呑んべぇおやじでもいいじゃないの

最近ちょっと方向性変更気味です

富岡製糸場~小幡郷

2010年03月22日 | 鉄道小旅行&B級グルメ
世界遺産暫定リストに記載された「富岡製糸場」と「城下町小幡」へ行ってきました。
上毛カルタに「県都前橋糸のまち」とあるように、前橋市はかつて養蚕と絹糸の生産で栄えてた街でした。

小~中学校のころ通学路の風景は一面の桑畑、農家の人たちは「お蚕さん」と”さん”付けで呼ぶほど蚕を大切にし、春子・夏子・秋子と年に三度繭を作っていました。

母親の叔母の住む市内では、繭からの糸取りが盛んで、町中にさなぎの臭いが立ちこめていました。
糸を繰りながら時折さなぎをパクッって食べる姿を見ていました。
「ボクも食べてみるかい?」と言われてもあの姿と臭いは無理でした。

そして、繭から絹糸を取った後の沢山のさなぎは、鯉の餌となり養鯉池も市内には多く見られました。金魚の養殖も盛んでした。

また、何処の家にもと言っていいくらい木製の機織機があって冬の間の内職に、あちこちからカッタンコットン、と機を織る音が聞こえてきたものです。

前橋の駅前には、絹糸を保管する古い赤レンガ造りの倉庫がたくさん並びその栄華を語っていました。

明治28年生まれの母方の祖母は茅野の製糸工場で、明治33年生まれの父方の祖母は北橘の製糸工場で、それそれ工女を経験しています。
小さい頃同居していた父方の祖母からは、製糸工場の話を良く聞かされていました。
工場の中を早く移動するためにローラースケートを履いていたとか、工女歌とか、長い労働時間とか、大正時代の話です。

そんな子供のころの記憶を辿るような気持ちで富岡へ行きました。

赤レンガの倉庫、糸を繰る機械、どれも見たことがあり懐かしいものでした。

解説員の方が説明をしながら約50分ほど案内してくれとても勉強になりました。
明治官製時代の製糸場は、一日8時間労働、日曜休日だったそうで大正時代の祖母たちが働いたときとはずいぶん違ってよい時代だったようです。

一緒に説明を聞いていた50代くらいの男性が糸を取った後に残ったさなぎを「あの虫は何ですか?」と言ったのは驚きでした。
生糸が蚕のさなぎの繭から取れるって知らなかったのでしょうね。




↑上信電鉄運賃と富岡製糸場の入場料が一緒になった割引券


帰り道、割引券で1回だけ途中下車が出来るというので上州福島で降りて小幡郷へ行くことにしました。
駅から小幡までは3kmほどなのですが、ちょっと楽しようと駅にある無料のレンタサイクルを借りました。
行きには気づかなかったのですが、ママチャリではきついけっこうな登り道でした。
腿板は立つは息は切れるは、歩いたほうが楽でした。
部活帰りの中学生に「こんにちは」と声をかけられても返事するのがやっとでした。

桜が咲けば綺麗な城下町でしょうが、観光客の少ないこの時期も静かでいいものがありました。
帰りは、ほとんどこがずに楽チンでしたが。

今日のtripを@tripでアップしましたのご覧になってください。
コースと所々の写真があります。



富岡製糸場~小幡郷

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