1日目
「お父さんが心肺停止で救急搬送されました」
出張先で母親からのそんなメールを受け取った。
なにがなにやらわからないまま、とにかく現場を他の社員たちに頼み、病院へ急行。
道中、蘇生したと嬉々としたメールが来るだろう、来て欲しい。
運転中に涙で前が見えなくなる。だからそんなことだけを考えるようにしていた。
けれども1時間経ってもそんなメールは無く、2時間かけてたどり着いた時には全て終わっていた後だった。
いつも通りのただただ寝ているだけにしか見えない父親がそこにいた。
まだ少し温かかった。
悪い冗談はやめて早く目を開けて起きてよ、そう思ってただ泣くことしかできなかった。
死因は大動脈解離
自宅でいつも通りの日課をこなし、いつも通りの行動をしてる最中の突然死。
あっという間の出来事だったようだ。
その後、外で亡くなったため、警察の検視やらなにやらを行い、父を連れて帰宅したのは夕方。
親戚に連絡を取り、葬儀屋と葬儀の日取りを確認してその日は終わった。
出張に出かける日の朝
「俺のモンベルタイツ見当たらないんだけど履いてない?」と尋問する僕
「これ?」と前をずらしてチラ見せしたタイツにモンベルの文字
「この股引、道理で妙に暖かいと思ったんだ」と笑うお父さん
「このまま、真っ直ぐ出張行くのか?」と聞くお父さん
「うん、じゃあ行ってきます」と答える僕
そんないつものいつも通りのやり取りが最後の会話だったと思う。
知らせを聞いて人が集まり始めたので、家から少し離れたところに車を止めて家まで雪の中1人歩く。
ただただお父さんはもう居ないという事実に気持ちが追いつかない。
家に戻れば現実に戻されるのが嫌でこのまま歩いてどこか違う所に行ってしまいたかった。
2日目
人が死んでも死んでなくても雪は降る。
人も来るので、朝から雪かきはしなければならない。
近い親戚以外への連絡をする。
昨日連絡を入れた親戚、知人友人が続々集まる。
葬儀の段取りを決める。
会社に連絡をする。
納棺する。
葬儀の見積もりが決まる。
などなど。
親戚一同が一旦帰り静かになる。
ただただ靄がかかったような頭で現実感がまるでない。
棺にいれても、段取りを決めても、まだ実感がわかない。
実はまだ出張先のホテルで眠っていて夢を見ているだけだと思いたかった。
一気に全部吹き出してくれれば良いのに少しずつ、不意に悲しみが吹き出す。
そしてまた雪が降り、明日も雪かきかと思う。
3日目
悲しみは雪のようにという歌があったが
いくら悲しいからといってこんなにドカ雪じゃなくてもいいんじゃないかな?
