__ 文武両道どころか、二つも三つも成し遂げてしまう、一芸が万事に通ずる宮本武蔵型の自然児、200%の自分を発揮した意外な剣豪を紹介しよー
彼は、戦国大名のお坊ちゃんであった
⑴ 和歌の道 〜 権大納言・冷泉為和らから学ぶ、御水尾天皇選の集外三十六歌仙に名を連ねる
⑵ 蹴鞠の道 〜 飛鳥井流宗家の飛鳥井雅綱や難波家に学ぶ、織田信長からその蹴鞠の技を所望される
⑶ 武芸の道 〜 新当流の塚原卜伝から学び免許皆伝、のちに自ら「今川流」を創始する
‥‥ 桶狭間の戦いで織田信長から急襲をかけられ、十分の一位の兵力で討ち取られた、海道一の弓取り・今川義元 の嫡男として生まれた多芸の風流人・今川氏真(うじざね)公である
国盗りに明け暮れていた戦国の世に、てて親を討たれても弔い合戦を仕掛けるでもなく、蹴鞠にうつつを抜かし、されどその芸によって、生き長らえる武将‥‥ こんなユニークな武将はおるまい ♪
(まー、生き延びる交渉は氏真の賢妻が尽くした内助の功も与っているのだが…… )
いずれにしても、今川家に人質となって育った松平元康(後の徳川家康)を取り込んだ織田信長が今川家を滅ぼして、氏真の首をとらなかったのは、蹴鞠において超一流だったからに他ならない
信長公は、能楽や茶の湯にも嗜みの深い傾奇者(かぶきもの)だから、松永弾正 の茶人としての力量にも信をおいていた、風流な数寄者が大好きなのであろー
わたしが、氏真公にそれこそ瞠目したのは、図書館で 『武芸流派大事典』(綿谷雪・山田忠史編、1969年) をパラパラめくって、神技をふるう名人を探していた最中に…… たまたま流祖の欄に「今川氏真」の御名を見つけたときです
わたしは、目を疑いました、あのお公家さんのよーにナヨナヨした蹴鞠人が何故?と、だって蹴鞠道の流祖ではなく、剣術の創始者(流祖)なのですよ
かんがえてみれば、氏真公はあの獰猛な 武田信虎(信玄公が追い出した先代=父上)のお孫さんにあたるお血筋です、人一倍の膂力があった義元公を父に持ち、信玄公の姉を母にもったのですから、抜群の才に恵まれても不思議ではありません
小池一夫・小島剛夕『半蔵の門』 では、家康の正妻・築山殿 が嫁いでくる前に、ねんごろだった色男とゆー設定で氏真公が出てきました
主家から嫁いだプライドの高い嫁に、コンプレックスを抱いて卑屈にふるまってしまう若き日の家康の機微をよく描いていたと思います
大企業の社長の息子(氏真)と派遣社員の息子(家康)みたいな間柄だもんな、種つけられた娘を正妻に迎える屈辱たるや、なんとも……
のちのち信長から自害を命じられた家康の長男・信康公 のご最期に向けた伏線にもなっていましたが、ちょっと意地悪な氏真像でした
「今川流」と一流を立てた剣豪としての氏真公をよく描いて余す処がないのが、戸部新十郎『秘剣龍牙』(徳間文庫)にふくまれる 短編「睡猫(すいびょう)」です
武田家の軍師、山本道鬼入道勘助 は「京流」の達人だが、新当流も卜伝から修めていて、その極意に「睡猫の位」とゆーものがある
一方、氏真公の蹴鞠道にも「睡猫児」の奥義があり、新当流(神道流の含意)のそれと相通じる消息がありそーである
武蔵が、剣の極意でもって、習わぬ水墨画を描いた逸話があるよーに、芸道は極めれば諸芸に通ずとゆーことはあるものかも知れない(但し、武蔵の場合は、初めて殿様の面前で描いたときは上手くゆかなかったと云ふ、一晩思いにふけって翌日に見事な一幅を描いたのではなかったかな)
じっさい、能の金春流の 金春七郎禅竹 が、柳生新陰流を創始した 柳生石舟斎 の下で剣術修業して、金春流に伝わる極意と新陰流の極意を交換したとゆーロマン溢るる伝承もある
能は、渡来民たる秦氏のもたらしたもので、聖徳太子に仕えた 秦河勝 をご先祖に戴いている、観阿弥・世阿弥 は伊賀の服部半蔵家(上忍)と親戚で、楠木正成 の妹御も服部家に嫁いでいるはずです
能楽の「すり足」は、忍者の歩法でもあり、剣術の足捌きでもあるわけですな
秦氏は、秦の始皇帝の末裔といわれ、大陸で景教(キリスト教ネストリウス派)と祆教(ゾロアスター教)も奉じているとかで…… 浄土教における世界宗教レベルの救済思想は、秦氏の法然上人 にキリスト教が伝わっていたのかも知れないと思わせる処があります
金春禅竹『明宿集』 に観られる、「宿神」の包括的な思想は、
中沢新一の名著『精霊の王』
に詳しいが、能=舞踊(旋回と上下動)と武道は究極で一致するとゆーことだろー
沖縄の琉球王家の武術・本部御殿手の名人であられた上原清吉 は、「武の舞」 と称して、琉球舞踊の女踊り(秋篠宮家の紀子様も習われた)も兼修なされていた
ダンスと武術が同源でも何ら可笑しなことではない、バレリーナの後ろ蹴りはプロの格闘家の打撃に匹敵する威力だと聞く
ー 横道にそれてしまったが…… 今川氏真公が会得なさった蹴鞠道の神髄「睡猫児」をみてみよー
「ありゃあ 、 おう」と長閑な発声、蹴鞠の鞠乞う声である
「ありゃあ」=春の心、「おう」=夏の心であると云ふ
【 牡丹花下の睡猫 、 心 、 舞蝶にあり 】
“ 草花の下にねむりし猫さえも そらを飛びゆく蝶をめがくる ”
> 解説;
