YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

デリーとインド人の口の周りが真っ赤な訳の話~ニューデリーの旅

2022-02-09 09:30:08 | 「YOSHIの果てしない旅」  第10章 インドの旅
・デリーとインド人の口の周りが真っ赤な訳の話
デリーは、オールドデリーとニューデリーを合わせて総称として呼ばれている。オールドデリーはニューデリー駅北方に位置し、レッドフォート(赤い城塞)の城壁に囲まれた、所謂『城郭都市』です。ニューデリーは、オールドデリーの南方に隣接され、イギリス統治時代に新しい都市造りとして出来た都市です。当然、都市造りは近代イギリス様式が取り入れら、そしてニューデリーのみならず、インドの大都市の建物は、イギリス建築様式に似ていて、何処へ行ってもまるでイギリスに居る様な感じがした。
 ニューデリーの中心は、Connaught Place(コンノート広場)で、そこから四方八方に道路が延びていた。広場の周囲には、事務所、映画館、レストラン、商店等が軒を連ねていた。その中心の円形の広場は、芝生と花のある小公園となっていた。
 2つのデリーの光景は、極端に違いがあった。オールドデリーの街は汚く、ゴチャゴチャしていた。特に大通りから分かれた生活道路や路地は、怖くて入って行けない地域であった。所がインドに慣れて来たボンベイやカルカッタでは、しばしばその様な所まで足を踏み入れた。オールドデリーの道路脇の歩行者専用通路は、多くの路上生活者や乞食が居た。夜間、良く下を見て歩かないと、彼等を踏み付けたり、寝ている足に躓いたりして、歩くのも大変であった。ボンベイ、カルカッタはもっと凄かった。このデリーは、古い街と新しい街、ゴチャゴチャな汚い街と良く整備された街、貧乏人が密集している街と金持ちが集まった街、それがデリーと言う都市であった。
  所で、街を歩いていると通りで植物の実を葉っぱに包んだ嗜好品の「パーン」を並べて売っている店が多く、インド人男性が好んでそれを買っていた。彼等はそれを口の中に入れ、クチャクチャ噛んでいる内に口の中は勿論、口の周りも真っ赤になった。そうすると彼等は赤い唾を辺り構わず「ベッ、ガーベッ」と吐き散らし、通りは辺り一面その赤い唾で真っ赤になっていた。しかも近代的建物の前や軒先まで彼等は「ベッ、ベッ、ガーベッ」と唾を吐きだすので、近代的都市の美観まで侵されていた。インド人の不潔さ公衆道徳の無さ、これもニューデリーの一面であった。

インドの現状の話~ニューデリーの旅

2022-02-09 09:15:55 | 「YOSHIの果てしない旅」  第10章 インドの旅
・インドの現状の話
  所で、2月6日(木)「駅で盥回しにされる」の文中に「訳の分らない」と「何でもあり」と言う語句を使ったが、それについて私がその様に思っている、或いは感じているだけで、他の人々(外国人旅行者や現地インド人)は特に思っていないかも知れません。
 しかしあえて言うならば、次の事を指摘しておきます。それらは、一国のインドで多言語、多民族、カースト制度と不可触民の存在(憲法下では廃止されているが、確かに根強く現存している)、人口過多(街のあちこちで産児制限奨励のポスターや看板が目立つ)、貧富の格差、圧倒的に貧乏人の多さ、路上生活者や乞食の多さ、都市の超人口過密、宗教の雑多、原始社会から近代社会の存在、都市と農村のあらゆる格差等々であり、それらが混然一体となっている現状の事です。そして訳の分らない、或はなんでもありとは、上記に述べたそれらの矛盾性から来る主観的な私の捉え方(折に触れ、それらの事をなるべく記して置く様にしています)である。インド政府はこれら諸問題を抱えながら、国を統治して行かなければならないのである。私は、『インド政府は大変だなぁ』とつくづく思うと同時に、『インドは何でも受け入れる事が出来る』と言う凄さに感心するのでした。 

インドの鉄道の話~ニューデリーの旅

2022-02-09 08:53:31 | 「YOSHIの果てしない旅」  第10章 インドの旅
・インドの鉄道の話
 私とロンはニューデリー駅で乗車券を買うのに、軽くインド人にあしらわれてしまった。この様に乗客を盥回しにする様な案内、或は態度・接客の悪さを駅長やもっと上層部に訴えても埒(らち)が開かないし、加えて私の語学力の無さでは充分に訴える事が出来ないであろうと思った。例え英語で充分に話が出来たとしても、『何でもあり』のインドでは、1人1人の乗客否、乗客ではなく、如何でも良い利用者の声・意見等を一々聞いてくれる様なインド国有鉄道組織でないのだと理解した。
 駅員の態度、言葉の悪さ、非能率、無責任、自分の窓口しか感心がない縄張り主義、偉ぶっている権威主義等、インドの鉄道には問題が色々あった。インドの鉄道は国有なので、駅員はお役人様なのだ。カースト制度でも上級クラスに入るのであろう。上級クラスのお役人様だから利用者を盥回しにしても、屁とも思っていなかったのだ。  
  私はインドの腐った官僚機構の一端を見てしまったのだ。いずれにしてもインドの鉄道はこんな事だから死傷者何百人と言う、列車転覆事故や列車正面衝突事故が度々発生しているのだ。1968年(去年)、インドは国際観光記念の年であった。これを機会にインド政府及びエアー・インデア(インドの航空会社)は観光に力を入れている様であるが、全般的に受け入れ態勢が全くなっていなかった。インドの表玄関であるニューデリー駅ぐらいは、もう少し何とか成らないかと強く感じた。