などと雪かきをしながら、普段のような思考をするくらいには現実に少しずつ戻ってくる。
弔辞、というか友人代表のお言葉をお願いしようと思っていた方が朝から来てくれたので、葬儀屋との打ち合わせが一瞬で終わった。
書類や通帳、保険などをかき集めて整理。
訪問客の応対で午前が終わる。
午後に発注していた自宅用の香典返しが届き、法事関係の打ち合わせと確認事項のすり合わせ。
また雪が少し積もり屋根雪も少し落ちたのでまた雪かき。
悲しみはドカ雪のように。
閉店前の空いてる時間で銀行に相続手続きの最適なソリューションを聞きに行く。
口座の額は問題じゃなくて、光熱費の自動引き落としのほうが大きな問題だったが、
名義変更したところで引き落としはされなくなるということだったので、
それはまあ口座がロックされたら来る請求書を待つか、引き落とし口座の変更手続きをとるかって感じのようだ。
あと取引履歴のない謎の口座も見つかる。通帳が見つからないのがアレですが同様に処理するしかなさげ。
そして諸々終わり出てくるとまた大雪である。
久々に出かけたような気がする。
出かけたついでにしばらくは使うだろうと思い家電屋でシュレッダーを調達。
車が汚いので大雪の中コイン洗車。
凍りついているので大丈夫かなと思ったが意外なことにちゃんと綺麗になって良かった。
帰宅して本日3回目の雪かき。
いくら大厄の歳とはいえ2011年を超える厄があるとは思ってもみなかった。
まして身内の不幸とか。
「お前の人生の節目節目には必ず何かあったんだ」と父親の言葉を思い出す。
生まれた直後に母方の祖父が亡くなったり、父方の祖父の葬儀の日は高校受験の合格発表だったり。
そして今度は厄年に父親の急死。
4日目
喪主の朝は雪かきから始まる。
新聞のお悔やみに載ったので朝から電話と来客、そして花が続く。
午後になり書類の整理、余計なものがいろいろ出てくる。
役所で現時点でできる範囲の処理。
年金の処理に必要な書類の確認。
光熱費関係の口座切り替えの手続き。
契約が不要になるものの整理。
たまには会社に連絡。
位牌用の写真が出来てくる。
笑顔のいい写真だ。
本当はピースサインをしている写真だったので「これが本当の遺影でイェーイ」になるところだった。
夜になるとただただ眠い。
そろそろ喪主挨拶の文面をまとめなきゃと思いつつ寝落ち。
5日目
快晴、積もった雪無し
昨日の午前中からの陽気で雪庇も少し萎む。
昨日に引き続き優先度の高いものから順番に契約の変更手続きを進める。
お布施なども必要なので、隠し口座からとりあえず現金を全額引き出す。
クレカの停止と残債の返済手続きと、新たな残債の発掘で日が暮れる。
実際6桁はまだいいけど7桁の負債は引くわぁ。
それにポンポン現金を出す自分も相当引くわぁ
とんだ厄年だなあ。
違う意味で泣きたい。
父が火葬される前の最後の日、とっておいた日本酒をみんなで開ける。
こんなことになるならさっさと開けておけばよかったな。
写真は明日、出発前に全員集合で撮ろう。
6日目
火葬当日。
雪はそんなに積もらなかったが、昨夜からの濡れ雪でガチガチに凍結。
雪国の民の必需品である鉄スコップの出番。
時間が近づきお着替え。
最後にみんなで写真撮影。
出棺の時間、雪が降り始める。
またしても悲しみはドカ雪のように、だ。
1時間半、なにをするでもなく、ただ待つ。
火葬が終わり家に戻る。
日課となりつつある契約変更の手続きを少しだけ進める。
明日の通夜の挨拶原稿を書かないといけないので今日はお酒無し。
でもすごく眠い。
机に30分ほど突っ伏して居眠り。
少しスッキリして原稿にかかる。
それにしても、いつも通りすぎる母親がどうにも心配になる。
一月くらい経つと一気に来る瞬間があると皆が言う。
7日目
通夜当日
朝から軽めの雪をささっと払う。
午前中はまあまあの降り方をしていた雪も午後には止んだ。
青森の葬式は火葬、通夜、葬儀、法要、納骨という順番で進む。
通夜が一般向けのメーンイベント、葬儀は親しい人のみ、という感覚だ。
なので、インターネットにある葬儀の挨拶の例文が東京基準なため、どうにも苦労したが、なんとか形になった。
ちゃんと読めるかな、やばいかな。
午前中は変更手続きを進めつつ、書類の探索。
年金証書と登記謄本の発掘に成功。
あとついでにこの家に火災保険とか何もないことも発覚。
マジ勘弁しろし。
時間まですることもないので、どうして最近夜の早い時間でも眠いのか考えていたところ、甥っ子と夕方お風呂に入っているからではないか、という仮説に至る。
