ns日記

徒然なるままに・・・ ~日常を思うままに綴ります~

「萩焼」完成

2022-10-12 22:10:00 | 旅行
8月、夏期休暇を利用して「萩旅行」に出掛けました。

その際、萩焼の窯元「元萩窯(げんしゅうがま)」さんで「萩焼体験」にチャレンジした「湯呑」が届きました!

(元萩窯さん)

焼く前の作品がこちら。

真ん中が私の作品「湯呑」です。

そして、届いた完成品が、こちらです!


かなり小さくなっていましたが、綺麗に仕上がっています。

外側の横ラインはもう少しハッキリさせたかったのですが、まあまあ出ているので「よし」とします。

窯元の方には、「色は焼きあがってからのお楽しみ」と言われていましたが、それぞれ違う色に仕上がってます。

これからの季節、この湯呑で、温かいお茶をいただくことにします!

山口 萩②(2日目)

2022-08-26 18:30:00 | 旅行
2日目です。

この日は朝からいい天気です。

朝早くから露天風呂に入って、その後、朝食をいただきます。

会場は夕食と同じ場所でした。


小鉢にイカ刺し、河豚焼き、鍋等、朝からボリューム満点です。

画像を失念してしまいましたが、朝採れ卵があり、卵かけご飯にしたらとても美味しくて、おかわりをしました。

チェックアウトをして向かったのは、「萩焼体験」です。

伺ったのは藍場川のすぐそばにある窯元「元萩窯(げんしゅうがま)」さんです。

古民家を改装したギャラリーなど趣のある窯元でした。

私自身、初めての体験でしたが、ロクロを使用して「湯呑」にチャレンジしました。

真ん中が私の作品になります。

丁寧に教えていただいたので、すごく綺麗に仕上がりました!

これから焼いていただき、約2ヶ月後に送られてくるそうです。
果たしてどんな色に焼きあがるのか?楽しみです!!

目の前の藍場川には大きなコイが泳いでいました。


次に向かったのは「松陰神社」
明治維新の先覚者 吉田松陰を祀る神社です。

境内には、幕末維新に活躍した高杉晋作や久坂玄瑞ら多くの志士が学んだ「松下村塾」があります。

2015年に世界遺産に登録されています。

その先には「吉田松陰幽囚ノ旧宅」がありました。

この部屋が松陰が謹慎生活を送った「幽囚室」

奥まで進み、「本殿」に参拝します。


“学問の神様”として多くの受験生が訪れるそうです。

そろそろお昼時になりましたので「道の駅 萩しーまーと」へ移動。

この中にある「浜料理がんがん」さんで、ランチをいただきます。

人気ということで、20分程、並んで待って案内されました。

いただいたのはオススメの「海鮮丼」です。

新鮮なお刺身がとても美味しくて、人気というのも頷けます。

その後、萩城の城下町を散策します。


桂小五郎の名でも知られ、“維新の三傑”と詠われた「木戸孝允旧宅」を見学しました。

家の中も見学できました。



更に歩いていくと、「萩城跡」がありますが、流石の暑さに参ってしまい、この辺りで引き返します。

高杉晋作と久坂玄瑞の銅像

城下町の散策を終えたら、いざ福岡へ戻ります。

お盆休みを利用した1泊2日の山口萩旅行。
予報が外れて、心配だった天気にも恵まれ、楽しい旅行となりました。

この後、渋滞に巻き込まれることもなく、無事に福岡に到着しました。

山口 萩①(1日目)

2022-08-21 20:00:00 | 旅行
お盆休みに帰省してきた娘と一緒に久しぶりの家族旅行に行ってきました。

今回の目的地は山口県の「萩」。一泊2日の旅行です。

車で出発、高速道路で移動します。
関門橋を渡って、本州へ。

(パーキングエリアにて)

