昨日は認知気味の義兄の嫁さんの病院へ。前よりは良くなっている感じだけれど、なんだかやっぱりおかしい。「かあさん(義母)の葬式にはお世話になってごめんね」なんて言う、ちょうど入院する時に義母が危篤で、それは覚えているらしい、それでも歩けなかったのが歩けるようになり、今月中には退院できるらしい、その後は、かんじゃさま、ごかぞくさまの努力次第です。
2006年のテレビの再放送です、
末期がんの告知を受けてからの闘病記録。病巣の画像のみで、簡単に余命を告知されても、症状もないのに、心は混乱するばかり、医者は一緒に頑張りましょうとは言わず、統計に表れた確率を告げるばかり。根拠のない希望を与えてもと言うことだけれど、嘘でもイイから治ると言ってというのが患者の本心だと思う。
医者に求めるものは心のふれあいが大きな要素を占める、治らなくても良いセンセイだったと思うセンセイに出会えればそれでいい。もう40年以上も昔の仙台市立病院の外科のセンセイ、(母親の主治医だった)クリスマスに「早くよくなってね」とメッセージ付きの貯金箱のプレゼントを配って回ったり(末期患者に)、付き添っているものにも何かと気遣ってくれた、今でも医者と言えばそのセンセイの優しさを思い出す。
自分の場合はそういうセンセイには出会えていない、時代が違うから?、告知が当たり前になり、患者の負担は増えた感じがする、案外医学は進歩していないのだろう、苦しい治療を受けても、何の治療をしなくても余命にあまり差はないそうだし。
再発したらホスピスへ行こうと自分の場合は決めている、苦しまないで死にたい、それだけが希望。
末期がんの告知を受けてからの闘病記録。病巣の画像のみで、簡単に余命を告知されても、症状もないのに、心は混乱するばかり、医者は一緒に頑張りましょうとは言わず、統計に表れた確率を告げるばかり。根拠のない希望を与えてもと言うことだけれど、嘘でもイイから治ると言ってというのが患者の本心だと思う。
医者に求めるものは心のふれあいが大きな要素を占める、治らなくても良いセンセイだったと思うセンセイに出会えればそれでいい。もう40年以上も昔の仙台市立病院の外科のセンセイ、(母親の主治医だった)クリスマスに「早くよくなってね」とメッセージ付きの貯金箱のプレゼントを配って回ったり(末期患者に)、付き添っているものにも何かと気遣ってくれた、今でも医者と言えばそのセンセイの優しさを思い出す。
自分の場合はそういうセンセイには出会えていない、時代が違うから?、告知が当たり前になり、患者の負担は増えた感じがする、案外医学は進歩していないのだろう、苦しい治療を受けても、何の治療をしなくても余命にあまり差はないそうだし。
再発したらホスピスへ行こうと自分の場合は決めている、苦しまないで死にたい、それだけが希望。
何を作るというあてもなく皮風の端切れを買いました、安いと思ったので、
何をするというあてもなく小さな象の置物と切株と柵を買いました、可愛かったので。
この頃雨ばかりで草はぼうぼう茂る、近所のひとから「○○さんにもらったハーブ大きくなったよ」と言われた。そこにたまたまいた隣のヒトの庭にも同じものがあるらしい、「うちの横から持って行ったんでしょう?」とこちらへそのヒトが言う、「えーうちで植えていて増えたのをやったんだけど」と言ったけれど、その家の横に何が植えてあるのかも思い浮かばず、何だかすっきりしなかった。
後日、境に何もないからかなと、100均で柵を買って、境を作った。27柵。
裏のお宅との境に塀を作る時は裏の奥さんがいそいそと周りを片付けて、費用も折半してくれたけれど、隣との場合はあくまでもこちらの希望だし、簡易的なものだし、こちらの負担で文句はない。一応境に何か置くからと断ったら、外出の用があるからと参加してはくれなかったし、その後会ってもいない。それでも何だかとってもスッキリした、たかが草取りでも、膝をイタワリツツうるさい蚊と闘いつつやっているので、自分の所だけやればいいと思うと気分的に楽。
見かけとはウラハラに、これでも蚊弱くて・・・。
『はつ恋』の予告を見たら、緑は離婚して、三島と暮らし始めるそう。
子どももいるし、離婚はないだろうと思っていたのだけれど。
『ONLYLOVE』っていいね、そういう相手だったら、生まれ変わっても又一緒になりますって言うんだろうね、自分の場合、もう生まれてきたくない、気が小さくて、おっかながりで、生きてるだけでストレスイッパイなんて人生、一度でたくさんだぜぇ。
子どももいるし、離婚はないだろうと思っていたのだけれど。
『ONLYLOVE』っていいね、そういう相手だったら、生まれ変わっても又一緒になりますって言うんだろうね、自分の場合、もう生まれてきたくない、気が小さくて、おっかながりで、生きてるだけでストレスイッパイなんて人生、一度でたくさんだぜぇ。
しばらくぶりに図書館に行きました、現実に耐えられなくなると本の世界に助けを求めたくなる、『安心したがる人々 曽野綾子』『工学部・水柿助教授の逡巡 森博嗣』『水曜日の神様 角田光代』等を借りてきました。
今日はしのぎやすい日でした、今は雨降りで、アスチルべの花がぼぉっと綺麗でした。
昨日は義兄の愚痴を聞いて、ひょっとして義兄も認知? と疑惑が芽生え、一人娘との仲もうまくいかなくて、この先どうするのだろう? と思ったら、どっと疲れが出て、夕方6時半にはもう寝た、滝川に住む義兄も認知で施設に入ったということだし、この加齢なる一族は認知一族になりそう。怒りっぽくなったら怪しいということだけれど、義兄は怒ってばかりいるし、夫も案外怒りんぼう。
本日は生まれて二ヶ月目の赤ちゃんと生まれて三年目のひとがきて、少し若いエネルギーをもらいました?
みんなはじめは赤ん坊だったんだよね、
赤ん坊のうちから、どういう老後にするか考えておいた方がいいよ???。
本日は生まれて二ヶ月目の赤ちゃんと生まれて三年目のひとがきて、少し若いエネルギーをもらいました?
みんなはじめは赤ん坊だったんだよね、
赤ん坊のうちから、どういう老後にするか考えておいた方がいいよ???。
義兄の嫁さんが乳がんの手術のあと、傷口が壊死し、再手術をしたら、又壊死し、今度は太ももの皮膚をとって胸に移植したそうで、たび重なる手術のせいか、少し認知がかっているんだと電話があり、病院へ行ってきました。確かに少しおかしい、つじつまのあわない話をしてぼーっとしている。その後義兄の家に行きましたが、口から出てくるのは愚痴ばかり、嫁さんの身内と自分の娘と孫と婿の。聞いていると気が滅入る、済んだことはどうにもならない、今を受け入れて進んで行くだけ、ただそれだけ。
加齢なる一族は疲れる・・・、この頃鰈は食べていない・・・。
加齢なる一族は疲れる・・・、この頃鰈は食べていない・・・。