なんてことを考えながら仮眠。
起きて着替えて通夜会場に移動。
受付と駐車場整備に同僚が駆け付けてくれた。
本当にありがたかった。
お通夜(特に喪主挨拶)も無事に終わり帰宅。
たまには飯でも作ろうかなと言ったら姉に料理で現実逃避するなと怒られたので、ピザの出前を取る。
香典の振り分けと、弔電の名前を控えるところまでやって今日の作業は終い。
明日の葬儀で一通り終わり。
それで兄弟たちもそれぞれの家に帰る。
まだまだやることは多い、今まで以上にしっかりやらなきゃなあ。
人生というクソゲーはいつだってハードモード。
8日目
葬儀と法要。
今日もいい天気。
昼からと思って油断していたが朝からバタバタ。
うっかり髭を剃ってなかったり油断が出始める。
青森の葬儀は基本的に近親者のみで、通夜に来れなかった人が少数ながら来たりするくらいの扱い。
葬儀に続いて取りこし法要、そして会食。
みんな、立派だったと、言ってくれるが、本当はこんなことで立派にはなりたくなかったなぁ。
もう少しだけでいいから、お父さんと一緒に居たかったなぁ。
9日目
良い天気が続く。
お礼行脚とか諸手続きとか。
やることもまだまだあるけど少しずつ進める。
ギフト屋、墓石屋、仏壇屋のDMがたまに届く。
墓も仏壇も檀家の寺も全部あるんだよなと思いつつ最新モードの仏壇のチラシを見たりする。
兄弟たちもそれぞれの家に帰る。
僕もそろそろ会社に戻らないといけない。
父の車の廃車手続きも開始。
あぁ、嫌だなあ、お父さんの痕跡がどんどん無くなっちゃうの嫌だなぁ。
お父さんの使いかけのアンメルツを見ただけでもまだ涙が出たりする。
姉から「みんなお兄さんの挨拶が良かったと言ってくれているよ」という高度な情報戦メールが来る。
みんな少しずつ前に進む。
きっと大丈夫。
と自分に言い聞かせつつ、会社に行きたくねぇなぁ。といつもみたいなことを考える。
「お父さんが心肺停止で救急搬送されました」
出張先で母親からのそんなメールを受け取った。
なにがなにやらわからないまま、とにかく現場を他の社員たちに頼み、病院へ急行。
道中、蘇生したと嬉々としたメールが来るだろう、来て欲しい。
運転中に涙で前が見えなくなる。だからそんなことだけを考えるようにしていた。
けれども1時間経ってもそんなメールは無く、2時間かけてたどり着いた時には全て終わっていた後だった。
いつも通りのただただ寝ているだけにしか見えない父親がそこにいた。
まだ少し温かかった。
悪い冗談はやめて早く目を開けて起きてよ、そう思ってただ泣くことしかできなかった。
死因は大動脈解離
自宅でいつも通りの日課をこなし、いつも通りの行動をしてる最中の突然死。
あっという間の出来事だったようだ。
その後、外で亡くなったため、警察の検視やらなにやらを行い、父を連れて帰宅したのは夕方。
親戚に連絡を取り、葬儀屋と葬儀の日取りを確認してその日は終わった。
出張に出かける日の朝
「俺のモンベルタイツ見当たらないんだけど履いてない?」と尋問する僕
「これ?」と前をずらしてチラ見せしたタイツにモンベルの文字
「この股引、道理で妙に暖かいと思ったんだ」と笑うお父さん
「このまま、真っ直ぐ出張行くのか?」と聞くお父さん
「うん、じゃあ行ってきます」と答える僕
そんないつものいつも通りのやり取りが最後の会話だったと思う。
知らせを聞いて人が集まり始めたので、家から少し離れたところに車を止めて家まで雪の中1人歩く。
ただただお父さんはもう居ないという事実に気持ちが追いつかない。
家に戻れば現実に戻されるのが嫌でこのまま歩いてどこか違う所に行ってしまいたかった。
2日目
人が死んでも死んでなくても雪は降る。
人も来るので、朝から雪かきはしなければならない。
近い親戚以外への連絡をする。
昨日連絡を入れた親戚、知人友人が続々集まる。
葬儀の段取りを決める。
会社に連絡をする。
納棺する。
葬儀の見積もりが決まる。
などなど。
親戚一同が一旦帰り静かになる。
ただただ靄がかかったような頭で現実感がまるでない。
棺にいれても、段取りを決めても、まだ実感がわかない。
実はまだ出張先のホテルで眠っていて夢を見ているだけだと思いたかった。
一気に全部吹き出してくれれば良いのに少しずつ、不意に悲しみが吹き出す。
そしてまた雪が降り、明日も雪かきかと思う。
3日目
悲しみは雪のようにという歌があったが
いくら悲しいからといってこんなにドカ雪じゃなくてもいいんじゃないかな?