この後、高速を降りて、まずは川棚温泉に向かい「ランチ」をとることに。

伺ったのは「たかせ」さん。
元祖「瓦そば」のお店です。

20分ほど外で待って案内されました

1962年にこの店で生まれた瓦そばは、いつしか評判となり「川棚温泉の名物料理」とされるようになったそうです。
熱く焼かれた瓦の上に茶そばと肉や錦糸たまごといった具材が盛り付けられており、これを濃いつゆにつけて食べます。

これで3人前。
結構、お腹いっぱいになりました。

ランチを終えて、北に向かいます。

到着したのは、”映えスポット”の「角島大橋」です。


着いた頃は、どんよりと曇っていたのですが、しばらくすると徐々に晴れてきて、海もきれいなブルーとなり、角島へ延びる橋の白とは海の青、島の緑のコントラストが美しい「映え」写真が撮れました。

晴れているうちに、東へ移動します。
次に向かったのは、「元乃隅神社(もとのすみじんじゃ)」です。

(鳥居の上に賽銭箱があります)

この神社は、昭和30年に、地域の網元の枕元に現れた白狐のお告げにより建立されたそうです。

商売繁盛、大漁、海上安全は元より、良縁、子宝、開運厄除、福徳円満、交通安全、学業成就などのご利益があるといわれてます。
奉納された123基の鳥居が、龍宮の潮吹側から100m以上にわたって並ぶ景色は、こちらも”映えスポット」として有名です。


ただ、駐車場に並んでいる間に、残念ながら曇ってきましたので、海の青さがなく、残念でした・・・。

この後は、宿泊地である萩市に向かいます。

17時過ぎに到着したのは、この日の宿「夕景の宿 海のゆりかご 萩小町」さんです。


チェックイン後は、まずは「露天風呂」でこの日の疲れを癒すことに。

目の前には日本海が広がります。

(HPより拝借)

その後、夕食となります。

食事会場は大広間でしたが、テーブルはゆったりと間隔をとってありました。

地魚のお刺身はもちろんですが、河豚の刺身と唐揚げ、鮟鱇鍋など




その他にも、鮑の踊り焼き、見蘭牛(和牛のルーツと言われる見島牛とオランダ原産のホルスタインを交配させたオリジナル牛だそうです)のミートローフ等、味もボリュームも満足でした。


ただ、本来は「牛のしゃぶしゃぶ」だったのは、「ミートローフ」に変更となっていたのが少し残念でした。(説明もなかった)

お酒は「生ビール」で乾杯、その後は日本酒(山口県ですので「獺祭」)をいただきました!

この後、お決まりの「卓球」をして、もう一度温泉に入って就寝しました。

次回に続きます。

沖縄⑤(3日目後半~最終日)

2020-12-09 06:30:00 | 旅行

3日目後半です。

「首里城公園」をあとにして、「斎場御嶽(せーふぁうたき)」に向かいます。


御嶽とは、南西諸島に広く分布している「聖地」の総称で、斎場御嶽は琉球開びゃく伝説にもあらわれる、琉球王国最高の聖地です。御嶽の中には六つのイビ(神域)がありますが、中でも「大庫理(ウフグーイ)」・「寄満(ユインチ)」・「三庫理(サングーイ)」は、いずれも首里城内にある部屋と同じ名前で、当時の首里城と斎場御嶽との深い関わりを示すものだそうです。

