし、勿論、我々の様な貧乏旅行者にとっても価値があった。例えば、1ルピーあれば大抵の事が出来た。1ルピーで食事(駅弁は1.5ルピー)が出来、チャイも3~5杯飲め、バナナは1房買え、リキシャなら交渉次第で相当な遠距離まで、バス・列車にも乗れ、またドミトリーにも宿泊出来た。1ルピーとは、価値ある金額であった。
インドの一般的な生活感覚で行くと、1ルピーは日本の500円前後の価値があった。従ってインドに来て、『1ルピーがどの位の価値で使えるか』と言う事で旅の仕方が違って来た。そんな理由で、「たかが1ルピー(49円=公式レート、闇レートは39円)、されど1ルピー」であった。
私も「郷に入れば郷に従え」の格言の通り、行動もそして考え方も、インド方式に近づかなければならなかった。