>卓球・混合ダブルスの世界最強ペアである 許昕/劉詩雯
許昕(キョキン、美誠ちゃんはシュシンと発音していた)は、中国型ペンホルダー・グリップの名手で(シェイクハンド・グリップ全盛の現在、極めて珍しい絶滅危惧種)、ギュイーンとバナナ・カーブするエゲツない「ドライブ・ボール」を放り込んでくる
身体も柔らかく、高身長で手脚も長い、ボールの回転が凄まじいので返球が難しい、美誠ちゃんはラケットの片面が表ラバー(凹凸がある)を貼っているので、尚更大変だったろー
劉詩雯(リュウシブン)は、世界ランキングはしばし置いといて、中国女子で一番卓球の上手い人ではないかと思う、攻めも受けも安定していて盤石の感あり、オールラウンドに高度な技術を有する彼女あたりから、中国の「高速卓球」が始まったのではないかな、日本人選手に対する勝率が一番高い、美人だがつけいる隙のない玄人好みのプレイ、クールでほとんど感情を表に出さないタイプ…… 福原愛ちゃんの親友である
この「絵になる」お二人を組ませたら、いぶし銀の風格を漂わせる世界最強ペアになる、う〜 (/ _ ; ),,, 戦いたくない気持ちがよくわかる、弱点がおいそれとは見つからないから……
ミックスダブルス決勝も、そーだった…… 1セット・2セット目は苦もなく討ちとられた
美誠ちゃんは、集中して目まぐるしく考えているのが分かった、ベテランの中国ペアは裏も表も知り尽した試合運びだったから(いままで4回対戦して全敗)
三セット目からは、果敢に攻めた、やっぱ 水谷選手(ドイツ仕込みの天才、ラリー巧者)が全く諦めることなく俄然と攻勢に転じたのが功を奏した、水谷の「ナックル・ドライブ(回転をかけないドライブ)」が回転にこだわる中国ペアに効果した
下から上へ強烈に擦りあげる、回転量の豊富な「パワー・ドライブ」のつもりで「ナックル・ドライブ」に対処すると…… 勢い余った返球が卓球台からハミ出してしまうのだ、ちょうど野球のチェンジアップみたいな透かし技である
やはりリオ五輪で初めて許昕を破って、許昕の怖さを熟知している水谷だからこそのアドバイスが生きたのだと思う
美誠ちゃんのクリエイティヴな卓球 は、自分を信じることから始まる、迷いのない彼女は無敵だ
文字通り、水谷の鉄壁の後ろ盾を得て、自由奔放に弾け始めた
中国ペアは、二人揃ってボールにかなりの高回転をかけていた、ラケットの角度や返す方向を間違えるとあらぬ方向へ飛んでいってしまう厄介な球質である
通常、卓球は肩の高さくらいでラケットを振るが…… 許昕にしても美誠ちゃんにしても、剣道の上段みたいにあらゆる打点で変幻自在な返球をしてくる、全空間を支配する、テニスみたいな広範囲の卓球と言えるかと思う
まるで剣豪の居合いみたいに、エグいカットボールを放つんだよな ♪
レイコンマ何秒かのせめぎ合いは、「剣はそれ瞬息」(北辰一刀流の千葉周作)の瞬きせぬ世界、一刹那で勝負が決する
“ 卓球は100m全力疾走しながら、チェスを打つ様なスポーツである ” と日本卓球の先人は看破されました
最終セットは、正味おどろきました、あの常勝不敗の中国から、連続得点「8ー0」
「こりゃ勝てるんじゃないの?」ではなく、「こりゃ負けそうにないな ♪」に変わりはじめ…… 世にも嬉しいカウントダウンを、いまか今かと相当長い時間愉しめました
美誠ちゃん秘蔵のロングサーブを、許昕がネットに引っ掛けたとき……
我知らず、立ち上がって諸手を天に突き出して叫んでいました、「勝ったぞー♪」
まったく気乗りのしないオリンピックだったのですが…… この瞬間の為だけであってもオリンピックは日本で開催した意味があったと思いました
大舞台での勝利は、今回で三度目になるのか……
平野美宇ちゃんの偉業、中国選手三人抜き優勝はローカルな「アジア選手権(中国開催、2017年)」でのこと…… 伊藤美誠ちゃんが圧倒的な強さで「大魔王」と呼ばれるキッカケとなった「スウェーデン・オープン(2018年)」での中国選手三人抜きの偉業も合わせれば、今回のオリンピック金メダルは三度目の正直とゆーことになるんだなあ〜
迂闊ながら、いま気がついた
日本の国技柔道が、アントン・ヘーシンクと神永選手との試合で、初めて日本が敗北した当事者のショックがいま、分かるよーな気がする
中国は、たいへんな意気消沈ぶりである、劉詩雯はボロボロ泣いて謝っておられた、国家の威信が乗っかっているスポーツなのである
卓球界に、卓球専門誌として『卓球王国』があるが…… あれは昔日、中国が卓球界で覇権を握る以前には、日本が卓球王国だったことを偲んで、いつの日か「卓球王国」の名を奪還する日が来ることを期して、つけられた誌名である
