『 自然は全機する 〜玉の海草〜 』

惚けた母がつぶやいた〜 「 生きてるだけが仕合せだ 」♨️

《玉断4》 もはや消え去りつつある、 「教養とは?」

2022-04-05 09:03:56 | 雑感

「教養とは」
人生のいかなる局面にも役立てるように、あらゆる知恵や知識を体系的にまとめて、百科全書として網羅しようとしたのが、ヨーロッパのディレッタント由来の「教養」です。
大学の最初の二年間は、教養過程と呼ばれるように、大学教育は広く教養を養う準備をする期間と認識されています。
ワインの醸造と同じ消息です。
仕込まれた埋蔵知識を時間をかけて発酵させ、自家薬籠中の物とすることで、まろやかで芳醇な味わいとなります。
そうなると、隠しても行間に滲みでて来るようになります。文章のどこにも莫迦なフレーズをつかうことなく、嗜みのある落着いた文章になります。
「杞憂します」「度返し(度外視の勘違い)」とか、ネットで偶々見た、覚えたての言葉を不用意につかうところに、自らの内で熟成しないうちに遣うところに、その人の若さが出ます。

[※  こどもが言葉を覚えたての頃、トンチンカンな使い方をするのと全く同じ。ことばを発するシチュエーション(ロケーション)とその言葉独特の文脈がわかっていない。こどもだって、まわりのジイサンバアサンや諸々の人びとが口走るのを耳で聴いて、つかう情況をまるごと覚えるのです。]

教養とは老成したものなのです。

大学時代に勉強しなかった人とは、古いワイン樽を貯蔵していないワイナリーみたいなものです。
「無い袖は振れない」
自前のワイン貯蔵庫を持っていない人に、教養が滲み出る文章を綴ることは出来ないでしょう。
人生には、時間をかけなければ到達できない境地があります。


一週間に一冊ずつ本を読む、これを一年続けて50冊、そんな生活を40年続ければ2000冊に到達します。


まあ、この位読書していたら知識人として最低限の素養は身につくだろうという前提の上で、東大英文科系の中野好夫が「読書2000冊が知識人の条件」と仮定したのです。(当時東大英文科は、海外の翻訳文化だった文壇をリードしていたから)
読書人に特有の風貌というものがありまして、幸田露伴に鷗外・漱石、南方熊楠、井筒俊彦、司馬遼太郎等は、非常に鍛え込まれた眼輪筋を所有しています。
いまや、そうした碩学は絶滅しようとしています。
つまり、ネット情報をいくら多量に閲覧しても、読書人の教養ある風貌には仕上がらないのです。
体系的にすべてを網羅することが、必要だからです。
教養人は、自分の体系と哲学(分類思考)を持っている、つまり自分律(自分の律法)を持っているということです。

 

ネット情報をいくら積み上げても「教養」にならないのは何故か。

『ボクらの時代』で、シティボーイズの鼎談があったのだが……  そのときに大竹さんが言うとった。彼ら70歳代は、40歳代と話しが合わないと。

(大竹)> 「いまほら、スマホとか色んなのあって、ADの人たちも、「あれどーした?」って言ったら「ちょっと待って下さい」って「コレです」みたいな……

もう簡単になってるじゃん、話が。

すごい速いじゃん、だから、年寄りに訊く理由も無くなったんだね

もうお前に訊くよりこっちの方が速いから。」

__ 昔は、ご隠居(長老)さんてのがいて、なんでもよく見聞していて物識りで、なにかとアドバイスをしてくれるって、街の文化みたいなものが存在した。

この年配者の情報が、ネット情報に取って代わられたってことなんだけど…… 真相はまったく違うんだ。

たしかに、パソコンやネット関連の情報については、老人は経験もなく知らないし、そもそも其処にアクセスできない。

生活全般についても、お節介に色々とアップして、予備知識やコツを披露してくれる中年熟年も数多い。Yahoo!知恵袋みたいな、すぐ尋ねられるサイトもあるし、ライフ・ハックを手に入れるのは容易い。

しかし、そーしたネット情報と、老人の生の情報の何が違うかとゆーと、人を介在する情報は、経験者から聞いたほうが話が早いとゆーことだ。

具体的にゆーと、あそこのラーメン屋の特製ラーメンが旨いと、これはネット情報である。

年寄りの常連の情報は、また一味違う。あそこの店主はギャンブル好きだから、レースの翌日は一喜一憂して仕込みが遅れることがある。間に合わないかも知れないので、食べにゆくのはレース前がよいとか。

特製ラーメンの出汁は、上質の飛び魚をつかっているので、島の煮干しの出来具合に左右されるとか。店主は盆栽が好きだから、店前の鉢植えを誉めながら仲良くなると、まかないの裏メニューを食わせてくれるとか。こーした裏情報は、ネットの「口コミ」でも入手できるが、常連が投稿してくれなければ分からず仕舞いである。

