YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

インドのカレー定食の話~ボンベイの旅

2022-02-12 17:58:47 | 「YOSHIの果てしない旅」  第10章 インドの旅
・インドのカレー定食の話
 インドの大衆食堂や列車の食堂では、カレーセットと言うか、カレー定食があった。普通、カレーと言えば「タリー」と言うこのカレー定食を指す。カレーの種類は野菜カレー、マトン・カレー、チキン・カレーがあったが、豚肉や牛肉の入ったカレーは無かった。インド人は宗教上ベジタリアンが多いので、特にマトンやチキンのカレーを注文しなければ、野菜カレーが出る。
 今日(1969年2月9日)、食堂車へ行ってタリーを注文したら野菜カレー(1.5ルピー)であった。出された野菜カレーは、お盆にアルミ製のボールが5つ(値段によってボールの数が異なる)載せてあり、その内の3つのボールに強烈に香辛料やスパイスがきいた、種類の異なったカレーが入っていた。残りの2つのボールには、ヨーグルトと豆のスープが入っていた。叉そのお盆の上にご飯茶碗に3杯分位の量のご飯が山盛りに出され、更にそのご飯の山にチャパティ2枚が載っていた。その他、お盆の上に玉ネギ(日本の玉ねぎと違う。紫色で大きさ・形はラッキョウより少し大き目であった。)も付いて来た。カレー定食のビッグな量には驚きであった。寧ろ、我々日本人には多過ぎる感じがした。しかしそれでもインド人は、ご飯をお替り(お替りは自由)する人もいた。
 インド人の食べ方は、カレーをご飯にまぶせ、直に右手でカレーとご飯を満遍なく掻き回し(と言うより、こねくり回し)、右手でそれを掴んで食べていた。何だか汚らしい食べ方であった。手を使って食べる習慣がない私は、給仕の人にスプーンをお願いして食べた。
野菜カレーと言っても中にジャガイモ、人参、玉ネギ等の野菜が入っているのか分らず、本当に野菜入りカレーなのか疑う程であった。ご飯は日本米の様にフックラ、モチモチ感がなく、ボロボロしていて不味かった。インドのカレーは、我々が普段食べているカレーと比べて非常(7倍から10倍位)に辛いので、私はほんの少しご飯にカレーを掛けるだけで、ご飯も半分食べるのがやっとであった。又チャパティも少しカレーを付けて1枚食べるのがやっとで、後はいつも残した。とにかくカレーは非常に辛く、ご飯やチャパティも不味く、それでも私は無理して腹の中に入れていた。
 ヨーグルトも何か変な味がして、飲める代物ではなかった。カレーが辛過ぎる人は、ヨーグルトをカレーに混ぜて食べると辛さが薄まると言うのでやって見た。でも返っておかしな味になってしまって、余計に食べられなかった。インドの生水は、コレラや赤痢になってしまう恐れがあるので、カレーが辛くても絶対に飲む気になれなかった。インドは、タリーを食べるのも苦労した。このカレー定食は、安い所で1ルピーから高くても2ルピー以内で食べられた。

列車転覆事故を見る~ボンベイの旅

2022-02-12 17:47:13 | 「YOSHIの果てしない旅」  第10章 インドの旅
・昭和44年2月9日(日)晴れ(列車転覆事故を見る)
 ロスは、「後1泊してデリーへ戻る」と言う事で、私とロンは彼と別れた。我々がリキシャで駅へ向かう途中、馬車に乗った日本人2人が向こうからやって来た。ロンが、「もしもし」と日本語で話しかけたが、知らん振りして行ってしまった。
 我々はアグラ駅からBombay(ボンベイ=改名し現在はムンバイ)行きの列車に乗り込んだ。我々は1人4.5ルピーの3等の寝台車を取った。私にとって3等寝台車は混雑している3等客車より余程良かった。この寝台は身体を横に出来る十分なスペースがあり、それは良いのであるが、毛布が無く、又ベッドはインド人が裸足のまま使用し、鉄道側はカバーを取替えないし、洗濯もしないから極めて汚れていて、不潔さを感じた。そして鉄格子の窓になっていて、まるで牢屋の様であった。それでもこの寝台は、3等客車より余程益しであった。
 3時頃、我々は食堂車で昼食を取った。私はインドの代表的な料理であるカレー定食(1.5ルピー、約75円)を注文した。ロンはカレーが食べられないので、コーラを2本飲んで食事代わりにした。しかし彼は1本分しか払わなかった。彼は良い奴だが、どうもずるい所があった。私は夜も、カレー定食を食べた。
 所で、昼間ある区間を列車がノロノロ走っていたので、如何したのかな?と、外を眺めていたら、貨物列車の転覆事故(機関車と貨車10数両程が脱線し横倒していた。)を見てしまった。案の定、インドは転覆事故や列車正面衝突の事故が多発している、その証明でもあった。
 夜、昼間の事故を思い出した。「この列車は大丈夫なのであろうか。」と心配になるやら、不潔な寝台の寝心地の悪さで、寝付きは余り良くなかった。「この列車の機関士さん、どうか居眠りをしないよう、安全運転をお願いします。」と私は祈った。