__NHK『100分de名著』でいま、フョードル・ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』が取り上げられている
むかし、読者メモに夥しく出てくる人名(70〜80人はいるんじゃないか?)を書き込みながら、それでも尚物語に強烈にひきこまれながら読んだ
ロシア語は難しい言語であるらしい、それに人名にしても「アレクセイ」が愛称で「アリョーシャ」になったり、片仮名の長い人名を覚えるだけでも疲れる
こんなに長々と書き綴る「ロシア人気質」とゆーものにも、なんとも粘着質な感触を抱いたものだ
トルストイにしても、よくあんな長編をものするものだと呆れてしまうが、『カラマーゾフ』も未完の長編で、現在ある物語は第一部にあたるものだそーだ
私が『カラマーゾフ』に手を出したのは、おそらくヴィットゲンシュタインが生涯の愛読書(30回は読んでいるらしい)と云ってはばからず、第一次大戦の従軍にも持ち歩いたほどの小説とどこかで読んだからじゃなかったかと思う
長期的に時間を辿るのは、おおげさだが神の視座を獲得する
そんな観の眼でみたら、家系の一瞬を切り取ったよーな「親ガチャ」なんて非道いことは言わないだろー
いつの世も「若者はバカ者」だが、親子関係の因縁をこんなにも短絡させて表現したのは、とりも直さず令和の抱えるどーしようもない幼さである
わたしは、子は親をえらんで産まれてくる(生誕後はその事を忘れる)説に賛成だ
「親ガチャ」と嘆いたとて、なんら前向きの気持ちにはならないからだ
欲望の権化のよーな父親・フョードルにたいして、カラマーゾフの長兄や次兄のよーな反発拒絶する時期は、当然私にもあった
アリョーシャのよーに「ゾシマ長老」に象徴される神秘に逃げた時期も勿論ある
「カラマーゾフ」とは、人間がフタをして、無いものとして見ないよーにしている身内のあらゆるモノでもある
まー、かの「大審問官」の条りが知識人の魂を掻き鳴らすものでありましょー
『カラマーゾフ』を読んで感じたことは、「わたしのうちもカラマーゾフである」とゆーことだった
文学としても傑作で、信奉者の多いドストエフスキーを語るのは、おこがましいが、ものごとは単純なもので感得してもよいと思う
たとえば、イマヌエル・カント『純粋理性批判』とは、単に「ア・プリオーリ(先経験的な)」なる一語を説明するために書いたと私は感じた
ドストエフスキーの神学は、青い文学青年には蠱惑的な魔力を感じさせるものではあるが……
ケーベル博士『神と世界』の至言で事足りる
> 《神は在る》は即ち《神が在る》ことである。
《神は無い》はこれも又《神が在る》ことである。
‥‥ つまり、「存在」とは「生まれないし死なない(不生不滅)」ものであること
わたしたち人間は「現象」であり、生まれて死ぬものであること
その、仮の存在めいた私たちは、神の似姿であり、神性を付与されていること
私たちは、宇宙の塵のよーな儚い一部分ではなく、私たちの内に宇宙が包含されていること
イワンの詩「大審問官」が突きつける命題は、私たち自身の内なる葛藤であること
わたしは、伊勢白山道とニサルガダッタのアドヴァイタ(非二元認識)によって、以上のよーな応えにいたった
日常生活に引き寄せて言明すれば、「わたしの内に、カラマーゾフがある」とゆー実感がある、小説文中の台詞にもある
>「カラマーゾフというのは淫蕩、強欲、奇癖ということにあるんだ」
‥‥ わたし自身、複雑な家柄に育ち、二つの家系を継いでいる
(1)一つはタタラ製鉄から刀鍛冶につらなる、職人の道、
(2)もう一つは、平清盛の嫡子で、早逝した平重盛の子孫としての道
どちらに転んでも、強烈な生きる意志とゆーか「家風へのこだわり(=誇り)」が「カラマーゾフ」なのである
戦前戦中をとおして、平重盛は「親孝行」の美徳でもてはやされた
六波羅近くの小松第に住んでいたことから、「小松内府(だいふ=正二位内大臣)」と呼ばれ、たいそう人気だったよーである[※ 私の継いだ家も「小松」を名乗っていた]
伊勢白山道を通じて知り合った読者の「triport」さんと云ふ方がおられたが、彼の知人からの内密な情報では、平重盛とは皇室が例外的に臣下を祀る三人のうちの一人であるそーだ
ほかのお二人は、弓削道鏡による皇室乗っ取りを防いだ「和気清麻呂」と、明治維新前夜に光格天皇の御志を体し臣籍に降り、討幕のために暗躍なされた「天忠党」の中山忠伊(ただこれ)卿…… [※ 光格天皇の第六皇子であらせられる武生宮長仁親王であるとされる]
平重盛は、父清盛が畏れ多くも後白河法皇を攻め滅ぼさんとした折に「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」と、泣いて諌めて暴挙を止めた功労を賞したものらしい
文武両道にすぐれた重盛は、重用されたが、母方の親戚に有力者がおらず(母は白拍子とされる)苦労なさったらしい
内に秘めた激しい情熱は、平家の屋台骨であったが、惜しくも早世された
そんな無念の重盛公であったので、本来の烈しい性格を代々受け継いでいるよーだ
わたしは、その家系の秘密を二十歳で祖父の弟から伝承されたが、それ以来お盆になると憂鬱に悩まされるよーになった
何故なら、その「小松」姓を名乗っていないからだ、墓も別にあった
そのニつの家の墓をまとめて、一緒に祀るまで、その重苦しい憂鬱は消えなかった
その遺された思い、それが「カラマーゾフ」なのである
一族の悲願とかゆー言い方もするが、その外圧ならぬ内圧は凄まじいものがある(わたしはそーだった)
わたしは、しかし、イワンのよーに正面から嫌がるよーな歳でもなかった
なにか、親しげな思いを懐いた、「おれもそーだなあ」と、お盆が来る度に同化していった
つまり、遺伝とはそーゆーものだ、この血に流れているものは、ユダヤ人に云われるまでもなく濃いのである
ーそんな意味で、代々にわたって個体を変えて伝承されてゆく「家系」とゆーものも、ある種の「存在」ではないかとまで思うにいたった
わたしには妻子もなく、このままゆけば「絶家」となるが、「存在」に回帰した個体にとっては、それはかなしむべきことでは決してない
以前に美輪さんがよく云われていたものだが……
「家を新築すると、五年以内くらいに不幸が音ずれる」と
かくも左様に、そこに暮した念とゆーものは強いのだと思う
住者の念が深く浸透した、その家屋を壊すことには、なにかしら無礼なものがある
井戸にしろ、竈門(かまど)にしろ、機能して「活きて」いた代物を壊し、その上で何かを営むとき、その蔑ろにされた思いは「祟り」となるのかも知れない
おおざっぱに括ってしまうと、人びとが生きているとゆーことは、取りも直さず「霊」同士のせめぎあいが渦巻いていると観なければなりますまい
霊の海に浮かぶ、人びとの思い、出来るかぎり大切にしてあげたいものだ
_________玉の海草
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