「この歌によると、眠る猫さえも油断なく、上を飛ぶ蝶があれば跳びかかる、ということになりますね。つまり、二六時ちゅう、身辺の注意を怠らない、というわけですね」
「さよう」
「だから、われらは達人にはなれないのです。本意はあくまでも、“ 牡丹花下の睡猫 ” にあります。心が舞う蝶にとらわれてはならない。ただただ、まどろむことです」
「いざというとき、さような真似ができようか」
「そうですな。鞠場に出ればわかりますが、色さまざまな衣装が動く、鞠があがる、音が響く、間断なく鞠乞う声が聞える、そんななかで自分も蹴らねばならない。とうてい、気は許せません」
「でござろう」
「しかし、手前も一度だけ、まどろんだことがあります」
「それはただの眠気というものではないか」
「あなた、妙なことをおっしゃる。眠気がなくてはまどろむことはできません」
「それで、いかがなったか」
「ちゃんとひとりでに蹴っていました。それも、いつもより正確に。いま思うと、なんとも快い一瞬でありましたな」
「なるほど。では訊ねたい。なぜひとりでに足が出るのか」
「ですから、毎度申し上げるように、平生の姿勢 、 足構えが大切なのです。
顔もち、 軽からず、 うなずかず、 あおのかず、
前より見れば、反りたるように、
うしろより見れば、 たおやかなるように。
おおらかに、 うららにて、 癖あるべからず。
足は土踏まずをすりて、 すくいあげるように、 膝頭(ひざがしら)より出すべし。 足任せがよし。
足首には力を入れるべし。
爪先は開かず 、 いかにもいかにも 、 丸げに出すべし。
三足(さんそく)、 続けて蹴る覚悟なり」
これは三度、蹴ることではない。兵法でいえば、打込みは一刀であって、二の太刀を想定しない。が、単なる一刀ではなく、残れば重ねて打つ覚悟や余力がなくてはならない。
蹴鞠にもそれがある。ひと蹴りだが、続けて蹴り得る覚悟をもたねばならない。いわば “ 残心 ” という意味だろう。
「道鬼さまは…… なにをするにしましても 、 自ら仕掛けたことがありません。 相手の仕掛けを待って、 出る。
が 、 待つ、というのともちょっと違いますな。 ひとりでに反応する 、 と申したらよいか。これが自分のものになりますと、ひとりでに足が出るのです。
未熟な手前が申すのもはばかりがありますが、道鬼さまはこの “ 睡猫児 ” をお忘れになり、自分のほうから仕掛けなされた。それで不覚をとられたのではありますまいか」
‥‥ 道鬼山本勘助の不覚とは、“ 啄木鳥(きつつき)戦法 ” が上杉方から見抜かれて、川中島の八幡原で討ち死にしたことを指す
稀代の軍師であった山本勘助は、武田家はえぬきの将ではない、いわば途中入社した余所者・新参者であった
隻眼・跛足(びっこ)の風体は、「タタラ産鉄民」 の出自を露わにしている、「道々の輩(ともがら)」さしずめ山の民でもあっただろーか
海の民が、川を遡行して川辺に暮らし、尚さかのぼって山間(やまあい)に居を構えたのが山の民である
実際、山の民と海の民は交流が深かった
能楽師は、道々の輩として各地を巡業して歩くなかで、山師のよーなこともしていたし、その素養も兼ね備えていた
徳川幕府の金山奉行で、あの時代に何故か水銀アマルガム製法を知っていた 大久保長安 は、能の大蔵流の太夫であったと聞く
忍者は、手裏剣などの道具を自分で作っていたから、当然タタラ製鉄民とは昵懇であったはずである
いつの時代も、蛇の道は蛇、裏社会は絶妙に繋がっているものらしい
ー今川氏真公は、神道の言霊である和歌にしても、宿神の降臨する蹴鞠にしても、鹿島神宮の太刀である剣術にしても‥‥ 当代一流の達人に師事しておられる
塚原卜伝から免許皆伝、かの剣豪将軍として知られる 足利義輝公 の兄弟子にあたる
義輝公と伊勢の国司・北畠具教卿 は共に、新当流奥義「一つの太刀」を伝授された高手であった
この秘伝は、代々連綿と鹿島神流に伝わり……
戦後GHQのマッカーサー元帥配下の銃剣術の達人から、圧倒的な実力差で一本取った 国井善弥師範 もよくつかわれたと聞く
警視庁剣道とゆーか現代剣道の第一人者たる剣豪・高野佐三郎 と古武術の実戦派なんでもありの国井師範が立ち合われたことがある
国井師範は、からくも勝ちをおさめたが…… 流石に高野佐三郎、「一つの太刀」の二段目まで出さなければならなかったとその腕を認めた
奥義「一つの太刀」は、三段目まであるらしい
最近、NHK・BSで 『 武の “ KAMIWAZA ” 』で、武術の達人の動きを目の当たりにできる幸運に恵まれ、V6の岡田くんに大変感謝している
なかでも、伝説の古武術名人・黒田鉄心斎 のお孫さんの 黒田鉄山師 の剣捌き・体捌きには、素晴らしすぎて溜め息が漏れる
古来の剣客のありよう、武芸十八般とはこのことかと、やおら感動してしまう
でも、それだけではいかんのだ!
日本人は「文武両道」を求める 、 尊ぶ 、 その最たるものを童心のままにやり遂げた、特異な実例が、今川氏真公ではないかと思える
_________玉の海草
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