つまり、ネット情報とは「只のデータ」であるが、年寄り情報とは人付き合いによって得た感触がまざっていて、より確実で安心のできる情報である。経験豊かな年寄りが実験済みとゆーか、検証ができている「生きた情報」である。

やっぱり、情報とゆーものは、感「情」が入っている「報」せが本来のものであろー。情報が命である、CIA ・FBI や MI6 そして日本の内閣情報調査室では、情報=インテリジェンスの認識である。

諜報部ではよく言うな…… 

「インフォメーション」ではなく「インテリジェンス」

だと。そして何よりも、その情報提供者の人物が信頼できるかどーかが重大なネックとなってくる。信頼出来る筋の情報は、確証(エビデンス)と同質のものだ。

単なるデータは、読み解く人の力量に左右される不確実な情報なのだ。

本を読むことで、著者のまとめた体系的な「インテリジェンス」を吸収し、大学で教授やゼミの討論により、より人間の感情に基づいた、癖のある「インテリジェンス」を仕入れる。それが教養の土台となる、上質な素養に結びつくのである。


大学時代に励まなければ、卒業して就職した後では、「素養」は身につけられない。
人生遅すぎることはないが、やはり、集中して長時間打ち込める時間がないと、ある認識、知性の結晶化みたいな作用は生まれない感じがする。
それゆえ、大学生期間(及び浪人生期間)は、人生でとりわけ貴重な「育苗期間」である
ISHKのコメント欄に来て、ネットスラングつかった批判専門の人では、もはや手遅れであろう。
批判ってのは、学なくても出来るものだし、ソクラテスが云ふよーにどんな反論でも可能である
あらゆるものに、イチャモンはつけられる、Unknown でやればアシは付かないし、いいたい放題だが、その見返りは自らの行為によって生まれ、自らが受け取ることになる。
自業自得、他者にたいしてやっていたことは、自分にたいしてやっていたことだったと気づく。
このサイクルは、妙に貫徹していて、見事に逆転するから面白い。

ー最後に、昔のサラリーマンは如何に素養があったかを証明する読み物を紹介しよー。もはや今では手に入らないだろー、図書館の奥の「閉架」スペースにはいまだ保管されていよーが、旧漢字体の文庫本から一節を紹介しよー。

昭和38年頃を境に(たぶん、正確な情報ではないが)、旧漢字体から新漢字体へと書籍の印刷も移行していったよーである。

(例)學→学、戀→恋、寶→宝、醫→医、辯・辨・瓣→弁、舊→旧、圖→図、盡→尽、點→点、體→体、禮→礼、櫻→桜 等々

参考文献は、ともに『週刊新潮』に連載されて、「洛陽の紙価を高からしめた」と云われた、剣豪小説(現在の時代小説)の白眉、『柳生武芸帳』と『眠狂四郎無頼控』より引用…… (昔の印刷植字は、現在のフォントとは多少異なる)

> 陰 流 カゲノナガレ

 唐津藩主寺澤堅高(てらざわかたたか)が自殺する六日前に、所定の刻限を俟(ま)って大廣間に姿を見せると居並ぶ者は顏色を引緊めた。堅高は三十九歳。唐津八萬石寺澤志摩守廣高の二男で、六日後に自刄すべきか否かがこれからの評定できまる。きめるのは武藝者山田浮月齋である。その浮月齋が、堅高の上座に向つて、旣に廣間の中央に端坐して靜かに瞑目している。白い髯と、銀髮が房々肩に垂れている。もう小半刻、彼はそうして靜坐した儘である。定刻前に前後して評定所に這入つて來た家臣らは、いずれも、浮月齋のそんな容姿に思わず目を伏せ、沈痛の色を泛べた。主君の運命が早や決せられたと見たのである。__ 啻(たヾ)、それなら何ういう理由でか? 浮月齋は如何なる根據を以て主君に死を迫るのか、それが知り度い。一様に言葉にこそ出さないが、主君堅高の死の如何に依つては殉死して後を追わねばならぬ。それで、上座から順次所定の席に着きながら、各自齊(ひと)しく聲を嚥(の)んで、堅高の來場を待つあいだ隣りと私語する者もなかった。中には、默つて浮月齋の横顏を熟視(示す篇の「視」)している家臣もあつた。

[※  五味康祐(示す篇の「祐」)『柳生武藝帳』上巻の冒頭より]

【五味康祐は、芥川賞作家である。チャンバラ小説の短編『喪神』で受賞した。死に直面したときの生存本能の剣といおーか、幻の「無住心剣」が念頭にあったかも知れない。純粋な剣豪小説で芥川賞を獲るほどに、文章は洗練されていた。】

 