などと雪かきをしながら、普段のような思考をするくらいには現実に少しずつ戻ってくる。
弔辞、というか友人代表のお言葉をお願いしようと思っていた方が朝から来てくれたので、葬儀屋との打ち合わせが一瞬で終わった。
書類や通帳、保険などをかき集めて整理。
訪問客の応対で午前が終わる。
午後に発注していた自宅用の香典返しが届き、法事関係の打ち合わせと確認事項のすり合わせ。
また雪が少し積もり屋根雪も少し落ちたのでまた雪かき。
悲しみはドカ雪のように。
閉店前の空いてる時間で銀行に相続手続きの最適なソリューションを聞きに行く。
口座の額は問題じゃなくて、光熱費の自動引き落としのほうが大きな問題だったが、
名義変更したところで引き落としはされなくなるということだったので、
それはまあ口座がロックされたら来る請求書を待つか、引き落とし口座の変更手続きをとるかって感じのようだ。
あと取引履歴のない謎の口座も見つかる。通帳が見つからないのがアレですが同様に処理するしかなさげ。
そして諸々終わり出てくるとまた大雪である。
久々に出かけたような気がする。
出かけたついでにしばらくは使うだろうと思い家電屋でシュレッダーを調達。
車が汚いので大雪の中コイン洗車。
凍りついているので大丈夫かなと思ったが意外なことにちゃんと綺麗になって良かった。
帰宅して本日3回目の雪かき。
いくら大厄の歳とはいえ2011年を超える厄があるとは思ってもみなかった。
まして身内の不幸とか。
「お前の人生の節目節目には必ず何かあったんだ」と父親の言葉を思い出す。
生まれた直後に母方の祖父が亡くなったり、父方の祖父の葬儀の日は高校受験の合格発表だったり。
そして今度は厄年に父親の急死。
4日目
喪主の朝は雪かきから始まる。
新聞のお悔やみに載ったので朝から電話と来客、そして花が続く。
午後になり書類の整理、余計なものがいろいろ出てくる。
役所で現時点でできる範囲の処理。
年金の処理に必要な書類の確認。
光熱費関係の口座切り替えの手続き。
契約が不要になるものの整理。
たまには会社に連絡。
位牌用の写真が出来てくる。
笑顔のいい写真だ。
本当はピースサインをしている写真だったので「これが本当の遺影でイェーイ」になるところだった。
夜になるとただただ眠い。
そろそろ喪主挨拶の文面をまとめなきゃと思いつつ寝落ち。
5日目
快晴、積もった雪無し
昨日の午前中からの陽気で雪庇も少し萎む。
昨日に引き続き優先度の高いものから順番に契約の変更手続きを進める。
お布施なども必要なので、隠し口座からとりあえず現金を全額引き出す。
クレカの停止と残債の返済手続きと、新たな残債の発掘で日が暮れる。
実際6桁はまだいいけど7桁の負債は引くわぁ。
それにポンポン現金を出す自分も相当引くわぁ
とんだ厄年だなあ。
違う意味で泣きたい。
父が火葬される前の最後の日、とっておいた日本酒をみんなで開ける。
こんなことになるならさっさと開けておけばよかったな。
写真は明日、出発前に全員集合で撮ろう。
6日目
火葬当日。
雪はそんなに積もらなかったが、昨夜からの濡れ雪でガチガチに凍結。
雪国の民の必需品である鉄スコップの出番。
時間が近づきお着替え。
最後にみんなで写真撮影。
出棺の時間、雪が降り始める。
