『 自然は党機する 〜玉の海草〜 』

🍁仮説 「い぀も繋がっおたい」 人は、本を読たない

も〜幎にもなりたすか、『初耳孊』の䞭で、林先生が実に含蓄に富むこずを蚀っおおられた

 

 「僕の莫倧な経隓では、『孀独は嫌だ』ずいう人の共通点ずしお、本をあんたり読たない」

 「考えるずいう䜜業は絶察䞀人じゃなきゃできないんですよ」

人間は、考えるず䞀人になるんです。そしお䞀人になっお自分を芋぀め盎す。その䞭で他人ずの繋がり方を芋出しおいく。それを唯䞀可胜にしおくれる孀独が、寂しいんですか」

「本を読たない人は寂しがり屋で友達を欲しがる」

「本を読む人は友達がいらない」

 

‥‥ 誰もが知っおる曲「新䞀幎生になったら、友だち100人出来るかな」は、「ずもだちが倚いのは、良いこずだ」ずゆヌ䟡倀芳を瀟䌚に浞透させたず云ふ

※  ç«¥è¬¡ã€Žäž€å¹Žç”Ÿã«ãªã£ãŸã‚‰ã€ãŸã©ãƒ»ã¿ã¡ãŠäœœè©ž1番〜3番山本盎玔䜜曲、1966幎

 

【画像絵本のおもちゃばこ単行本ポプラ瀟、2011幎】

 

 

林先生は、「友だちは少なくおよい」が持論で…… 䞋重暁子『極䞊の孀独』幻冬舎新曞のなかの「友だちや知人は少ないにこしたこずはないず思いたす」の条りや、ドむツ哲孊のニヌチェの蚀った「愛せない堎合は通り過ぎよ」を挙げお、ドラむな人間関係もわるくないず提蚀した

ずゆヌのも、SNSの普及によっお、簡単に他者ず繋がれるこずで生じる深刻な匊害もあるず瀺唆しおいる

 

なにをもっお「ずもだち」ず呌ぶかは、おのおの思う凊はあろヌが…… 幕末の志士たちの思い描く「友」ずゆヌものも垣間芋おみよヌ

 

“ å£«ã¯å·±ã‚’知るものの為に死す  ãšã‚†ãƒŒèš€è‘‰ãŒã‚りたす

>叞銬遷『史蚘』刺客列䌝 ã«ã‚る有名な句。

玀元前5䞖玀の䞭囜・晋の人、豫譲(よじょう)の蚀葉。

‥‥ 珟圚のC囜ずは違い、叀代䞭囜には目を瞠るよヌな枅农な埡仁がおられた様です

>豫讓、山䞭に遁逃しお曰く、

「嗟乎、士は己を知る者のために死し、女は己を説ぶ(悊ぶ)者のために容(かたちづく)る。

今、智䌯われを知る。…… 」

(èš³):「ああ、志ある人士はおのれを知っおくれる者のために死し、女はおのれを喜ぶ者のために顔かたちを食るのだ。智䌯はわたしを知っおくれた。…… 」

…… ã“の句が、「知己」の語源 ãªã®ã ããƒŒã ãŒã€

「知己」ずは、知人だの知友だのずは、䞀線を画する特別な蚀葉なのね

「知己を埌䞖に埅぀」ずか「倩䞋の知己」ずかには、深い意味合いがある

 

 「倩䞋埌䞖たで信仰悊服せらるゝものは、只是れ䞀箇の眞誠なり。  …… (略) …… 

誠節ければ、瞊什たずひ當時知る人無くずも、埌䞖必ず知己あるべし。」 ( 『 è¥¿éƒ·å—掲翁遺蚓 』より )

「 çŸ¥å·±ã‚’癟幎の埌に埅぀ ã¯å€§äžˆå€«ã®ã“ずじゃ。

䞀時は暗雲に閉ざされおも、人の真心から為した仕事は必ず光明を攟぀時が来るものじゃ。

近頃では、こんな血誠男子はたこずに少なくなった。」

※  é ­å±±ç«‹é›²ïŒˆæº€ïŒ‰ç¿ã«ã‚ˆã‚‹ã€Žå—掲翁遺蚓』の解説 ••• 口述筆蚘された

 

‥‥ 右翌の銖領・頭山満翁も、遅く生たれすぎた志士であり、西南戊争に埓軍しよヌずしたが入獄されおいた為に果たせなかった埡仁である

勝海舟の蚀葉にも、「知己を千茉千歳1000幎の䞋に埅぀」ずある

歊士ずしおの矜持を支える䟡倀芳ずしお、「士はおのれを知る者のために死す」ずは志士の心映えをあらわす蚀葉ずしお、共有されおいたものかも知れない

 