斎場御嶽は琉球の始祖「アマミキヨ」が造ったとされ、国始めの七御嶽の一つといわれる沖縄最高の聖地。

琉球の最高神女であった聞得大君(きこえおおきみ)の就任の儀式はこの斎場御嶽で執り行われたそうです。

2000年12月、斎場御嶽は「琉球王国のグスク及び関連遺産群」のひとつとして、ユネスコの「世界遺産条約」に基づく世界遺産リストに登録されています。



「大庫理(ウフグーイ)」御門口(ウジョウグチ)という参道の入口から登って行くと左手に見える最初の拝所です。

大広間や一番座という意味で、石畳の敷かれた祈りの場があります。


「寄満(ユインチ)」

王府用語で「台所」の意味。

ここで調理をしたわけではなく、貿易の盛んであった当時の琉球では、世界中から交易品の集まる「豊穣の満ち満ちた所」と解釈されているそうです。


「三庫理(さんぐーい)」自然岩や洞穴に囲まれたこの場所には、いくつもの拝所が集まっています。

巨大な岩が三角形を描く「三庫理(さんぐーい)」は、左側の岩と右側の岩がバランスを取っていることから、“安定の場所”といわれています。

正面に見える三角形の空間の突き当たりが三庫理(さんぐーい)、右側がチョウノハナの拝所となっています。

三庫理を奥に進むと、左手に神の島・久高島を拝むことができます。

しかしながら、現在は、新型コロナの「三密」防止の観点から「三角岩」の奥には進むことができなくなっていました。

私は、前回訪れた時に実際に観ることができたのですが、奥さんはその景色を観ることはできず、とても残念がっていました。

さて、三角岩の右側には、「貴婦人様御休み所」と二本の鍾乳石が見えます。

滴り落ちる水はその下に置かれた壺(「シキヨダユルアマガヌビー」と「アマダユルアシカヌビー」の壺)に受けられ、それぞれが中城御殿(国王の世子)と聞得大君御殿の吉兆を占うとともに、お正月の若水とりの儀式にも使われる霊水だそうです。



途中の展望台から「久高島」が見えました。

ここまでで結構、時間を費やしてしまいましたので、この後はランチを我慢して、次の場所に向かいます。


向かったのは「ガンガラーの谷」。

ここの14時からの見学ツアーを予約していたので、急いで移動して、何とか間に合いました。


「ガンガラーの谷」は、数十万年前の鍾乳洞が崩れてできた太古の谷。

発掘調査が継続され、これまでに世界最古となる約2万3千年前の貝製の釣り針や、約8千年前の爪形文土器片、約4千年前の火を焚いた炉の跡などが発見されている場所です。

また石の棺に入った人骨が発見され、約2万年前の人類「港川人」の居住区だといわれています。

谷の広さは約14500坪、歩行距離は約1km。

鍾乳洞が崩壊してできた谷間に広がる自然豊かな森の中を、専門ガイドと一緒に歩く約1時間20分のツアーで見学しました。


「ケイブカフェ」


広場を下りると突如現れる洞窟で、ツアーの出発地点。



この谷の入り口に「ケイブカフェ」というお店があり、神秘的な世界を感じながら休憩することができます。


ここで軽食をいただくつもりだったのですが、残念ながら飲み物しかなく、コーヒーをいただきました。

なんでもこのコーヒーは、風化サンゴで焙煎した沖縄ブランド「35 coffee」のコーヒー豆と玉泉洞の地下水を使用したものだそうで、美味しくておすすめの一杯です。


「アカギの森」洞窟を抜けると亜熱帯の森が広がっていました。


「歩くガジュマル」気根を伸ばし、長い年月をかけて移動するそうです。


「イナグ洞」良縁・安産への祈りがささげられる女性の洞窟。

名前に付けられている「イナグ」とは、沖縄の方言で「女性」という意味があり、良縁と安産を祈願して祈りを捧げる場所だったとされています。

洞窟の中に入ることはできませんが、中には女性を象徴する鍾乳石があるそうです。

入口には、「母神」の札が立てられていました。


「イキガ洞」命の誕生・成長を願う男性の洞窟。

名前に付けられている「イキガ」とは、沖縄の方言で「男」という意味があり、子宝に恵まれるご利益があると信仰され、祈りを捧げる場所だったとされています。

奥深く広がる鍾乳洞の中をランタンの明かりを頼りに進むと、洞窟の中には川が流れています。

一番奥まで進むと、男性のシンボルの形に見える鍾乳石の姿がありました。

(画像は自粛します。)


