質問者:ハイル禅師 ソウルの繁華街梨泰院の狭い坂道で
156名が亡くなりましたが僕は日本でも明石歩道橋事故を
思い出します
私:2001年7月21日の午後8時半頃 私は歩道橋の下の道
を歩いていたが歩道橋内では11人が圧死し183人の重軽傷者
を出していた最中でした
明石の歩道橋は朝霧駅から直結しておりドーム状の筒の中を
歩いて道路横の歩行者道へ降りる形状でした
歩道橋の内部では群衆雪崩が発生しており歩道橋の屋根に
上った男性が「誰か警察呼んでくれ」と大声で叫んでいました
私の人生は何度か事故に巻き込まれそうになるのだが
この明石花火大会歩道橋事故も奇跡的に回避している
この花火大会に垂水に住んでいた母親と弟と私で観に行こうと
言う話になった
ところが出発寸前になって弟が絶対に行かないと突然強情に
駄々を捏ね出したがこういう事は初めての体験でした
私と母が説得を試みたが弟は聞く耳を持たず二人で出ました
私は山陽電車の大蔵谷駅から徒歩で会場に向かいましたが
この判断が生死の分水嶺になった
もしJR朝霧駅で降りていればちょうど大事故に巻き込まれる
時間帯だったからです
弟はJRの定期があり一緒に出ていれば必ず朝霧駅で降りた
と言うので弟に神懸かりして難を逃れる事が出来た話です