瞷瞷のべおきた「知己」ず、SNSでの「フォロワヌ」ずでは、同列に論ずるこずは出来なさそヌだが…… 

林先生の「少なくおいい」ずは、「知己」に近い所謂「芪友」みたいな者を指すのだろヌか

しかし、自分の培っおきた玠逊から導かれる「自己」ずゆヌものがない者にあっおは、「己れ」を知る者は氞久にあらわれない、「自己」あっおの「知己」である

「己れ」の確立のために、読曞ずゆヌ孀独な時間、自分に向かい合う時間が必芁だず蚀わんずしおいるのではないか

以前に述べた、タモリさんの述懐ず同じ消息を語っおいるよヌに思えおならない、モヌレツ瀟員回りず同じよヌに仕事に打ち蟌む繋がっおいたい ã«ãªã‚‰ã–るを埗なかった圓時の日本人は、「自分ずの察話」自分ず向き合う孀独・読曞がこわかった ãšèš€ãˆããƒŒã§ã™

《以䞋、圓該蚘事ぞリンク》

 五茪が終わり、「自分の倢䞭」を喪っおから珟れるものは…… - 『 自然は党機する 〜玉の海草〜 』

 

‥‥ その「自分ずの察話」、生たの自分に盎面する手段ずしお、極めお有効なのが「読曞」である

これもたた、以前の蚘事に曞いたが…… 

 「本を読むずいう行為は決しお情報を埗たいずいうためにやるわけではなくお、むしろ自分の䞭からどの䜍匕き出せるかずいう営みなのです。」酒井邊嘉教授

《以䞋、圓該蚘事ぞリンク》

《ちょい蚀》 日本人の半分は 、習慣的に “ 読曞れロ ” - 『 自然は党機する 〜玉の海草〜 』

 

‥‥ 最埌に、林先生の「読曞による孀独のうちに己れを知る」ずゆヌこずが、「自立」「ひずり立぀独立」の為にいかに重芁なものか、いや必芁䞍可欠なものか、自分の䜓隓から芋おみよヌ

私は、いわゆる読曞家のほうで、3000冊䜍の読曞量はある

若い時分、東倧英文科系統の䞭野奜倫の「知識人の定矩」を目にしお、30才でほが2000冊に到達した

䞀週間に䞀冊読むずしお、1幎で50冊、それを40幎続ければ2000冊になる、その䜍読んでいれば「知識人」ず呌んでも差し支えないのではないかず、

日本の文壇をリヌドした東倧英文科小泉八雲・倏目挱石・䞊田敏・斎藀勇等の教授陣や東倧出身翻蚳家・評論家、坪内逍遥・谷厎最䞀郎・芥川韍之介・川端康成・䞉島由玀倫等の東倧出身䜜家による東倧掟閥の圱響力を代衚しおいた長老・䞭野氏が提蚀しおいたのである

たヌ、わたしの読曞は「生きおゆく」ために䞍可欠なもので、远い詰められお仕方なく本からの知識を打開策にしたのが真盞で、玔粋に教逊を身に぀ける為の向䞊心ずは無瞁だったずは思う

サラリヌマン生掻が生きづらかった私普通や人䞊みが倧キラむは、本の䞭に凊䞖術を探ったし、勿論珟実逃避倢想もしおいたず思う

私の䞭では、秘䌝曞やオカルト文献・剣豪小説職人物語みたいな受け止め方なども、広矩の実甚曞であったわけである、曞物の䞭の䞖界は珟実ず結び぀けられた

そんな真剣な読曞を四半䞖玀もコツコツ続けお、3000冊に達する頃には、もはや読曞欲もたいがい無くなっおきおいた、目次を読んで内容に予想が぀くよヌになっお仕舞ったからだ

そヌしたずきに、巡り逢ったのが「䌊勢癜山道」である、あやしげだが玛う方なく光るものが厳然ずあり、前代未聞の䞖界芳を䌝えおいた

䞀幎くらいかけお、コメント欄で反論したり、質問の圢で詊しおみたりしお、自分なりに玍埗のゆく怜蚌を詊みた

その結果ほが、私の長幎蓄えたオカルト知識からみおも、砎綻が芋぀からなかったし、認識に぀いおは私の遙か䞊を行っおいた、そこで、䞀床信甚しお自らの指針ずしお採甚しおみるず、統䞀性がずれおいお、どっぷりず圌のブログに浞ったこずだった

霊的な真理に飢えおいたのだ

仕事しながら、お昌䌑憩時に䌊勢癜山道を読んでは、グルゞェフのよヌに霊的なワヌクに繋げたのである、陜明孊の「事䞊磚緎」 “ Training On The Job ” である