「大主(ウフシュ)ガジュマル」谷の森奥深くに進んでいくと、そこには樹齢150年と言われる森の賢者「大主(ウフシュ)ガジュマル」が佇んでいました。

沖縄県内一の高さといわれている大主(ウフシュ)ガジュマルの圧倒的な存在感に、パワーを感じられずにはいられませんでした。


「ツリーテラス」樹上の手作りテラスで、港川人発見場所を望めます。(どの方向かはわかりませんでした。)

「武芸洞」 ツアーの終着地点。

港川人発見場所から近く、東西に二つの入口がある明るく乾燥した洞窟で、発掘調査が行われ数多くの土器や化石が発見されるとともに石の棺に入った人骨が出てきたそうで、旧石器時代の生活場所ではないかと考えられています。


(石棺が発掘された場所)

沖縄にこんな場所があるとは知りませんでしたが、娘が見学ツアーを予約してくれたおかげで、貴重な体験をすることができました。


さて、「ガンガラーの谷」見学後、いよいよお腹が空いてきたので、食事をすることにしました。

那覇まで戻って、向かったのは、瀬長島にある「きじむなぁ ウミカジテラス店」です。(ウミカジテラス)

いただいたのは「タコライス」にふわふわトロトロの卵をのせた「オムタコ」です。(確か、昨日もタコライスを食べた記憶が・・・)


遅めのランチを少なめに食べた後は、3泊目のホテルにチェックインします。

次の日の帰りの便が朝早いので、空港近くの那覇市内にある「ホテル サン沖縄」さんに宿泊します。

少し休んで、沖縄旅行最後の夕食に出掛けます。

「国際通り」をお店を見学しながら歩くこと30分程度。

最後の夜は、沖縄料理を堪能しようと、伺ったのは、老舗沖縄料理店の「うりずん」さんです。


店の前には待っている方は何組かいらっしゃいましたが、予約していたので待つことなく、向かい側の別館?へ案内されました。


飲み物は、まずは「オリオンビール」で乾杯。
(乾杯後のビールです)

その後、「泡盛」をロックでいただきました。

料理は「海ぶどう」、「ドゥル天(田芋のコロッケ)」、「島らっきょうの天婦羅」、「ラフテー(豚の角煮)」、「チキアギ(白身魚のすり身の揚げ物)」、「ウムクジ(紅芋)天婦羅」、「ゴーヤーチャンプルー」など沖縄料理を十分に堪能しました。ごちそうさまでした!


(少し揚げ物が多かったかも・・・)


ホテルへは「モノレール」で帰り、この日は早めに就寝しました。


翌朝、チェックアウト時、朝食付きの宿泊だったのですが、まだ朝食会場が開店前だったこともあり、ホテルの方で、代わりのテイクアウトの「サンドウィッチ」を準備していただいていました。ありがとうございました。

この「サンドウィッチ」は、空港の待ち時間に美味しくいただきました。

レンタカーを空港で乗り捨てて、チェックイン。

いよいよ帰りの便の出発です。

うとうと寝ていたら、あっという間に福岡に到着しました。


終わってみると、レンタカーでの移動ということもあり、また立ち寄ったところはコロナ対策もしっかりとしており、感染のリスクは決して高くなかった気がします。

もちろんマスクや手指消毒、三密回避等の基本的なことは徹底したうえですが・・・。


ということで、今回の3泊4日の沖縄旅行も無事に終了しました。


空港で奥さんと娘と別れて、私は午後からの仕事に向かいます。


次回は、時期も行先も全く未定ですが、早くコロナが終息して安心して旅行に行けるようになることを願っています。


沖縄④(3日目前半)

2020-12-07 06:30:00 | 旅行

3日目の朝、この日はあいにくの曇り空です。

早速、朝食に。

この日は、やはりホテル内の「海上レストラン コーラルシービュー」に行きました。

(前日、晴れた日に撮影しました)