> 雛の首

 夜ニ更(にこう)の鐘が、どこかで鳴った頃合__ 。

 裸蝋燭の焔に照らされた盆蒲團をかこんで、七八名の、いずれも一癖二癖ありげな無職(ぶしょく)者・渡り仲閒(ちゅうげん)が、巨大な影法師を、背後の剥げ壁や破れ障子に這わせて、ゆらゆらとゆらめかしていた。

 空家である。

 五つ刻からはじめられた勝負は、いまや、殺氣に似た凄じい緊迫した空氣をはらんで、いつ果てるとも思えぬ。

 花見の季節が來ていたが、夜半は、まだかなり冷える。しかし、この連中の五體は、かた肌もろ肌を脫ぐ程熱していて、それぞれの刺靑(いれずみ)をあぶらぎらせていた。

 中でも、すっぱり、褌ひとつになった壺振りの、「くりからもんもん」は、全面朱ぼかしで、ひときわ鮮やかであった。まだ二十歲を越えたばかりの、はりきった白い肌理が、一層朱色を美しく際立たせているのであった。

[※  柴田鍊三郞『眠狂四郞無賴控』(一)の冒頭より]

【柴錬と「眠狂四郎」と云えば 市川雷蔵 との2ショット。眠狂四郎は、演じる者が不幸になる縁起の悪い役と云われた。晩年の雷蔵は末期癌の耐えがたい苦痛のなかで狂四郎を演じた。転び伴天連(バテレン)と武家娘との混血児で、異相の美男子・眠狂四郎には、シバレンの心奥の闇が投影されている。中里介山『大菩薩峠』の机龍之助のニヒリズムの系譜を継ぐ作品だが、シバレンご自身も独特のダンディズムの持ち主で、お洒落で鳴らした御仁である。】

 

__ 五味康祐は、オーディオマニアでクラシック音楽、手相や占いにも造詣が深く(ご自分の死期を的中させた)、日本浪漫派の保田與重郎の弟子でヤマト言葉や古語にも堪能、おまけに漢文趣味があって、中国の故事を剣豪小説中にも処どころに散りばめていて、すこぶるゴージャスで格調高い文章との印象がある。それゆえ、五味康祐を読むときは、漢和辞典と古語辞典が手離せない。

一方の柴田錬三郎は、慶應大学支那文学科で奥野信太郎教授の薫陶をうけた中国文学者でもある。吉川英治の『三国志』の誤訳がひどいだの、田中角栄が日中国交正常化で訪中した際に詠んだ漢詩がひどい(「北京の空晴れて」と詠んだつもりが「北京空しく晴れて」の語順になっているそー)とか、テレビ番組📺で「柴錬(シバレン)」の名で鳴らしたコメンテーターでもあられたが、詩人・佐藤春夫の弟子で、最後まで純文学作家を目指した、文学魂をお持ちの御方だった。引用文は、段落替えの多い、余白をとった読みやすい文面となっているのは柴田の工夫であったろー。

柴田錬三郎の文章は、旧漢字体の本が入手できなかったので、現行の文章を旧字体に変換して引用したことをお断りしておく。

こんな硬質の文章を、当時のサラリーマンは辞書もなく読み飛ばしていたわけである。満員電車に揺られながら、週刊誌片手に吊革にぶら下がり、興奮して読んでいたかと思うと、その日常的な素養の高さに俄かに尊敬の念が湧いてくる。旧漢字体をつかっていたこともあり、そもそも漢字には現在より親しんでいたのかも知れない。四書五経の素読の文化も残っていた頃だから、大学生も戦前の「帝国大学」の伝統を継いで、かなり研鑽を積んだ学識を所有していたものと思われる。なにより、教授連中が莫大な教養をお持ちだったから、まさに「生き字引」(ウォーキング・ディクショナリー)であられた。

現在の大学生は、自分が知らないことを恥じない、それどころか、解るよーに説明出来ないそっちが頭悪い、平易な言葉で教えられる人こそが真に賢い人なのだと妙に開き直って、自分を省みることがない。

あのねー、後から生まれてきた人は先に決まっていることを覚えなけゃならんのよ(養老先生より)。覚えてから破るのはいいけど、知らないくせに横紙破りは生けませんね。

物故された勘三郎が、無着成恭のラジオを聞いて覚ったこと…… 

型が出来ているから「型破り」が出来る。型が出来てない奴が型を破ったら「型無し」って言うんだよ。

大学生には、教養の基礎つまり「型」を修得してから卒業してもらいたいねえ。そして、そのお宝を身近な処から社会に還元していただきたい。

日本を守ることは、何も軍事に限ったことではない。日本語を守ることも、日本を守ることとイコールである。日本語の乱れとかいつも喧しいが、型を踏まえた上での「新語」ならば、古い人間も納得が出来るとゆーもの。是非ご奮闘願いたい。

          _________玉の海草