またしても悲しみはドカ雪のように、だ。
1時間半、なにをするでもなく、ただ待つ。
火葬が終わり家に戻る。
日課となりつつある契約変更の手続きを少しだけ進める。
明日の通夜の挨拶原稿を書かないといけないので今日はお酒無し。
でもすごく眠い。
机に30分ほど突っ伏して居眠り。
少しスッキリして原稿にかかる。
それにしても、いつも通りすぎる母親がどうにも心配になる。
一月くらい経つと一気に来る瞬間があると皆が言う。
7日目
通夜当日
朝から軽めの雪をささっと払う。
午前中はまあまあの降り方をしていた雪も午後には止んだ。
青森の葬式は火葬、通夜、葬儀、法要、納骨という順番で進む。
通夜が一般向けのメーンイベント、葬儀は親しい人のみ、という感覚だ。
なので、インターネットにある葬儀の挨拶の例文が東京基準なため、どうにも苦労したが、なんとか形になった。
ちゃんと読めるかな、やばいかな。
午前中は変更手続きを進めつつ、書類の探索。
年金証書と登記謄本の発掘に成功。
あとついでにこの家に火災保険とか何もないことも発覚。
マジ勘弁しろし。
時間まですることもないので、どうして最近夜の早い時間でも眠いのか考えていたところ、甥っ子と夕方お風呂に入っているからではないか、という仮説に至る。
なんてことを考えながら仮眠。
起きて着替えて通夜会場に移動。
受付と駐車場整備に同僚が駆け付けてくれた。
本当にありがたかった。
お通夜(特に喪主挨拶)も無事に終わり帰宅。
たまには飯でも作ろうかなと言ったら姉に料理で現実逃避するなと怒られたので、ピザの出前を取る。
香典の振り分けと、弔電の名前を控えるところまでやって今日の作業は終い。
明日の葬儀で一通り終わり。
それで兄弟たちもそれぞれの家に帰る。
まだまだやることは多い、今まで以上にしっかりやらなきゃなあ。
人生というクソゲーはいつだってハードモード。
8日目
葬儀と法要。
今日もいい天気。
昼からと思って油断していたが朝からバタバタ。
うっかり髭を剃ってなかったり油断が出始める。
青森の葬儀は基本的に近親者のみで、通夜に来れなかった人が少数ながら来たりするくらいの扱い。
葬儀に続いて取りこし法要、そして会食。
みんな、立派だったと、言ってくれるが、本当はこんなことで立派にはなりたくなかったなぁ。
もう少しだけでいいから、お父さんと一緒に居たかったなぁ。
9日目
良い天気が続く。
お礼行脚とか諸手続きとか。
やることもまだまだあるけど少しずつ進める。
ギフト屋、墓石屋、仏壇屋のDMがたまに届く。
墓も仏壇も檀家の寺も全部あるんだよなと思いつつ最新モードの仏壇のチラシを見たりする。
兄弟たちもそれぞれの家に帰る。
僕もそろそろ会社に戻らないといけない。
父の車の廃車手続きも開始。
あぁ、嫌だなあ、お父さんの痕跡がどんどん無くなっちゃうの嫌だなぁ。
お父さんの使いかけのアンメルツを見ただけでもまだ涙が出たりする。
姉から「みんなお兄さんの挨拶が良かったと言ってくれているよ」という高度な情報戦メールが来る。
みんな少しずつ前に進む。
きっと大丈夫。
と自分に言い聞かせつつ、会社に行きたくねぇなぁ。といつもみたいなことを考える。
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