ななごの部屋(リウマチとともに)それから

リウマチとともに歩みアクテムラのおかげで安定してきた私。もっと溢れるように生きたい☆2013/1/1開店☆

呼吸器内科、リウマチ内科

2025年01月22日 | 病院

通院のため、早朝、6時にでて車を駅近くにとめる。

早めの電車に乗れる。
座れた。
まだ咳や気持ちの悪いのが抜けない。声も出ない。
日の出前の暗い空の下の方がオレンジ色になっているのが美しい。
 
電車はだんだん混み合ってくる。
咳が出ないように飴を舐めたりお茶を飲んだり。
病院に着くと採血採尿。
生年月日を聞かれても声が出ないのを無理やり絞り出ししゃがれた声で。
 
病院内の店でモーニングの朝食と紅茶のセットをお願いする。
椅子に座ると喉の奥がカラカラして来て、
咳が出た。数回出た。
隣のオバサンがすぐに場所を移動して私から離れていった。
抗生剤も10日分バッチリ飲んだし、
うつらないと思うけど。
ま、いっか。
コロナ禍を過ぎてから、
人の優しさが少なくなった気がした。
皆、自分を守りたいのだ。私もそうだけど。
 
肺のレントゲンを撮り、10時30分予約の呼吸器内科へ。
わりと早めに呼ばれる。
検査結果はかなり改善していた。
k先生も安心されたようだ。
気にかけてくださり電話をもらった。
前回crp12.8から2.8になった。リウマチがあるから。少し高いが、以前よりいい。
それと、吐き気がして気持ち悪いのを伝えた。
「どうも逆流性食道炎ではないかと思うのですが、口の中に酸っぱいのが溜まったりして。母がそうだったので」
と言ったら薬を出してくれた。
 
「次の予約はどうしますか?」
と言われ
「今日、リウマチ科でオレンシアの点滴ができるでしょうか?」
と聞いたら
「むりかなあ」
と聞いたので2週間後にしてもらった。
リウマチの点滴は4週おきなので、今日、できたら4週後なんだけど、
できなかったら2週後と思っていた。
「遠くから来るから大変でしょう?1人できたの?」と聞かれた。
今日はそうでも無いけど前回が辛かったですと言った。
私の声がまだ、よく出なくて聞き取りづらいよう。
優しい言葉をかけてもらうと泣きそうに嬉しい。前回は妹も倒れていて、送ってもらうのは無理だった。
 
「今年はインフルエンザが重くて若い人でも入院してしているんですよ、予防接種はしましたか?」
「はい」
していたから入院しなくて済んだのか。
そう思うことにした。
呼吸器内科の先生は優しい。
 
リウマチ科は混み合っていた。
先生が一人一人に時間をかけている。
呼吸器内科の先生との話を伝えたら笑っていた。
「すみません、勝手に決めて」
と謝った。
「k先生がそう言うのなら、その方がいいでしょう」
と言うことになった。
 
早めに帰路に着くことができた。
ただ、声が出ないので、人に話しかけるのも戸惑う。
早く前の声に戻るといいなあ。
 




 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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まだ声が出ない

2025年01月20日 | 未整理
1/16呼吸器内科の先生から電話をもらった。
午後、寝ていたら電話があったので、すぐに出られた。
抗生物質は明日まで飲むことになっている。
きっちり飲んでください、
と、時間かけて診たいので22日、11時の予約を10時30分にします。
と言うこと。 
横になると気持ち悪くて咳が出る。吐きそうになる。
ゼイゼイする。
薬が明日までで大丈夫かと不安もある。

1/17友達2人から電話をもらう。
だけど声が出ない。
私が話してもよく伝わらないみたいで、
聞き返してくる。

やっぱ電話はだめだ。声が出ないから。
こんなに長く声が出ないのは初めてだ。
話さなくていいので楽かもと少し思う。

このまま声が出なかったら、困る。
1/20になっても、まだ声が出ない。
少しいいようにも思うが、このままで
森進一みたいな声になるのだろうか。










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歳をとるって

2025年01月16日 | まったり
午後1時、換気扇の修理に来てもらって、
新しいのをつけてもらった。
もう10年以上前の換気扇で、回すと飛行機が離陸するような音がする。

私は、まだ風邪が抜けず、
声が出ない。
それと咳。

2時間足らずで換気扇は付いて、
静かに動いている。

友達から突然、電話があった。
以前、一緒に同人誌をやっていた友達。
kさんが去年、亡くなったと言う。
私と同い年だった。
12月26日と聞いた。
わたしも体調を崩し始めた頃だ。

わりとその時の様子を具体的に話してもらい、
想像できた。
kさんは中学の時の事故で頸髄損傷で手も足も不自由で24時間介護が必要だった。

車椅子でよく出かけていて、バッタリ会ったりしていた。
福祉事務所の代表をしたり、
kさんのとこに集まり、合評会をして同人誌を作ったりしていた。
kさんは小説を書いていた。

同人誌が解散してから、
骨折して入院、糖尿病になった。

でも、かなりエネルギッシュに出歩いていたと思う。
kさんの周りはいつも誰かいて賑やかに見えた。

友だちもいろいろ、あったらしいけど、
みんな、よく頑張ったと思う。

世代や立場や、性格、環境、性別など
どうしても理解されなかったり、理解できなかったりすることは仕方ないんだと思う。
言葉の重さを知る人とそうで無い人。

わたし自身も時々、父が言っていたことを考える。
その時は理解できなくても、
歳をとると分かることもある。

もっと深みへ行ってみたいと思う。

介護の経験がある人は手際良く理解しているが、手探りでは難しい面もある。
要は、客観的に自分を見ようとする努力が必要では無いか。

思いつくままに書きました。
















コメント (4)
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呼吸器内科、リウマチ内科

2025年01月08日 | 病院
しばらく寝込んでいたので、ふらつくけど、外来の日。
無事、帰れることを願って。
朝7時15分頃の電車に乗る。
今年は年末から体調を崩して、お正月も動けなかった。

咳がまだ出るけど熱は無い。
6日にリハビリに行ったけど、咳が出ていた。
正月ころはインフルがすごく流行っていたそうだ。妹も39度の熱を出したと言っていた。それがうつったか…

なんとか病院に着く。
午前に採血採尿を済ませ、
レントゲンを撮り、
午前11時予約の呼吸器内科へ。

肺炎になってますよ、
と言われた。
痰もとるように言われ、機械を使い塩味の水蒸気を吸いながら、
なんとか取れた。
抗生物質を出してもらった。
crpも12.8あった。
肺炎は高く出るなあ。
それからリウマチ内科へ。

移動するのも、なんだか、動悸がする。
咳が続き吐きそうになる時がある。

抗生物質、オーグメンチンとサワシリンをもらう。
あと、痰切りの薬。
なんとか転ばないで帰宅できた。
声が出ないのが問題だったけど。
無理に出すとしわがれた声。聞き取りにくいらしい。






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