日本卓球が世界のトップレベルだった時代は、1952〜1979年頃までであろー、50年代から70年代までの約30年間は、確かに日本は「卓球王国」だったと云えるかと……
では中国に勝って優勝したのは、いったいいつ以来なのか?……
男子は、最後に勝ったのが24年前、1997年のアジアチームカップ(上海)の団体戦、Tリーグ初代チェアマンの松下浩二さんが2勝の大活躍で、3ー1で中国を降した
女子は、最後に勝ったのが47年前、1974年のアジア選手権(横浜)の団体戦、3ー1で中国に勝利したが、1975年以降は中国が天下を握った
卓球が、オリンピックの正式種目となったのは、1988年のソウル・オリンピックだから、五輪の歴史はまだ浅いのだが……
2012年ロンドン五輪女子団体の銀メダル、2016年リオ五輪女子団体の銅メダル、男子団体の銀メダル、そして男子シングルスの水谷の銅メダルのみである
日中国交正常化は、1972年だが……
(wikiより)>1971年3月に名古屋市で開催された第31回世界卓球選手権に文革後初めて選手団を送り、当時のアメリカ選手団を大会直後に中華人民共和国に招待するピンポン外交が展開されて……
中国へ渡航しやすくなったのは、70年代後半ころか、この辺りから中国は卓球に本腰を入れ始めた感じがする
やはり、昔日の貧しかった中国にとって、卓球台とラケットがあればすぐに始められる卓球はうってつけの娯楽であり、投資であったことだろー
なんでも国威発揚に結びつける中国は、珍獣「パンダ」と卓球を外交に組み込んで躍進してきた
オリンピックで、卓球の試合を観ていると、首を傾げるのが、各国の代表選手に中国人の帰化人が多いとゆーこと、
これは、中国で「養狼計画」と称されているもので、卓球人気を世界中で保つために、各国に中国人選手を送り込み、その国の人間にさせる(忍者の「草」みたいに他国の住人になりすます)
そして、国の代表選手にさせて、卓球の世界レベルを底上げして、その頂点に中国が君臨するとゆー遠大な国家計画である
リオ五輪でも、シンガポールなんか代表選手全員が元中国選手であったし、きょう美誠ちゃんと戦ったポルトガルの選手もまた元・中国選手であった(実に渋いペンホルダーのおばさん選手で、無駄のない動きに年季を感じさせた)
養狼計画はほぼ成っているのだろー
卓球と云えば、中国が絶対王者、その地位は身じろぎもしないのが中国の国家的アイデンティティと成っていることだろー
その一角を崩したとなれば、これは大問題であるが、中国とゆー国は好敵手を尊重するお国柄でもあるのだ
「なかなかやりおるな」と認めたライバルを、さらに上回ることが大好きなのである
だから、美誠ちゃんを「大魔王」と仇名したのは、やっと中国に伍する人傑があらわれて歓迎している一面がある
コロナ禍で大会もなかなか開催できなかった去年、美誠ちゃんは中国開催の大会に参加するために、一か月間も中国に渡った
そのときに、練習場で同い年の天才プレーヤー孫穎莎選手(ボーイッシュだが笑顔が妙に可愛い)に声をかけられ、一緒に練習したことがある、これは勿論探りに来ているのだが…… その一方で一緒に練習したくなるほど中国では実力が認められていることを証ししている
中国は、強敵があらわれると、そのコピー選手を造り上げて、臨場感をもって徹底的に対策を練る
しかし、大魔王・美誠ちゃんは余りにも独創的なプレイ・スタイルで、そのコピーを造ることが至難なのである
卓球界の常識やセオリーの上を独り行く美誠ちゃんは、中国女子No. 1の丁寧選手に引導を渡した下剋上・次世代エースの孫穎莎(ソンエイサ)選手をして何年もライバルであり続ける好敵手だと言わしめる実力者である、但し彼女の上にまだ陳夢選手が君臨している、幾重にも選手層の厚い中国なのだが
THE DIGEST編集部より引用しよー
>試合後、中国メディアの取材に応じた許昕は記者から「なぜ伊藤は君のショットを打ち返せたのか」と問われると、「いや、彼女は素晴らしかったよ。試合が進むにつれてどんどん僕の打つサーブに対応できるようになっていったし、なにより男子選手にも立ち向かう勇気がある。ラリーになっても臆せず、最後までとても勇敢だった」と絶賛した。
ーお芽出とう、水谷選手・美誠ちゃん、興奮してテレビの前で大音声で叫んだのは一生のうち何度もあることではない、それだけ光明の差し込めた輝かしい一瞬だったのです
嬉しかった、本真にありがとう…… 生きている内に、オリンピックの国旗掲揚の場面で、卓球の絶対王者・中国の国旗🇨🇳を下に従えて、真っ先に昇ってくる🇯🇵「日の丸」を眼にする日がやって来よーとは……
_________ 玉の海草
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