ここでの朝食は、「カリビアンブレックファースト」

目の前に広がる海を眺めながら、グリルで焼くビーフ100%のハンバーガーや玉子料理などがバイキングでいただきます。


スープやサラダとともに、「ハンバーガー」と「ホットドック」をいただきました。


翌日は帰るだけなので、実質、沖縄最後の1日となりますので、朝食後、早速行動開始。  

本日は、「中城城跡」から。


中城城跡は、標高約160mの丘陵上にあります。中城村の西北から北中城村の南側にのびていく丘陵の東崖縁を天然の要害とし、300余もあるとされる沖縄のグスクの中で最も遺構がよく残っていることで知られているそうです。

城は連郭式の山城で6つの郭(くるわ)からなり、城壁は琉球石灰岩で積まれ、自然の岩石と地形的条件を巧みに生かしながら美しい曲線で構成されており、その築城技術の高さは、芸術的と言われ、歴史的にも高い評価を受けているとのこと。

中城城は、14世紀後半に先中城按司(さちなかぐすくあじ)が数世代に渡って築き、1440年頃に座喜味城主「読谷山按司:護佐丸(ごさまる)」が王府の命令により移ってきて、北の郭、三の郭を当時の最高の築城技術で増築したと伝えられているそうです。

本来なら、入口からカートでの送迎があるようですが、新型コロナ対策で中止されているため、徒歩で見学しました。

順路とは逆に見学することになります。

裏門から入ります。



(三の郭︰新城)

(ニの郭)


(一の郭)


晴れていたらもっと綺麗な眺望だったに違いありません。


中城城跡を後にして、次に向かったのは、「首里城公園」。

(焼失前の首里城︰ネットより拝借)

琉球王国の政治、外交、文化の中心地として威容を誇った首里城。

1945年の沖縄戦で灰燼に帰した首里城は、1992年沖縄の本土復帰20周年を記念して国営公園として復元されたそうです。

また、中国と日本の築城文化を融合した独特の建築様式や石組み技術には高い文化的・歴史的な価値があるとされ、首里城跡は2000年12月に、日本で11番目の世界遺産として登録されました。

残念ながら、2019年10月31日に発生した首里城正殿をはじめとした主要7施設の火災により、現在は、見学可能なエリアが変更となっていました。


駐車場から歩いていくと、まずは「守礼の門」があります。


「守礼(しゅれい)」とは「礼節を守る」という意味で、門に掲げられている扁額(へんがく)には「守礼之邦(しゅれいのくに)」と書かれてあり、これは「琉球は礼節を重んずる国である」という意味だそうです。

「園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)」


琉球石灰岩で造られた建造物で、国王が外出するときに安全祈願をした礼拝所だそうです。

琉球の石造建造物の代表的なものであり、沖縄戦で一部破壊され、1957年に復元され、現在、国指定重要文化財となっており、また2000年(平成12)には世界遺産へ登録されています。


「歓会門(かんかいもん)」


首里城の城郭内へ入る第一の正門で、「歓会」とは歓迎するという意味だそうです。


「広福門(こうふくもん)」


「広福」とは、「福を行き渡らせる」という意味とのこと


「奉神門(ほうしんもん)」


「神をうやまう門」という意味で、首里城正殿のある「御庭(うなー)」へ入る最後の門です。

ここからは有料になりますが、再建工事中の現場を見学できます。

少しでも再建の一助になればと思い入場しました。


中に入ると、首里城の中心となる「御庭(うなー)」があります。


本来なら、この正面に首里城の「正殿」などがあったのですが・・・。

焼失した部分を並べてありました。


高台からの眺めです。


首里城公園を見学した後は、「斎場御嶽(せーふぁうたき)」に向かいます。

続きは、沖縄⑤(3日目後半~)で。