YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

駅で盥回しにされる~ニューデリーの旅

2022-02-08 14:26:18 | 「YOSHIの果てしない旅」  第10章 インドの旅
・昭和44年2月6日(木)晴れ(駅で盥回しにされる)
 明日、私とロンはAgra(アグラ)見物してからBombay(ボンベイ)へ行く事にしたので、私一人で切符2枚を買いにロンと私の旅客運賃学生割引証を持ってニューデリー駅へ行った。
 インドは州や地域が違うと言葉も人種も違い(多言語、多民族国家)、言語は15以上、方言は100以上あると言う。その様な理由で駅の案内板には、英語やヒンディー語の他、5~6の言語で書かれていた。しかし私の知りたい情報・案内は見当たらなかった。従ってボンベイまでの乗車券を買うのに、何処の窓口へ並べば良いのか分らなかった。駅員(インドの鉄道員は制服を着ていないので、駅員と一般人との見分けが分らない。)に聞きたいが、窓口以外見当たらないので、困惑状態であった。とりあえず1階の適当な窓口に並んだ。各窓口には、大勢の人が並んでいた。
 やっとの思いで自分の番が来た。「明日乗るのですが、アグラ経由ボンベイまでの学生割引3等乗車券2枚下さい」と私。
「2階へ行って下さい。」と窓口係員。
「2階の何番の窓口ですか。」と私。
「私には分かりません。」と係員。
 とにかく2階へ行った。2階にも幾つも窓口があった。ある窓口で、「明日乗るのですが、学生割引のアグラ経由のボンベイまでの3等乗車券2枚下さい。」と私。
「その乗車券の発売は1階です。」と係員。
「下の窓口で聞いたら、2階だと言われました。」と私。
「下の係りの者が2階だと、如何して言ったのか分りません。」と係員。
「それでは下の何番の窓口へ行けば良いのですか。」と私。
「分りません。下で聞いてください。You are wasting time. Next person。」と係員。
「人を困らせておいて、時間を無駄にしているだと、それはそっちだろう。You are troubling me , fuck off.」と私。
 それにしてもインド人の案内、態度のふてぶてしさには、本当に頭に来た。しかし彼等としても、毎日大勢の訳の分らない3等切符利用の貧乏人乗客相手で、まともに話してられない、と言った感じであったが、私は到底彼等に同情する気になれなかった。仕方なく再び1階へ下り、最初に行った窓口の隣の窓口へ、大勢の列の最後に並んだ。やっと順番が来て聞いたら、次の窓口と言われた。次の窓口に行ったら、又次の窓口だと言う。私の頭にヤカンを乗せたら、お湯が沸く程であったかもしれません。それ程、頭に来ていた。   
「ボンベイまでの切符は、何処で買えるのだ。ネクスト、ネクストと言って何処の窓口のネクストだ。」と私は怒った口調で係員に言った。
「Next is next counter. You are able to buy the tickets. So, no problem.」と係員。
「コノヤロー。人を盥回(たらいまわし)しにして、何が問題ないだ。大いに問題があるではないか。忌々しいインド人だ。」と私は爆発寸前であった。
そして終に、最後の窓口に来てしまった。「明日乗るのですが、アグラ経由ボンベイまでの学生割引3等乗車券2枚下さい。」と私。
「3時に来て下さい。」と係員。
「如何して。」と私。
「2時から3時まで私のランチ・タイムです。私はお腹が空いています。案内の通り2時から3時まで閉めます。」と係員。
「誰か他の人は居ないの。」と私。
「ノー」と言って、その窓口係員は、窓口を閉め、立ち去って行った。本当に忌々しい糞インド駅員達だ。それにしても日本や外国に於いて、こんなにも盥回しにされた事は、過って無かった。
 どうする事も出来ず仕方がなく、1時間ばかり駅周辺をうろつき、3時に再びあの窓口へ行った。例の係員は、「旅客運賃学生割引証にミスター・スチュワート(ロンの事)のサインが無いので1枚しか売れない。」と言うのであった。私は気が付かなかったが、駅員の案内・態度はいいかげんであるのに、旅客の書類関係はルール通りであった。インド人にバカにされ、盥回しにされ、時間を費やし、そして結局は買えなかった。「チキショウ、インド人のクソッタレ!!」と1人わめく私であった。
  一旦ドミトリーに戻り、ロンと後で再び駅へ行った。しかし、「今日はもう売らない。当日買えるので、ノープロブレム.」と、同じ窓口の係員(前の人だったかは分らなかった。)に言われ、やはり買えなかった。それでは如何して最初に言ってくれないのか、本当に悔しかった。「チキショウ!インド人のバカヤロウ!!」とさんざん悪態を言う私とロンであった。
 駅から帰った後、夕食に私とロンは、Mikado(「ミカド」と言って、コンノート広場近くの日本食レストラン)へ食べに行った。10ルピー(約490円)払った。10ルピーと言っても、低所得者の3日~4日分の収入を1回の食事で使ってしまった。でも、時にはこの様な食事を取らないと身が持たない、と言った感じであった。久し振りに美味しい食事をした。
 その後、我々はアメリカ女性と街で知り合い、チャイを飲んで過ごした。私とロンは明日早く起きて、アグラへ行く事になっていた。私は寝不足に弱いので、ロンを残して私だけ午後11時頃、ドミトリーに戻った。



