__ 碩学といおーか、大賢といおーか、南方熊楠については最近知っている人が多くなったが、いまから40年前(わたしが10代の頃)にこの名前を知っている人は、まずいなかった。(私は、今東光と稲垣足穂から、この途轍もない和製百科全書派を知った)
当時大阪に住まいした私は、専門学校で和歌山県から通っていた美少女・南方さんに尋ねてみた。「和歌山の偉人で、南方熊楠って知ってっか?」
彼女は、真面目な知的美女だったが、聞いたことがないと言う。熊楠の地元は田辺町だから、和歌山市からしたら随分と田舎だが、当時そんな知名度であった。
因縁浅からぬ、昭和大帝と南方熊楠翁にまつわる拙稿をまとめてみた。
● “昭和天皇とクマグス翁”
[2009-01-10 02:54:17 | 玉ノ海]
十三歳時から、足掛け七年に及ぶ、東宮御学問所(侍講による個人教授)での英才教育が「箱入り教育」であり、実学に乏しいとの理由で、
大正10年(1921)… 裕仁皇太子二十歳のみぎり、ヨーロッパ御外遊が決まる
軍艦「香取」で横浜港から出立、最初の寄港地は沖縄であった
―この時が生涯で、最初で最後の沖縄行啓であった
「香取」は、さらに香港、シンガポール、コロンボ、紅海に入りスエズ運河を経てエジプトに立ち寄る カイロでピラミッド・スフィンクスもご覧になっている
そしてイギリスへと、およそ二ヶ月の船旅であった
英國王ジョージ五世の厚い歓迎を受け 一ヶ月イギリス各地で過ごした後、パリへ、さらにベルギー、オランダ、フランス、ローマ… バチカンではローマ法王ベネディクト十五世と会見され、ナポリを最後にご帰国の途につかれる
船上も含め、ほぼ半年の旅程であった
その間のヨーロッパでの皇太子の‘ご勇姿’は、新聞に写真付きで大々的に報道され… 名実共に、日本国民の誇る‘われらが皇太子’となられたのである
帰国後ほどなくして、摂政宮となられる
【お若かりし砌、十三歳の迪宮(みちのみや)時代の、英邁この上なき昭和陛下…… 何たる凛々しさか】
そして二十二歳で関東大震災、
二十三歳でご結婚、
二十五歳で大正天皇ご崩御・大喪と天皇即位と慌ただしい月日を送られ…
二十八歳、ついに南方熊楠(六十二歳)と相まみえる
軍艦「長門」で 和歌山の田辺湾に到着、この行幸は和歌山県民あげての盛事となる…
―1906年に施行された『神社合祀令』⛩〜国家神道の権威を高めるために、古文書に記載された神社だけを残し、一町村一社にまとめて合祀する〜 によって 小さな神社や祠が、その境内の『鎮守の森』とともに消えてゆくことに憤慨し、いち早く反対運動を開始したのは、熊楠四十二歳の時である
その運動の中で その保全に最も力を注いだのが… 田辺湾に浮かぶ神島であった
生物学の宝庫として、熊楠が死守したその島へ、畏れ多くも今上陛下をぉ迎えするのである 熊楠一世一代の晴れ舞台であった
【熊楠夫妻、奥様は鬪雞神社の宮司のご息女・松枝夫人。奥様が怒って家を出てゆくと、熊楠は神社に赴き神前にて朗々と祝詞を唱えたと云ふ。その内容は、閨房での営みを縷々と述べたもので、松枝夫人は堪らず家に帰ったものだと云ふ。】
有名な話だが、標本をキャラメル箱に入れて 陛下に献上し、ご進講する
その折に 熊楠翁が詠まれた歌が―
『一枝もこころして吹け沖つ風 わが天皇(スメラギ)のめてましし森そ』
24ヶ国語を話すと云われ、生物学の世界的巨人にして 破天荒で比類なき冒険の生涯は、シュリーマンやグルジェフにも匹敵しよう
ー*『昭和天皇の履歴書』文春新書編集部[編]より
● “ 粘菌を詠まれた御製だったとは…… ”
[2016-12-30 10:17:20 | 王ヽのミ毎]
昭和37年、和歌山県南紀に行幸なされた先帝陛下(昭和天皇)が、
遡ること33年前(昭和4年)に神島を案内してくれた熊楠翁を思い出されてお歌いになった御製……
“ 雨にけぶる 神島を見て 紀伊の国の生みし 南方熊楠を思ふ ”
ー「この歌は【粘菌】を知らなければ理解できない。」(荒俣宏)
博物学者・アラマタ大人の随筆「南方熊楠〜紫の粘菌譜」より引く
御製にある「神島」(第一のキイワード)とは……
> 田辺湾に浮かぶ南方系植物の宝庫、手つかずの自然が残され、複雑にからまりあう生態系の箱庭ともいうべき島である。そして何よりも、菌類の宝庫であった。
熊楠は神社合祀反対を理論づける具体物として、この島をことのほか愛した。
‥‥ 神島で熊楠が昭和天皇に是非ともごらん戴きたかったのが、じつは粘菌であったと云う
【美しい粘菌の写真、粘菌の発達形態が都市交通の路線図と相似形であったり、迷路の脱出行では最短ルートを選択して、脳を持たない粘菌だが知性を感じさせるほどであるそうだ。】
お二人は当時、日本でも数少ない粘菌の研究者同士であったから
> 天皇が行幸した昭和4年6月1日は、粘菌を観察するには わるくないシーズンである。ベストシーズンはもう少し遅いが、それでも6月が都合のわるい季節というわけではない。