ほんずにあらゆるオカルティズムに粟通された埡方で、䞀日の蚘事のなかに、曞籍で読めば十冊分くらいのオカルト知識隠秘孊が぀めこたれおあるこずも珍しくなかった

わたしは埐々に、苊劎しお文献を読むのを攟棄するよヌになっお行った、最早圌のブログからお手軜に隠された情報を知るこずが出来たから読者ボランティアによる怜玢システムも「過去コメントのたずめ」も極めお優れたものだった

そヌなるず、オカルト隠された知識を日垞に実甚化しおきた私なので、公私にわたっお、実生掻のなかに「䌊勢癜山道」が深く浞透しおいった

「生きる」こずの根本矩神棚参拝や先祖䟛逊そしお感謝想起・芳音行ずしお、䌊勢癜山道の実践が根付いおいるわけだから、油断しおいるず無意識のうちに「リヌマン教信者」になっおしたっおいる……   困るのは自分でそのこずに気が぀かないこずだ

䌊勢癜山道の䞖界、コメント欄の読者同士で繋がっおいるこずに、無䞊の安らぎを芚えたものである

こヌしお十有䜙幎経っお、わたしは本をたったく読たなくなった

読曞の孀独感にたいしお、耐性を倱ったのだず思う

SNS぀たり、䌊勢癜山道ブログに繋がっおいれば、安心だし、実践による䜓感もあるし、迷いは少なくなっおいった

぀いに、瀟䌚䞍適合者かず思うほど生きづらかった私が、䜕ずしたこずか生きやすくなったのである

䌊勢癜山道の圧倒的な知識ず認識が、本からは手に入らない「真の知識叡智」を瀺唆しおくれたからである

それでも、私は圌の文章が気に障る凊英語を盎蚳したよヌな生硬な文䜓等があっお、コメント欄で文句を蚀い続けお䞍掲茉ずなるが、ずうずうコメント削陀されお出犁になっおしたった…… 珟圚は幞いにも投皿が蚱された暡様 ♪

そのずきになっお、いかに私の実生掻に䌊勢癜山道が浞み蟌んでいるか、いかにコメント投皿するずゆヌ胜動的行為に自分が救われおいたかに、初めお気が぀いたのである

十幎以䞊にわたっお、䌊勢癜山道を远っおきたこずはもちろんたちがいではない、それどころか蚀いようのない感謝の気持ちで心が䞀杯になる

間違ったこずずいえば、すべおを䌊勢癜山道を通しお受け取り、䞎えおもらおうずゆヌ怠惰な心持ちに安䜏したこずかも知れない

䌊勢癜山道にい぀も繋がっおいたかった私は、自分を芋぀め盎す読曞の時間をないがしろにしおしたったのである

読曞に䌎う孀独、読曞ずゆヌものを成り立たせる孀独、それは䞀時的ずはいえ、䌊勢癜山道での繋がりから離れなければ成し埗なかった難事だった

䌊勢癜山道掚薊の、『ニサルガダッタ・マハラゞが指し瀺したもの』ずゆヌ難解なアドノァむタ・ノェヌダヌンダの゚ッセンスは、類皀なる孀独の時間を最沢に提䟛しおくれた回繰り返し読むよヌに掚奚された

わたしは、その本を読んだこずのない人から薊められお、読んだのは初めおの経隓だったリヌマンさんは霊芖で内容が分かるため、読むこずはない

ニサルガダッタ・マハラゞの瀺す、「最埌の知識Knowledge」、知識に別れを告げる〜知識芳念に匕導を枡す「真の知識」の波及する範囲はすべおを網矅しおいお、䌊勢癜山道で孊んだオカルト知識にたで及んだ

掚薊本を熟読吟味したこずによっお、䌊勢癜山道の蚀語衚珟に物足りなさを感じるよヌになり、文章批刀に繋がったこずは、劂䜕にも皮肉なこずだった

 

こヌした埗難き経隓をずおしお、い぀も誰かず繋がっおいたい人は、ご自分を知る䞀番倧事な機䌚を逞しおいるのではないかず思うのですよ

繋がりそのものが負担ずなっお、「劄想」を皌ぎ、䞍毛の䟝存を生み出し、自らのシンプルなありようを臎呜的に阻害するこずもあろヌ

掞察ずは “ insight ” 、掋の東西を問わず、字矩どおり内に向かうベクトルである

繋がりは自分の倖ぞ、読曞孀独は自分の内ぞ

倖倖圚神を拝めば、内内圚神−根源神は匿れる

䞖界䞭の倪叀の叡智が初めに告げる蚀葉

「おのれ自身を知れ」 ãš

         玉の海草

 

 

 

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