オーストラリアの査証を取得~ニューデリーの旅

2022-02-08 14:00:51 | 「YOSHIの果てしない旅」  第10章 インドの旅
・昭和44年2月5日(水)晴れ(オーストラリアの査証を取得)
 午前中、査証が出来ていると思い、オーストラリア大使館へ行ったが、館員は午後2時半頃に出来ると言うので一旦戻った。
 インデア・コーヒ・ハウスでチャイを飲みながら時間を潰し、2時半頃に再び行った。しかし査証は出来ておらず、1時間30分も大使館で待たねばならなかった。そして午後4時、やっと出来た。査証はビジター、滞在期間1ヶ月間、3月19日まで入国、取得料金7ルピーであった。ロンは日本大使館で査証を20分か30分程で取れたのに、オーストラリアは日数・時間が随分掛かった。ロンは2,000ドル以上持っていたが、私は120ドルと少々しか持ってなかった。国別の大使館、所有のドル額、或は人によって随分違いがあった。
 ニューデリー滞在中でも一般的な食事は、やはりチャイとチャパティ(イランやパキスタンではナンと言う)であった。チャイは水分補給としての大事な飲み物であった。インドは〝衛生観念の低い国民〟(こんな言い方は失礼かも知れないが、事実であるから仕方ない。)なので、コレラを始め赤痢等色々な伝染病が流行っても仕方がない。インドでそれらの病気に冒されたらそれこそ大変なので、少なくても生水だけは決して飲まない様に細心の注意を払っていた。そんな訳で水分補給としてのチャイは、私にとって大事な飲み物であった。
  生水と言えば日本を出国以来、注意して来た。特にイスラエルを発ってからイランやパキスタンでは、水分不足である事は分っていた。その影響がもろに出たのが1月29日のラホールでのウンコの状態であったのだ。しかしあれから尻の状態は、特に問題無さそうなので、ひとまず安心した。


ストリートボーイとブラックマーケットの話~ニューデリーの旅

2022-02-08 13:47:07 | 「YOSHIの果てしない旅」  第10章 インドの旅
・ストリートボーイとブラックマーケットの話
 「ストリートボーイ」とは、我々旅行者がインドの都市の何処でも街を歩いていると呼び掛け、主に闇両替、或は時計、カメラ、万年筆等の高級品からシャツやジーパンまでの売り買いを元締めに斡旋してくれる「両替・売買仲介人」の事である。彼等は、仲介料を元締めから貰って生活しているのだ。したがってストリートボーイを通さないで、元締めと直接交渉した方が高く買い取ってくれる場合があった。一方列車やその他の所で知り合ったインド人と直接に取引した方が有利であった。
 2月4日の夜、関が「時計を売りに行きたい」と言うので、彼に付き合った。彼は国境で時計6個を没収されたはずなのに、まだ4個位持っていたのだ。彼も中々の食わせ者(?)であった。
 我々はそのストリートボーイを介して交渉したが、交渉は成立せず結局良い値で売れなかった。こちらから売りたい場合は足元を見られ、買い叩かれる場合があるので、ジックリ攻める(時間をかけて交渉する、交渉相手を変える等)事がインドでは大切、攻め急ぎは禁物であった。
 「ブラックマーケット」とは、「闇両替商」の事であり、我々旅行者の持っている米ドルをインドのお金と非合法で交換する「連中」の事である。
ルピーは海外からの持ち込み、或は海外への持ち出しが禁止になっていた。銀行で両替しないで非合法で両替した方が交換レートは高かった。しかしブラックマーケットで両替した時は、両替証明書を発行してくれないので、インドを出国する際、公式な場所で他の国のお金と両替する事が出来ない。例えインド・ルピーを持ち出しても、国際的に価値が低く信用度も無いので、果たして交換してくれるか疑問であった。従って余ったルピーは、無駄になる前に全部使ってしまう事が大事なのであった。
 2月4日の昼間、こんな事があった。私のルピーが終りそうになって来たので、関を連れてルピーを闇で買おうといつもの闇両替屋の所へ行った。その闇商人とは顔見知りになったので信用して、先に10ドルを渡したら90ルピーしか渡してくれなかった。いつも1ドル9.25ルピーの率で交換してくれるので、10ドルだから92.50ルピーが正当なのだ。我々は猛然と抗議して2ルピー取り返したが、向こうはさすが強(したたか)な両替屋、どうしても50パイサを取り戻す事が出来なかった。
 この様に何回か会ったからと言って信用しても、取引は先に品物(ドル)を渡しては駄目だ。必ず相手の品物(ルピー)を貰ってからお金(ドル)を渡す。この順序を間違えると向こうの思う壺になった。ニューデリーへ到着した日、ストリートボーイが1ドル12ルピーで交換してくれる、と言う話があった。余りレートが高すぎる話は眉唾物で信用しなかった。
  そして今日の教訓は、何度か会って、信用出来ると思っても、先にドルを渡しては駄目と知るべし。順序を間違えると損をする。騙されても警察には訴えられない。闇両替・闇取引は慎重さが要求された。