かなりの確率で、ワンジュなどに生じている粘菌を見ることができたであろう。だからこそ、天皇も臨幸を望んだはずである。
しかし、ここで第二のキイワードが、歌にこめられた心情を一気に明確にする。
それ〈雨にけふる〉の【雨】である。
もちろん、歌にある雨が意味するのは、昭和37年の行幸である。その日、田辺湾の島々は雨にけぶっていた。
しかし、昭和4年、熊楠が神島を案内した日も、じつは雨模様の一日だったのである。
雨の神島。
これが何を意味するのか。
雨が降っているとき、粘菌の発見はきわめて困難となる。粘菌は晴天のときにしか発見できないと考えてよい。
おそらく熊楠は、当日、昭和天皇を案内しながら、きわめて心もとない天候下で、必死になって粘菌をもとめたにちがいない。
ところが、当日はあいにくの雨模様だった。熊楠は結局、神島に生じている粘菌を自然状態で発見できなかったのだろう。昭和天皇も粘菌採集ができなかったのだ。
ともに博物学を終生の友とする人物であったから、採れないときは採れないということを、了解しあっていたにちがいない。
しかし、和歌山のフィールドで何度も奇跡をおこし、新種発見を実現させてきた熊楠は、その日も、〈奇跡〉をおこすべく、悪い足腰のことも忘れて、粘菌をさがしまわったにちがいない。
その姿を見て、天皇はふかい印象を受けたことだろう。
粘菌のみつからぬ雨の日、必死に努力する熊楠の形相は、まさに鬼神のようだったに相違ないのだ。
そして三十年余、ふたたび雨模様のなかで神島を眺めた昭和天皇は、
粘菌のみつからなかった雨の日のことと、あの南方熊楠とを、同時に想起したのである。
‥‥ この説、博物学の貴重な図鑑を自腹を切ってまでも出版された御仁による解釈は、じつに深く情愛にみちたものである
南方翁の、粘菌に抱くイメージはわれわれと異なり、「菌」ではなく
【原始動物】なのだそーだ
> たしかに粘菌は、アメーバ状に動くということだけをとるかぎり、原始植物や菌類の一部と生態を同じくする。
ところが、このアメーバ状に動くものが ふたつ以上も寄り集まり、融和して、ひとつの原形体をつくるという現象は、原始動物にはみられるけれども、菌界や植物界にはまったくみられないことである。
‥‥ 粘菌同士の融合(合体)は、アメーバのよーに分裂したり一方が他方を吸収するといった具合ではまったくなく、同じひとつの変形体のうちに【複数の核】を共存させる不思議な合体現象だそーだ
> 粘菌は個々が自由な結合を行ない、各自の核が共存できるという稀有な存在態をもつ。各自の個性がまもられつつも、変形体としては統一された全体を構成するのである。
そして、あとでキノコに姿を変えると、この個々の核がふたたび ひとつずつの胞子になっていく。
> 熊楠によれば、民は【草】である。
その草にも、また木、石、金属のどれにも等しく付着するのが、菌類である。多くの核を覆いこんで、全体をひとつの単体とする粘菌。
これこそは、神ながらの道を示す〈紫色の神芝〉。
かれはその神芝を、天皇に重ねあわせた。
‥‥ 夏目漱石と同時期イギリスに住んでいた熊楠は、大英帝国の王室制度に共感したらしく、敬愛する天皇のもとで各市民が自由に暮らし、発言できる近代日本の将来像をイギリスにみたらしい
> その場合、天皇は統治者でなく、太陽のような永遠の象徴としてとらえられた。
‥‥ 熊楠翁は、陛下をお呼びするに際し、「天津日嗣(あまつひつぎ)」と呼ばれていたそーで、本来は「すめらぎ」との言い方は好まれなかったとか
あの熊楠の詠まれた歌
一枝も 心して吹け おきつかせ わか天皇(すめらぎ)の めてましし森そ
‥‥ この「わか天皇」は、当初は「天津日嗣」を用いる意向であったが、それが古歌に用例を見ないとの理由で、泣く泣く、天皇(すめらぎ)と訓ませたのだとか
熊楠は、昭和天皇臨幸後に神島で発見された紫色の新種の粘菌に、
【神嘗(かんなめ)アルクリア】と命名されたのである
和歌とはつくづく面白いものだ ♪
この端的な三十一文字のなかに、これだけ広汎な消息を織り交ぜて在る
ー さすれば、昭和天皇の熊楠翁の名前を織り込まれた御製は単に懐古の御歌ではないのがわかる
心から歓迎された喜び、誠心誠意の必死なおもてなし、畏敬と親愛、日本が誇るべき知の巨人、同好の士に巡り合った稀有な体験、悪政から神社や鎮守の杜を守った恩人との邂逅、赤心からの信愛を寄せる大御宝(おほみたから)と共に過ごした得難き一刻等々
熊楠翁が思い描いた「日の本」が、いま、われわれの今上陛下のみもとで実現されているのを見て、亡き翁は如何思われるであろーか
わたしたちは、幸運・強運にもそんな時代に生かされて在るこの身の仕合わせ、いま一度かみしめてみるのもいい。
_________玉の海草
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